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恵まれている人間は本当に幸せなのか?
恵まれている人間は本当に幸せなのか? 僕はいつも思うのですが、社会的地位を持っている人やお金持ち、 イケメン、美女などは本当に幸せなのだろうか。 彼らは、現状を守るために必死なのではないでしょうか。 つまり金持ちだと、お金を失うのが非常に怖い。 イケメンなら人前であんまりみっともないまねができないため、 いつもカッコつけていなければいけない。 いわゆる何かを持っている人というのは、毎日すごくエネルギーを 使っていて、かなりストレスも溜まっているのではないでしょうか? ちなみに僕は何ももっていないので、すごく気楽です。
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他の質問で答えたことと同じですが、その人が無知なら、幸福も不幸も無いので、無いものを感じることはできない。 だけど、本当にその人は生まれつきで、死ぬまで無知でいられるのか。 無知の涙を書いた人は、想像もしなかった。自分が無知でなくなることを。 >例えば、ある小説であったのですが、親兄弟も家族もなく天涯孤独で >全国を放浪し なんか 山下清みたいですね。 >守るものもなければ、失うものもない。 >それができて苦にならない人は、 >ある意味金持ちより幸せではないかと。僕は思うのですね。 その人は確かに強いです。弱点が無いので脅されない。 死ぬことすら怖くない。別に生きたいと思っていないのなら。 生を失っても、生なんて欲しくなければ、奪われることも怖くない。 で、私も例えばなんですが、、、 えっと童話に「100万回生きたねこ」ってあるんです。 彼は王様の猫だった。 王様は猫をすごく愛していた。一時も離れなかった。 狩りに出る時も連れて行った。でも間違えて猫に矢がささってしまい死んでしまった。 王様はオイオイ泣いた。でも猫はちっとも悲しくなかった。 だって王様が嫌いだったから。 その後また生き返り いろんな人の猫になる。 みんな猫をとてもかわいがり愛し、一時も離れずいつも連れていった。 その結果猫は死ぬことになった。 飼い主は愛する猫が死んでオイオイ泣いた。 でも 何回殺されようと、猫はちっとも悲しくなかった。 どのご主人様も嫌いだったから。 そして100万回死んだ後、また生き返った。 今度は誰の猫でもなく野良だった。 他の野良猫たちに「俺は100万回死んだんだぜ」って自慢した。 他の野良猫たちは「すっげーーー」って感嘆した。 ふとみると白い猫がいた。 その猫にも「俺は100万回死んだんだぜ」って言った。 白い猫は「そう」って言った。 宙返りして、「俺は100万回死んだんだぜ、君はまだ一回も生き終わっちゃいないじゃないか」って言った。 白い猫は「そうね」って言った。 それでまた「俺は。。。。」っていいかけて「君の側にいてもいいかい?」って白い猫に聞いた。 「いいわよ」と白い猫は答えた。 猫は白い猫の側にいることがとても幸せだった。 二人に間に子猫が生まれたが、やはりやがて野良猫になって出て行った。 ここちよい時間が流れたが、ある日白い猫は動かなかった。 白い猫は歳をとって寿命がきて死んだ。 猫は大声で泣き悲しんだ。 来る日も来る日も泣き悲しみ続けた。 そしてある日もう猫は泣かなかった。 猫も死んだ。 猫はもう生まれ帰ってこなかった。 猫を飼っていた飼い主は猫をこよなく愛しており、猫が死んだときはりさけんばかりに嘆き悲しんだ。 猫も白い猫が死んだとき、はりさけんばかりに嘆き悲しんだ。 違うのは猫はもう生まれ変わってこなかったこと。 私たちは猫のように何度も生まれ変わることはできない。 一回きりの人生、どっちがいいですか? 本当に大事なもの、かけかえることのできないものってなんでしょう? 肩書きですか? お金ですか? 容姿ですか?
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- rika-chan
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恵まれている人は、恵まれていることが日常なので、現状を守ろうという意識はないと思います。それが日常生活なのです。人というのは、失って初めて自分が恵まれていることに気づきます。 毎日、平凡に暮らせること。ご飯を食べられこと。これら基本的なことも、恵まれていない人達は、世界中に数億はいると思われます。自分が恵まれていることに気づくということは大切なことです。
お礼
はい。 そうですね。金持ちにもいろいろな人がいそうです。 一代で財を成した金持ちは、がめついかもしれません。 ご回答ありがとうございました。
「幸福論」は哲学者の古来からの主要テーマのひとつです。 しかし単にムードに流れるだけの印象論は文学にはなっても哲学にはなりえないでしょう。ひとつひとつ言葉を吟味して、段階を追って詰めていく必要があります。 >世界で一番幸せだと思っている国民は、どの国民か。 平和で裕福な日本人か、それともアメリカとかイギリス、フランスあたりか。 こういったおおざっぱな話しは哲学とは相容れないところがあります。既に様々な価値観からの調査論及が出されているはずで、その気になれば手に入ると思います。。 >以外にも文明の利器のようなものが何もない南国の島々の人々だったりして。 以外→意外? 水木しげる氏の南国体験談がひとつの参考になると思います。私的には、まともな人間であれば大抵は現代の先端的遊興文化刺激が最高の”幸福ツール”になることを避けられるはずはないと思いますよ。誰もを納得させるためには、いずれ、それをベースにして特殊相対理論へ入らねばならないでしょうね。
お礼
はい。 水木しげるさんといえば、戦争の体験談をよく漫画にしていますね。 僕のもっている戦争の雑誌にも、そのときの体験談がでています。 それはそうとして、僕らは便利な物があるのが当たり前になっているので、 それがなくなればすごく不便だし、もってない国民をみれば、苦労して いるな。と思うこともあります。 でも、もってない国民はもともと持っていないので、僕らが思っている ようには思っていないと、思います。 戦前の日本人がそのときは不便な世の中だとは思っていないように。 今の僕たちの価値観で物事を判断すると、少し間違える事もあります。 ご回答ありがとうございました。
大前提:ひとは幸せを追い求めます。 一般的に 多数が認める長所を得たい、それによって幸せを得たいというのが普通だと思います。 例としては1)社会的地位を得たい、2)お金を沢山儲けたい、3)イケメンになりたい、4)美女になりたい、などでしょうか。 私はどれにもあてはまらないので本当に当人達がそれで幸せになったかどうかはわかりませんが、とりあえずは1)地位に相当の権力を振るえる、2)お金を沢山使えて贅沢が出来る、3)、4)周囲のひとからちやほやされて楽しい気分が味わえる、など私よりも間違いなく幸せだろうと思います。もちろん貴方が仰るように、彼らは私たちよりも気苦労が多いだろうことは確かだと思いますが、気苦労をする以上に得るものもまた大きいと思います。 何よりも、貴方が彼らをこのように気にかけているようには、彼らは(何も長所のない)貴方やわたしなどを気にもかけていないと思いますよ。 結論 彼らは間違いなく気楽ではないと思いますが、それ以上に幸せだと思います。
お礼
はい。 もちろん、金持ちを周りからからみれば、彼らは幸せだろうと思うのは 普通の考え方だと思います。 だが金持ち本人がそれほど、はたからみるより幸せを感じているのか? ということも考慮する必要がありそうです。 世界で一番幸せだと思っている国民は、どの国民か。 平和で裕福な日本人か、それともアメリカとかイギリス、フランスあたりか。 以外にも文明の利器のようなものが何もない南国の島々の人々だったりして。 ご回答ありがとうございました。
社会的地位を持っている人やお金持ち、イケメン、美女を 目撃しました。親戚です。あたまにくるほどめちゃしあわせです! あと「めぐみ」のなかに幸せが含まれているようにも感じますが? 中年老年のかたは、みためがみにくく、くさければ、幸せではないように感じます。 おばちゃんたちは関係なく幸せなようです。
お礼
はい。 僕はつらづら思うのですが、例えば美人の彼女を持つ男は、 彼女が美人ゆえに浮気の心配や、ふられる心配をしなければ いけなくなり、ストレスがたまるのではないでしょうか? 普通の女性と付き合うのが一番よいような気がします。 僕の質問にはそういう場合も含まれています。 ご回答ありがとうございました。
- sakusya
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人並みな回答ですが、本人が幸せと思っているのならば幸せだと思います。恵まれているから幸せなのではなくて、その人が幸せと感じているから幸せなのです。理由は後付けです。事実として幸せかどうかというのが問題なのでしょうけれど、それを俺たちが決めることはできないですから。普遍的な幸せはないですからね。自分を客観的に見ても幸せなのであれば、それはもう間違いなくその人にとっての幸せなのでしょう(というより、客観も主観でしかないので)。
- nontro_08
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そうですね。まさしく質問者さんの言うとおりだと思いますよ。 私は創価学会の者ですが、その機関誌「聖教新聞」に、ある識者が「私はいろいろな金持ちの人を見てきましたが、そのなかで、本当に幸せな人など、見たことがありません」という内容の寄稿をしたことがありました。 「社会的地位を持っている人やお金持ち、イケメン、美女」。他より勝れた特質を鼻にかけ、傲慢な態度で人を見下す者の、なんと多いことでしょうか。私は仕事柄、しょっちゅうそういう態度に接していますが、他を見下すほどに、彼らは心の底から幸せを感じているのでしょうか。 広い屋敷の中で、家庭的に恵まれず、孤独の苦悩で悶々としている人間がいます。「金があればあるほど、ますます欲しくなる」とばかりに強欲になり、私利私欲のために人を利用して不幸にし、自分も不正を犯して刑事罰に問われて没落する者もいました。私の身近にも、一代で財を成し、ワンマン経営で絶頂の極みであったが、最後は親しい友もない中、「金、金」と言いつつ侘しく世を去った会社社長がいました。また、歴史を見ても、絶世の美女と讃えられ羨まれたクレオパトラや楊貴妃は、自ら命を絶つという末路で終らねばなりませんでした。その他、恵まれた立場にあっても、最後は不幸に終るという例は、枚挙に暇がありません。それが人生の厳しき実相です。 「社会的地位を持っている人やお金持ち、イケメン、美女」。そういう特質があったとしても、それは所詮「相対的幸福」にすぎません。心がそれらに喜びを感じられない状況にあれば、それらには何の価値も生じないからです。 「命が終われば三日のうちに、その体は水となって流れ、塵となって大地にまじり、煙となって天に昇り、あとかたもなく消えてしまう。そのようにはかない、わが身を養おうとして、多くの財産を蓄える。このことは昔から言い古されてきたことであるが、現在のその有様は、あまりにも哀れでならない」(松野殿御返事、日蓮大聖人の御言葉) 「どのような立場であったか」ではなく「どのように生きたか」によって、真の幸福は決まります。立場といい、財産といっても、死ねば全て終わりです。あの世に持っていくことなどできないのです。今世限りの幻です。立場や財力をかさに着て、自分中心のエゴに沈んで人を苦しめた人間は、生命は永遠であるがゆえに、来世は因果応報により、自分が苦しむのです。そういう無常の存在に固執するのではなく、よりよく人生を生きようとすることこそ、大事なのです。 そのためにはどうすればよいか。南無妙法蓮華経の日蓮仏法を実践し、生命を磨き人間革命を成し遂げる。そこに、「どんな境遇にあろうとも、生きていること自体に喜びを感じる」という、「絶対的幸福」境涯が得られるのです。これこそ、我々創価学会が目指すものです。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
イソップ物語に、酸っぱいブドウの話があるけど、それを子供の時に読み聞かせてもらえなかった質問者は不幸な部類だと思います。
お礼
はい。 僕は確かに妬みからきているのかもしれません。 なぜかというと、仮に今お金をあげるといわれればもらうからです。 でもそれはお金に負けて、金持ちを肯定していることになりますね。 しかし、世の中には貧乏でも金の魔力に負けない人もいると信じています。 仮に金持ちになりたいか?それとも貧乏をしてでも金に屈しない人間に なりたいか?と、質問をすれば、わりと後者のほうも多いのではないかと 思うのです。 そう考えれば、金持ちがそれほど幸せとは思えないのですね。 ご回答ありがとうございました。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 ★ 恵まれている人間は本当に幸せなのか? ☆ 《恵まれている》という言葉は そのあとで生まれつき与えられた条件を含めてこの世の経験的なものごとのことを言っていると解されます。だとすれば 究極の答えは すべてどっちもどっちだということになるかと考えます。 相対的なものであり 程度問題だという意味です。 明日の生活費に困る場合と使っても使っても有り余ってくる財産を持つ場合とを比べて そこにはそうとう大きな質的な格差があるようですが それでも ドングリの背比べだと思われます。どちらも朽ちて行くからです。 ですが どうでしょう イケメンあるいは美女で九十年生きたとしましょう。ところが 健康でみづからにとっても人びとにとっても色あせぬ確信を持ち続け持ち続けさせ 二百年ないし百五十年を生きたとしますと どうでしょう? 百五十年は もはや永遠ではないでしょうか? 昔から人びとは 財産とともに 不老不死をねがって生きてきたようです。ですから たとえば三十歳頃からですとかあるいは遅くても五十歳頃から所謂さとりを得て そのあとの人生を二百歳まで 人びととともに生きたなら これこそ《恵まれている》ということになりませんか? そして 社会的地位やモテモテとして恵まれていることと 永遠の生を得ることとでは 次元の違う格差があるようにわたしには思えます。 と言っても これからは この二百歳人生を誰もが過ごすようになるのではないかとは夢見ています。ひとこと多かったでしょうか。
お礼
あ、こんにちは。 しばらく姿をみなかったので心配していました。 もしかしたら、天皇批判をしていましたので不敬罪か大逆罪で 逮捕されたのかと思いまして・・僕も身を隠す予定でしたハハハ 勉強になりました。ありがとうございます。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
「貧しい者は幸いである」という教義を持つ宗教がある。 本来は、貧しい人とは、家族も知人も家も財産も信用も無く、神様にすがるしかない極限状態に置かれた人のことなのですが、本来の意味は伝わらず、ある宗教は金銭的に貧困なものは幸福であると説いているんですね。 それに対して、ニーチェは「その教えを支持する人は、金持ちに対して妬みの心をあるから」と言っていた。 もう一つ、「心が貧しい人は幸いである」というのが教義にある。 金持ちを妬む人は幸福である、どんどん妬めばそれだけ幸福な者になるのか? 心が貧しいってのも、知恵が尽きて、自分じゃどうにも解決策が浮かびません どうか神様に教えてください となっている状態のことじゃないかと。 ということで、、、 その気楽ってのには妬みが隠されていないですか?
お礼
はい。 僕の場合は妬みもあります。 が、客観的に考えてどうかということなのです。 例えば、ある小説であったのですが、親兄弟も家族もなく天涯孤独で 全国を放浪し、生活費がなくなれば軽い仕事するか、もしくは犯罪をして 刑務所でタダ飯を食う。それでいて本人は、その生活が何の苦にもならない。 守るものもなければ、失うものもない。人の目など気にもしない。 もちろん僕はそういう生活はごめんですが、それができて苦にならない人は、 ある意味金持ちより幸せではないかと。僕は思うのですね。 ご回答ありがとうございました。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
はい、恵まれている人間は本当に幸せです。何故なら、恵まれた人間は、 >ちなみに僕は何ももっていないので、すごく気楽です。 と言うことが出来るからです。貴方は日本人として生まれたことが、既にどんなに恵まれていることかを考えて見て下さい。そして、貴方がイラク人やアフガニスタン人やパレスチナ人として生まれて来なかった幸運に感謝して下さい。何も持っていない貴方は、たとえ米軍やイスラエル軍に反抗的でなくても、いつ貴方や貴方の家族の命を失うか、戦々恐々と生きて行かなくてはなりません。また、アフリカの何処かの国に生まれて来たら、いつ飢えや病気で死んでしまうかもしれません。また、貴方がブラジルから戻って来た、元日本人の子孫だったと想像してみて下さい。貴方は、日本人から何となくうさん臭い目で見られ、正社員などは望むべくもなく、皆からどのような取り扱いをされていたでしょうか。また、偶然に在日韓国人として生まれて来た場合も想像してみて下さい。日本語でそだった貴方は、今更韓国に帰って、訛りなしのまともな韓国語も話せずに、一からやり直すことも出来る訳でもなく、かと言って日本では日本人ではないために、きっと貴方には想像のできない苦労が待っていますよ。 恵まれた状況は空気や新鮮な水と同じです。それが足りなくなった時に始めてそのありがた味が分かるのです。自分の恵まれた状況に感謝出来る人間になって下さいね。
お礼
はい。 僕だけではなく戦後の日本人は幸せだと思いますよ。 戦争をしているのが当たり前だと、思い込んでる子供が いる国もありますからね。 それにくらべ日本は豊かだし平和です。 その恩恵をうけて僕たちは生活しているわけです。 それで自分が幸せだと思わないとバチがあたりますよね。 それは、おそらくみんなわかっている事だと思います。 でも日本から諸外国をみれば、どうしてもそういう考えに 行き着いてしまうのですね。 大金持ちと金策に苦しんでいる人とをくらべれば、大金持ちの ほうが幸せなのは当然ですよね。 そうではなく大金持ちと、守るものも失うものもない貧乏人、 さらにその貧乏人は金などもほしがらない。というのは、いったい どちらが幸せなのか?という感じの質問なのです。 ご回答ありがとうございました
お礼
はい。 本当に大事なものは何でしょうね。 人それぞれだとは思いますが。 ご回答ありがとうございました。
補足
みなさんどうもありがとうございました。 たいへん勉強になりました。 忙しくてお礼をかけなかった回答者様ゴメンナサイ! またよろしくお願いいたします。