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自信がない私

本当にどうしようもない内容で大変申し訳ないのですが、アドバイスいただけると嬉しいです。 私は、自分の考えにまったく自信が持てません。 すぐ他の人の意見に気持ちが傾いてしまいます。 例えば、私が花を見て綺麗だと感じたとします。 しかし、隣にいたBさんが「そんなものをみて綺麗と思うんはおかしいんじゃないの?」と言われると、「あれ?私思った綺麗っていうことは間違ってたのかもしれない。良くないのかもしれない」とすぐに思ってしまいます。 さらに、Bさんは私の意見・思いに関して不快に感じたんじゃないだろうか、実は私のことが嫌いなんじゃないだろうかとまで思ってしまいます。 次に、後日Cさんが「いや、私も綺麗だと思うよ」と私に言ったとします。 そうしたら、今度は「私は間違ってなかったんだ。良かった」と思うのです。 このようにコロコロ人の意見に自分の考えが偏ってしまい、すごく日常生活が疲れる日が多いです。 原因とすれば、こんなことは私のただの自分に対する言い訳になってしまうのは分かっていますが、両親の私に対する言動が大きいのではないかと思います。 両親はすでに離婚していますが、その喧嘩の仲裁に入り、お互いに悪いところがあるんじゃないかと言う私に対して、 「あんたはいつもお父さんの味方ばかりしる。あんたなんか生まなければよかった」 と言われました。 学生時代、学校でいじめられた私に父は、「お前は普通じゃないからそういうことになる。お前は考えたが幼い。偏っている」と言われました。(いじめられる原因は私が周りの空気をうまく読めないのが悪いのですが) 自分のこうしたい、こう思うという考えがあっても、どうしてもそれに自信が持てません。 また、自信が持てない癖に人に自分の考えを否定されることに以上に恐怖心を持ってしまい、攻撃的な言動をしてしまうことすらあります。 私は父のいう通り、普通じゃないのかもしれません。 普通じゃないがゆえに、自分に自信が持てないがために、周囲の人を不快にさせてしまっていることを思うと消えてしまいたくなります。 どうしたらいいのでしょうか? なにかアドバイスをいただけると嬉しいです。 どうがよろしくお願いします。

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noname#107497
noname#107497
回答No.6

人間は、それぞれ価値観、性格、物事を捉える印象、人生目標や方向などそれぞれ違いますから。 でも、その中で、自分だけが特異というのは、周りから良い目で見られないことが多々あります。ある時は、問題児とされ、ある時は嫉妬の対象されます。 人それぞれ違いながら、そこには意見の対立や利害の不一致、誰かが犠牲にならなければならないことがあります。そんなドロドロとした中でも、上手く調和を取らないと孤立することになりかねない。 いじめがある時に、いじめられている人を助ければ自分もいじめられるとか、あの人の意見に逆らうと飛ばされるとか、社会にはあります。社会というより、現実にあります。 話は変わり、子供、幼少の頃は、基本、子供は、親に愛されたいと思います。褒められたい、認められたいと思います。怒られたくない、嫌われたくないと思います。遊びで親の悪口をいいながらもそう思うものです。 で、きちんとした親や大人に育てられれば寛容な子に育ちますが、悪い親や大人に育てられるとそうはなりません。(経験談) >Bさんが「そんなものをみて綺麗と思うんはおかしいんじゃないの?」 印象の問題ですかからね。別に質問者さんとBさんが違っても良いと思いますよ。でも、世の中にはBさんのように違いをおかしいと思う人がいます。 中には違いがおかしいと思っていいことはあります。ただ、花なら、好みの違いで、お互いの違いを認められるぐらいの寛容性がある方が良いと私は思います。 ですので、こういった事は、Bさんは、「そんなもの」と考える、私はきれいと考える、それで良いと思います。おかしいとか、間違っているとかなくて良いと思いますよ。 話を盛り上げるなら、どうしてそう考えるのか、印象を言葉でやり取りすると、人の感性は多種多様だなと思えます。 まともな親に育てられれば、そういった感性は育ちますが、まともでないと、そう言う風には育ちません。(というか、私がBさんみたいな人間だったから) 話は変わります。 人は、恐怖や恥、不安、痛み、悲しみなど、冷静でいられなくなると、考え方が揺らぎます。 拷問というものがありますが、上記の恐怖や痛みを利用したものです。 質問者さんは、長年の人生経験において、自分と意見が対立すると、相手が主張し、その主張が、質問者さんを責めて、傷つけるものだったと思います。そういったことの連続により、意見の違い=傷つけられる、責められるという考えが身についてしまったのだと思います。 解りやすい言えば、物申せば、首が飛ぶというような感覚です。 そういった中でも、大抵の人は、本音と建前を上手く使い分けて、本音を理解してくれる人には本音を、本音を理解せず、傷つける人は、建前しか話さない生き方をするものです。 本当に自分と他人の考え方が違ということを身にしているなら、 理解しあえないこともあることを受け入れられたり、理解して貰うには、上手く理解して貰えるように話さなければならないということも解ると思います。 >恐怖心を持ってしまい、攻撃的な言動をしてしまうことすらあります。 私も含め、人は、自己防衛が先立つと、そうなる傾向があります。 それは、理解し合う話し合いではなく、屈伏さえ合う言葉の戦いです。 >普通じゃないのかもしれません。 生きていたら、他人にある程度のことは大なり小なり求めます。 目合ったら、殴りかかってきたとう人なら、普通じゃないというか、危険的異常者ですからね。 そういったレベルでなければ、普通のレベルですよ。 自信とは、何かを考えた時に、正しいか、正しくないかに関わることに自信を持つことなんて、無意味というか愚かだと思います。 正しいか、正しくないか、自信が持てない、迷う場合は、その迷いの原因を探す方が大事だと思います。そこは、理論的に物事を考える必要があります。 もし、そういった時間がない場合や、何かに挑戦する時は自信が必要ではなく、「覚悟」が必要だと思います。 できるという自信よりも、結果や現状はどうであれ、やるだけのことをするという気持ちが必要だと思います。 また、自分が変われるという自信は、自信ではなく、自分の可能性を信じれるものです。 理が通らない自信は、壊れやすいです。壊れやすいからこそ、そこを突かれると痛いので、攻撃的になります。 >なにかアドバイスをいただけると嬉しいです。 生きることは、自分や周り人の愚かさで傷つけ合うことは避けることができません。 自分が正しいということをしても、理解されずに傷つけられることもあるだろうし、正しいと思っていても、間違っている場合もあります。 自分が完ぺきではないからこそ、その上で周りの人の意見を理解するように努めることが大事だと思います。 また、弱がることも、強がることも辞めて、冷静に物事を対処していけば良いと思います。 その中で、自分のプラスとなる生き方や人と接していくと、人生がプラスになります。 まあ、そのプラスがなんなんだと迷うことも人生には尽きものです。 そういったことを前提にちょっと、肩の力を抜いて、休んで、回復したらがんばってみてくださいというのが、私のアドバイスです。 参考になれば。

eto2525
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 人と意見が違う=傷つけられるという感覚は本当にその通りです。 攻撃的になる前に冷静に人と意見の違いを認め、対処できるようになれればと思います。 ありがとうございました。

その他の回答 (7)

  • atuyaki
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回答No.8

自信があるないではなく精神的に居場所がなく不安定なのではないでしょうか。 つらいこともあると思いますが親はかえられないし、自分を大切にしてください。自信がある人間はそうそういません。

eto2525
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 精神的な拠所は少ないのが現状です。 というよりは、どうしたら気持ちを休ませれるかが分からないというか… 確かに親は変える事はできません。 両親の言う事を真にうけず、自分を大事に出来るよう頑張ってみます。

回答No.7

性格もあると思いますが、自分が自信を持つと言うのは生きてきた中でどれだけ努力した事あるかのどれだけ経験したかによって生まれると思います。 それにより自分の現状の力の認識や判断力が生まれ、それが積み重なる事が自信に繋がるのではないでしょうか? 今まで否定的な考え、何か努力をし達成感等経験が少ないので自分の能力、限界が把握できていないだけで、自信がないと思うのだと思います。 こうしたいと思ったり考えたりは簡単です。それを実行し納得するまで出来るかどうか、これが自信に繋がると思いませんか? 思ったり考えたりだけで、した事無いから自信が持てないのです。 例の自分の意見が相手と異なり第三者の意見にが自分と同じで安心する、これも経験のひとつで自分が正しかったという小さな自信につながると思いませんか? とこの質問を拝見し、今の僕も自信がなく、昔の僕はどーだったか思い返し殆ど僕自身に言い聞かせる為の説教みたいな回答になってすみません。 最後に周囲の人が不快になるか心配されてる事が出来る人はきちんと空気読める人で、優秀な人は空気読めるのですよ。 そして優秀な人は普通ではありません、普通より優れているから。

eto2525
質問者

お礼

回答ありがとうございます。ご自身の過去を振返られてのアドバイス、身に染みるものがありました。 お恥ずかしいことに、私は今まで何かをやり遂げることが少なくて中途半端で挫折することが多かったです。 ですので、何かこれからチャレンジして自信に繋がるよう努力してみようと思います。

回答No.5

質問と回答の部分を読ませていただいて、ふと思いました。 そこで1つ質問させて下さい。 もし私がeto2525さんに、 「eto2525さんは、自分の考えにまったく自信が持てませんよね?」 って質問したら、 eto2525さんは自信を持って「はい、そのとおりです」って 答えることが出来ますか?

eto2525
質問者

お礼

質問に答えさせて頂くと、はい、その通りです、と言うと思います。

noname#144293
noname#144293
回答No.4

ご質問文を読ませて頂いて、ご質問者様の苦悩や辛さは如何ばかりかとお察しいたします。 本来は補足をお願いしたいのですが、補足要求しても補足を頂けないご質問者様が大半ですので、私の経験と推察からお答えさせて頂きます。 私(男です)は今は殆ど良くなっていますが、鬱病を6年以上患って3回入院した経験から察するに、質問者様は「アダルトチルドレン(以下AC)」なのかも知れません。ACとは子供のような大人という意味ではありません。子供時代に親の影響を強く受けて、いつも親の顔色を伺って自分のしたいことを出来ずに良い子にしていなければいけない、つまり子供時代を子供らしくを過ごさずに大人になってしまった人の思考のことです。質問者様のお父様がアルコール依存であったのなら、更に強くACが疑われます。 文面の中にもACが疑われる箇所がいくつもあります。順を追っていきますと、最初に、ご質問者様が綺麗だと感じた花をBさんに否定されると、綺麗だと感じたことが間違ってたのかと思い、Cさんに肯定されると間違っていなかった思う。なので自分の考えに自信が持てない。本当にそうでしょうか? 正しくは、自分の考えに自信が持てないのではなく、自分の考えが分からないのではないですか? 二つ目に、子供時代にご両親の喧嘩の仲裁に入り、お互いに悪いところがあるのではと必死に説得しています。しかし、これは本来、子供がすべきことではないのです。 三つ目に、学生時代にいじめられた時に本来は味方であるはずのお父様から突き放されています。ご質問者様もいじめられる原因は自分にあるといった間違った認識を自分に植え付けることで自分を守ろうとしたのです。 四つ目に、自分の考えを否定されることに異常に恐怖心を持って攻撃的な言動をすることがある。これは、潜在意識の中にいつも寂しさや怒りといった感情を抱えているからではありませんか? 自分の考えに自信がないのではなく分からないから、否定される理由も分からないのです。 最後に総括しますと、コロコロ人の意見に自分の考えが偏ってしまう。言い換えれば、質問者様は物事を0か1、オール オア ナッシング でしか考えられないのではないですか? ここまで述べましたことが当たっていますか? 私は医者ではありませんので診断は出来ません。あくまでも何人かのAC女性と係わった経験で書かせて頂きました。ACは病気なのかは賛否両論がありますが、私はあくまでも育ってきた環境によって身に付いてしまった思考だと思います。いずれにしましても生き辛いことは確かです。 失礼ながら、ACだと仮定させて頂いて、どうすれば良いかですが、最初にすべきことは、子供時代に自分のしたいことも出来ず、ご両親の喧嘩が絶えずに辛い思いをしたことを、自分自身の中でしっかりと受け入れることです。子供だったので、自分に落ち度などなく、どうすることも出来なかったのだと。ここで、いじめられたことも決して自分のせいにしてはいけません。そんな環境だったのでどうすることも出来なかった、決して自分が悪かったのではないと強く正しく意識して受け入れてください。まず、ここを正しく受け入れることが今の苦悩から脱出する初めの第一歩なのです。 それが出来れば、次にすべきことはご質問文にヒントが書かれています。 >自分のこうしたい、こう思うという考えがあっても、どうしてもそれに自信が持てません。 これです。ご自分がこうしたい、こう思うという考えがあるのは大きな救いだと思います。殆どのACの人は、自分のしたいことやハッキリとした考えがないのです。まず、子供時代に本当はしたかったこと、なりたかったこと、行きたかった場所、などをゆっくりと思い出してください。つまり、今の自信のない考えを子供時代に戻って思い出してあげるのです。ゆっくりでいいです。時間を掛けてゆっくりと思い出してみてください。 それができれば、今度は自分がしたいと思うことに少しずつ挑戦してみてください。自分のしたいと思うことをすることによって、自分の価値観を養っていくのです。ここまで出来れば、花を見たBさんとCさんの意見が違うのが少しずつ分かってくると思います。同じ花を見ても綺麗と思う人もいれば思わない人もいるのです。つまり、人の考えは0か1ではないということです。まずは、その両極を理解しましょう。同じ物でも好きな人もいれば嫌いな人もいるという両極を。 その両極があることが理解出来るようになれば、今度はどちらでもないという人もいるということです。好きでも嫌いでもない。100人いれば100通りの考えがあります。ということは、質問者様の思いや考えもあって当たり前なのです。決して間違ったことではないということが分かる日が必ず来ると思います。もうそろそろお父様の呪縛から抜け出ても良いのですよ。 あまりにお辛いようですと、一度「心療内科」を受診してみるのも選択肢の一つです。当然のことですが、医療機関は守秘義務がありますので、質問者様の知られたくないことが人に知れることはありませんので安心してください。 長文、乱文で大変失礼いたしましたが、少しでも質問者様へのアドバイスになれば幸いです。

eto2525
質問者

お礼

丁寧かつ詳しく回答ありがとうございます。 実は私も自分自身がACなのではと疑ってはいました。 しかし、数年前に抑鬱状態で心療内科に通った事もありますが、数件病院は点々としましたがACではないかと思うと伝えても主治医はそうではないと言うので、ハッキリどうかは分かりませんが、微妙なラインではあるかもしれません(現在は病院には通っていません) ただ、ACについては共通する点は多いので自分でももう少し調べてみようと思います。分かりやすく丁寧に、私の気持ちを労りながら回答頂いたのが文章から伝わりました。 ありがとうございました。

  • dio_world
  • ベストアンサー率21% (35/166)
回答No.3

自分の考えに自信が持てない人はたくさんいます。 不味いラーメン屋に行列を作っている人達がいい例です。 酒を飲んで、すぐに値段を聞く人も味覚に自信がない人ですね。 考えがコロコロ変わるのは別に問題ないことだと思います。 そのときに、それぞれの長所が見えるのであればグッドです。 Bさんが否定した花の長所が見えていればいいのです。 物の長所を言って、不快にさせることはありません。 逆に短所を言ったり、Bさんのように否定することの方が不快です。 人や物の長所が見える人は素晴らしい人です。 是非、そうなれるように訓練してください。 今度は、あなたの意見が周囲の意見を変えるはずです。

eto2525
質問者

お礼

ありがとうございます。 人と違う意見として、長所に気がつける事、それが周囲にいい面で影響する事もある。 これは目から鱗でした。 私は人と違う事に極端に罪悪感を覚えばかりで、それがいい方面に転ぶ事もあると言うのは考えた事がありませんでした。 私が人に影響されるように、私が人に影響する事もありますもんね。 少しそれは怖い気もしますが、短所・長所を見極めてうまく出来るようになれればと思います。 ありがとうございました。

回答No.2

それって自信なんですか?知りませんでした。 ただ影響されやすい、それか、他者に依存しやすい 又は、そもそも主体に対する認識や印象が弱い ってことだと思うのですけど、どうでしょうか。 若しくは対人恐怖の気でもあるのかな。 何れにせよ、貴方がもっと、貴方の事を知れば 改善される問題なんじゃないでしょうか。 あ、違うパターンもありますよ。 貴方が貴方自身のこと、もう十分知っています! っていうなら、知るべきは世界ですね。 貴方の棲む、貴方だけの世界を、もっとよく知ってください。 きっと世界も、貴方の事が知りたい筈ですよ。 コツは、恐れないこと。あと、精一杯楽しむこと。 勝手な判断で申し訳ないけど、多分、貴方は感受性に優れている気がします。 だから、貴方だけの感性で、色んなものに感動してください。 そうしたらきっと、何か変わるんじゃないかな。私はそう思う。 コツを一つ書き忘れました。しっかりと考えること。 以上です。気が向いたらでいいから、やってみてくださいね。

eto2525
質問者

お礼

回答ありがとうございます。確かに自信と言うのは語弊があったかもしれません… 影響と言うよりは他者に依存しやすいというのが私の今の状態に一番近いです。 私自身の事をもっとよく知り、よく考える事。 これは今までトライした事は何度もあります。 しかし、楽しむ事と言うのが私にとっての難関です。 私は私を知れば知るほど、本当に情けない話ですが、自分が駄目でエゴの塊の汚い考えしかない人間だと再認識し、その再認識が辛過ぎて、つい自分自身の姿から目を背けてしまいます。 また自分自身を見つめようとして私は駄目な人間だと思った日は、これも情けない話ですが死んでしまいたくなります。 どうしたら楽しめるのかは私が考えなければならない事ですが、未だに答えが見つかりません。

回答No.1

普通ですよ。 誰だって、そんな自信の塊ってわけではないんですよ。 中に入ると思いますが、多くはいろいろ迷っています。 人間ですから。 で、質問のケースだと自信が持てないだけで、自分の考えは持っているのですから、大丈夫ですよ。 周りに何を言われても、「大丈夫、自分は間違っていない」と心に言い聞かせてください。 これを繰り返すと自信は持てるようになってきますよ。 ようは、「自分だけが感じている」ことに対する不安だと思うんです。 日本人は特に周りと同じ価値観をこのみますからね。 でも、「人と違う」のは「個性」です。 それは、短所ではなく長所です。 貴方が奇麗と思った花を他の皆が奇麗と言わなかったとしても、 それは、貴方がその花の素晴らしさに気付いただけで、 周りは気付いていないだけなのです。 多数が正しいわけではありません。 正しいか間違っているかわからないときは、「自分は正しい」と思うようにしてください。 そうすると、自信がつきます。 自信とは自分を信じることだから。 ただし、度が過ぎるとわがままな人間になりますので、 他人の価値観を尊重することも、適度に行ってください。 何事もバランスです。

eto2525
質問者

お礼

回答ありがとうございます。他人と違う事は個性であり、間違いではないと自分に言い聞かせること。 すぐにそれが個性だと思えないかもしれませんが、自分に言い聞かせ続けることが大切なのかもしれないと思いました。 花を見て綺麗と感じるという感性の問題だけでなく、些細な日常の事(例えば何か物を選ぶ事や自分がしたい事を決める等)まで揺らいでしまう私は、他人と違う事を恐れて私が正しいと思う事に罪悪感を感じてしまう事が多かったので、少しずつでも他人とのバランスを見て自信が持てるよう努力してみようと思います。

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