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自分の存在に罪悪感を感じる人間と感謝できる人間の違い
自分の存在に罪悪感を感じる人間と感謝できる人間の違い。教えてください。
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存在に罪悪感を感じる人間・・・・会社の訳の分からん上司 感謝できる人間・・・・お客さん 違いは紙一重だけどね。
- zura69
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自分の存在に罪悪感!? カッコイーなおいwww 自分の存在に感謝できる人間ってなんだよ? 意味不明だぞww
- qualheart
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単純に考えれば、自分の存在に罪悪感を感じる人は、誰の役にも立てていない、誰に必要とされていない、という思いからくるのだと思います。 ですが、これって結局は自分の存在を過大評価し、自己陶酔してるだけのように思えますね。 自分の存在に罪悪感を感じる人に限って、自分の人生に対して満足に思える基準が高いように思えます。 自分は誰かの役に立つために生まれてきたとか、誰かに必要されるために生まれてきたとか、自分の存在意義を大袈裟に考えすぎているだけです。 実際は人生なんてアニメやドラマのようなドラマチックな物じゃありません。 日々のちょこっとしたことに感動し、 ちょっとしたことに幸せを感じる。 それができれば、自分の存在に感謝できるはずです。 自分の存在に罪悪感を感じる人は、大きい存在価値を求めすぎて見失っているだけです。 自分がアニメやドラマの主人公だと勘違いし、足元にある小さな喜びを見ていないだけのように思います。
自分に罪悪感を感じる人は自分を偽っている人間なんじゃないかな?。もちろん僕もそうだったですよ。自分に嘘をついて嘘な自分を演じてきたような人間です。でも他人に嘘はつけない性格だったから本当に苦しい日々を送ってきました。でも最近は本当に自分の存在そのものに感謝できるようになってきています。それは自分が生きていると意識するすべが分かってきたからです。目の前に手を出してグーとかパーとかしていたら、「なんで俺の腕動いてんのっ!?」っていう気分になってきて、なぜか脳科学とか神経科学・心理学に生物学の本を読み漁り、しまいには哲学の本まで読み漁ってしまいました。そこで分かってきたのが、俺は広大な宇宙にプカプカ浮いている粒子サイズの地球からみた粒子サイズの有機物なんだっていうこと。宇宙というのがどういう概念なのかは分からないが、ここは銀河っていう塵の集まりの中の地球という塵の一つなんだっていうこと。今までの悲惨な歴史や現在の不景気だって、所詮はこの中の塵の一つのなかで起こっているにすぎない。さぞかしほかの塵の星では紛争とか起こってんだろうなぁとか完全な平和が完成しているんだろうなぁとか思ったりしているわけです。かなり現実逃避しているように聞こえると思いますが、実際そういうものなんじゃないですか?。人間の存在なんて。僕はこの胸の心臓が動いていて、紛争のない世界に生まれてこれたというそれだけでうれしいと思うようになりました。本当に恵まれているんですよ?日本人は。だから自分がなりたいと思える人間像を紙に書き出してみるべきです。僕はポメラというデジタルメモを使って高速に自分の脳内の疑問を自己解決していく習慣を続けています。そのおかげでかなり自分の悩みは解消してきました。だから何も悩む必要はないんですよ。自分というものが在るというそれだけで素晴らしいんです。後は死ぬまでに自分のしたいことを見つけて、それで社会に貢献していけば良いだけの話なんですよ。そうだと思いませんか?。※ちなみに僕は他人からよく「お前変わった奴やなぁwww」とよく言われます。これも僕の性質(個性)なんでしょうね。個性(自分)を大切に!。
- jinseiwalk
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仏法では同じです、というか同じにしなくては仏法者ではありません。というのは人間が生きるためには他の生命、牛や豚鳥、魚植物を取り入れなければ生きていけないからです。 ですので他の生命の命をとることに懺悔し、それは感謝となります。宗教ではしないことです。その違いがあるかどうかです。
- f5system
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対人に対する感じ方は、 実は自分の心の許容力の差が出ます。 許容力が大きければ、万人に感謝できると言うことです。