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多くの幸せは諦めることによって訪れるものだというのは本当ですか?
多くの幸せは諦めることによって訪れるものだというのは本当ですか? 教えてください。
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- 8ry0ox8
- ベストアンサー率11% (38/332)
こんちゃ! 人にはそれぞれ器というものがあって、 それ以上のものは手に入れられない。 それを知ることを諦めというのなら、そうかもしれない。 でも器の大きさを自分で決める必要はないので、 勝手に諦めちゃうと多少もったいない人生かもね。
- mujou
- ベストアンサー率4% (4/83)
幸せの定義が問題かと思います 質問者様が言われる 諦める事によって訪れる幸せというのは 悩みや苦しみが全く無くなった 状態のことだと思います 欲を捨てるということです 無いものを欲しがる でもなかなか手に入らないから苦しいわけです 全ては既に与えられているのだ と言う事を知れば幸せは訪れます 相性が悪く付き合いづらい人がいる でも人は不完全な生き物だからしょうがない 自分も完全では無いわけだからお互い様 相手のことには目をつぶろう と諦めれば争いは無くなって幸せが訪れるのです
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
「ないものを求める」のは、大変ですが、成長の糧となると思います。 「あるものに満足する」とのバランスを取って、人は生きているのではないかと思います。 「こだわり」というよりも、時には、それは「勝手な思い込み」だったり「誤解」だったりするかもしれませんが、そうしたものから離れられれば、生きるのがラクになるかもしれないと思いますが、しかし、「ただ流されるだけ」というような人生を賞賛する気にはなれません。 また「既にあるものを諦める」ということを考えると、例えば「周りの人に配ったりして喜ばれる」、そういう場合、「幸せ」というのは自分一個のものではなくなるわけで、「多くの幸せ」という表現をそんな意味に解釈することも出来るのではないでしょうか。
- tantan68
- ベストアンサー率40% (6/15)
[諦める]というのと[やめる]のは違うことだと思います。 多くのことを[諦める]ことによって幸せが訪れるのではなく、 多くのことを[やめる]ことによって自分に適したものが 絞られていって結果的に幸せが訪れるのだと思います。 [諦める]というのは、周りの環境や自分の実力のなさ、逃げ、 継続することが出来ない弱さにより、やめざるをえない状況だと 判断した時にとるネガティブな行動だと思います。 [やめる]というのは、より良いものを見つけたり、 より自分に適したものを見つけた時に、やむなくではなく 自ら選んでとるポジティブな行動だと思います。 そうした[やめる]行為によりポジティブな取捨選択を行い 多くの不要なものがそぎ落とされ、自分にとって本当に必要な、 本当に自分がやるべき適したものだけがのこって、 そこに全力を注ぎこめた暁に幸せは訪れるのだと思います。
- kannzou001
- ベストアンサー率22% (49/216)
考え方によっては、正しいと思います。 まず初めに、「夢を諦める」のと、「夢を投げ出す」と別に考えないといけません。 国語の意味では諦めるとは、悔いを残す意味も含むかもしれませんが、真剣に人生をささげ取り組んで、それで駄目だったから夢を諦めるのと、そんな真剣じゃなく取り組んで、案の定駄目だった夢の諦めとでは、その後の悔いの残りさが違うと思います。 前者は「諦め」で、後者は「投げ出し」と言う事です。 前者の意味で言うなら「多くの幸せは諦めることによって訪れるものだ」といっても良いと思います。 例えば、作家や絵、音楽など特定の好きなものでやって生きたいという人がいるとします。 生活できればいいと思うのと、世界で一番、歴史に名を残せる偉人になれなきゃ意味がないと思うのでは、かなり変わってきます。 後者を一生貫くような人は、世界一になれるまで満足感は得られません。しかし、一生貫くなどなかなか出来ません。 年をとるうちに限界を感じ、そのうち「ただ好きなことを仕事にして、それで生活できて、子どもも立派に大学に行かせてやれた。それで十分じゃないか」そう思うようになります。 そのように真に思えるようになれば、世界一や歴史に名を残すようなことを成し遂げなくとも、幸せに思えてくるでしょう。 上の例は、そこそこ夢がかなった例です。 しかし夢かなわない場合も、夢はかなわなくとも、あの時は好きな事が出来たので思い残す事はない。やるべきことはやれた。それで十分じゃないか。 そう思えるようになれば、夢は良い思い出と友に、次の人生を歩めます。恐らく幸福感を保ち、ある程度悔いを残さず死ねると思います。 肝心な事は、本当に分切れがつくまでやる事をやれるかという事です。全力でやる事やって駄目なら人間そのうち疲れるか限界を感じ、夢を諦めるようになります。そうなればまた次の人生が見えてくるのではないでしょうか。 ベストを尽くさない「諦め」は「投げ出し」に等しいです。それではこの言葉どおりにはならないでしょう。
- aymhfgy
- ベストアンサー率43% (1472/3372)
半分は真実を言い当てているのではと思います。 しかし、これは、駄目だから放り出すとか考えても無駄だから止めるというニュアンスとは違うと思います。 つまり、欲を出しすぎてそのものの本質を見失うということを戒める意味で言われた言葉のような気がします。 欲しいものがなくても今、あるもののなかに幸せを見出して感謝するということが大切だと思います。そうすることによって幸せ感が胸にあふれ出てくるものではないかと私は考えます。 あきらめるとはあきらかにきわめるということ、望むもののなかの良い面だけではなく違った面からも深く悟ってなお、それでも求めていくならば幸せは叶えられると私は思うのですが、どうでしょうか。
私は本当だと思います。 自分の欲しい物が自分の力では手に入れることが出来ないと分かっていて、 それでも手に入るまで諦められずに悶々といるのは不幸です。 失恋をした時、どんなに執着しても、相手の気持ちを変えるには限度があります。 諦めが付かず執着し過ぎると、ストーカーだ何だと面倒なことになりますが、 諦めて自分の気持ちに早くけりを付ければ、世界も開けるし次の恋愛にも進めるし、幸せに一歩近づけます。 人間関係に於いて、自分がどんなに好かれようと努力をしても、相手と波長が合わなければ、その努力は報いられない訳で、 そんな時は「来る者は拒まず、去る者は追わず」と割り切って諦めた方が楽ですし、気分的にも幸せです。 思いっきりの良い明るい人の周りには、それにあやかりたい人達が必ず寄ってきます。 どんなに望んでも、自分の力の及ばない事って人生にはいっぱいあります。 ここの質問でも、悩みを抱えて居る人の殆どが、自分の諦められない性格との戦いです。 諦めて次ぎに進めなければ、自分を気遣ってくれる人達まで巻き込んで、人の幸せまで壊してしまったり、 折角心配してくれている人や、自分の幸せもどんどん逃げて行きます。 「笑う角には福来る。泣きっ面に蜂」です。 誰しも楽しい環境に身を置きたいものです。 私は人の幸不幸は、「如何に諦めが良いか」で決まると思います。
- gracepink
- ベストアンサー率43% (21/48)
釈迦の教えに近いですね。 悟れ、と言ってるのではないでしょうか。 執着するな、手放しなさい。 人生は苦に満ちているもの。 こういう考えを総称すると諦めるになるかも。
- Tori_30
- ベストアンサー率27% (653/2415)
どうなんだろう? 自分を振り返って、その書式に当てはめて言うならば、 「多くの不幸は諦めたことによって訪れた」 という感想かな。 「これで良いや」が”これ”で済まなかったり、結局諦めきれなかったり・・・。 それなら、最初っから諦めなければ良かった、闘えば良かった、という後悔が多い。 「あのブドウはすっぱい」とかそういう事言うのは嫌なんだよね。 そして、自分がそれを言わずにいられるほど出来た人間だとも思わない。 嫌でも目についちゃうから。「あのブドウは甘いんだろうなぁ」そう思う人生。 それなら諦めない。気高く生きたいもの。大事な誰かにその甘いブドウを食べさせてあげたいから。