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「あのときああしてさえいれば今頃は・・・」、の「ああ」の道を選んでいたら本当に幸せだったのでしょうか?
ここで多くのやさしい回答者さまたちにいろいろ悩みを聞いていただきまして、ほんとに感謝してます。ありがとうございます。 私は自分が何に一番悩んでいるのかを突き詰めていくと、結局は「あのときああしてさえいれば、今頃はいい人生を歩んでいたにちがいない」と思っているからです。つまり、本来の人生から踏み外した、予定外の人生を歩んでいる気がしてたからです。「本当だったらああだったのになあ~」「今頃は・・・」ってあのとき「ああ」の道を選んでいたらどうなっていたかをシュミレーションしている自分がいます。しかもシュミレーションして、「ああ」の道を選んだ私は今すごい幸せな生活を送っていることになってました。私は現状に不満足だからそう思うのだと思います。 質問です。 皆さんは「あのときああしていれば今頃は幸せだったろうになあ」って思うことはないでしょうか? またそう思ってしまったら、どういう考え方をしさえすれば健全な考え方ができるでしょうか? 私はようやく自分がなにに悩んでいるか気づきました。悩んでいるのは99パーセント過去のこと。後悔なんです。 あのときああしてさえいればの続きを妄想して 「すごいいい人生を歩めてたであろう自分」と「今の自分」とを比べてくよくよしてます。本当は「ああ」の道を行ってたのに、あれが本当の人生。・・・って。そういう考えやめたいです。ポジティブになりたいです。どうかお力を貸してください
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こんにちは。辛口ながら私に言わせれば、あなたの今の姿は、“後ろ向きに歩いている人”というイメージです。 >皆さんは「あのときああしていれば今頃は幸せだったろうになあ」って思うことはないでしょうか? 長いこと人生やってきてますので、あなたに負けず劣らずあります。 >またそう思ってしまったら、どういう考え方をしさえすれば健全な考え方ができるでしょうか? 開き直って単純に割り切ることです。いくら考えたってしょうがないことはしょうがないし、仕方のないことは仕方がないんです。 諺にもある通り、後悔が先に立つことはありませんし、覆水は盆に帰らることはありません。 案外あなたは、真面目で完璧主義者的な性格なのかもしれません。 しかし、どこかでそういう考え方というか、しがらみの心をリセットしていかない限り、いつまでもそういう過ぎ去りし後悔の呪縛から解放されることはありません。 人生そこそこ70点でいいじゃないですか・・不可能なことにいつまでもとらわれていることは賢明なことではありません。そんな状態がいつまでも続くようでは、精神を病む可能性すらありますよね。 あなたはもう少し自分の直感というものに自信をもつようにしたら良いと思いますよ。将棋のあの大天才、羽生は<直感の70パーセントは正しいと言っています。 学校でのテストなどで、終了時間間際ギリギリに、解答迷いが生じ書き直した経験はありませんか?案外その書き直したがゆえに逆に間違ってしまったという話はよくある話で、これとあなたの気持ちは今同じようなものなのかも知れません。 つまり書き直さないできたから今のあなたがあるけれど、それは満点正解ならずとしても70点ではあると思うことです。 前述のように割り切って開き直れないならば、妥協でも構いません。 とにかくサラリと区切りをつけることが肝要です。 人生は筋書きの無い1回こっきりのドラマです、、だから面白いのです。 何がどうなったところで大勢に影響などありません ものは考えようです。 最後に贈る言葉としては、あの有名な天才物理学者アインシュタインの言葉です↓ いかなる問題も、それをつくり出した同じ意識で解決することはできません。。。 今のネガティブな心、意識のままではこの問題は解決しないけれど、逆に言えば、その意識さえ改革すれば、そう難しい問題ではないと思うのですがどうでしょう。いずれここで山ほどアドバイスを集めても最終的にはあなたの意識が変わるか否か次第ということです。 まっ!いくら考えても、なるようにしかならないことはならないのですが、希望をもって前向きに歩けるようにがんばってみて下さい。 後ろ向きに歩くって、ホント疲れますよね
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- hamakkotarou
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全てを自分の思い通りにしたいのであれば、過去にしなかったことや してしまったことに後悔したくなるのでしょう。 自分の思い通りになっていないことは過去に問題があるかも知れませんが 今どうすることもできないことをどうにかしたいと思うから悩まなければ ならなくなるのだと思います。 もちろん、どうにかできる方法はあると思います。 それは過去のことを思い出すことではなくて、今できることをはじめることです。 過去にさまざまな問題を山積みにしていたとしても、今幸せを感じることを 制限する必要はないと思います。 全ての問題が解決しなければ幸せを感じてはいけないというルールは どこにもないのです。 もしあるとすれば自分が勝手に作っているだけのことです。 自分で作ったものは自分でやめてしまえば済むのです。 そして、思い通りになっていないことを楽しむゆとりを持つことです。
「あの時ああしていれば…」と考えることは常にあります。 今もある選択についてずっと思っています。 でも、「今頃は幸せだった」とは考えません。 今のこの人生は過去の自分が精いっぱい考えて出した結果だし、 人生のさまざまな岐路で別の道を選んだとしても、 他の方が書かれているようにそこにはまた別の苦悩が必ずあるはずですから。 私は過去の選択を振り返るときいつも思います。 「あの時ああしていた自分」には絶対負けない、幸せになってやる、と。 今、ここにいる自分の歩んでいる人生が本当の人生です。 幻影に負けてはダメだと思います。
- dai-ym
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そんな意味の無いシュミレーションをしないことだと思いますよ。 自分で本当にマイナス要因も考えてやってるんじゃなく、全部自分に都合よい状態でシュミレーションしてますよね。 それじゃ幸せになれますよ。 そんな想像の世界に暮らしたいのなら別ですが、 今の世の中を行きたいなら、過去を振り返っての反省はいいですが、 実際にありえない想像をシュミレーションして今から逃げ出さないことが大事だと思いますよ。 一番簡単にやめられる方法は、都合いいシュミレーションをやめて、 都合の悪い、失敗するシュミレーションをしてはいかがですか? あそこでこんな失敗をしなくて良かったなとなりますよ。
- ptyfsu
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>皆さんは「あのときああしていれば今頃は幸せだったろうになあ」って思うことはないでしょうか? →最近はないですが、前はたまーにありました。 でも大抵不埒なことを考えている時だったので妄想であることがほとんどでした。 >またそう思ってしまったら、どういう考え方をしさえすれば健全な考え方ができるでしょうか? →とことん突き詰めて楽しんでしまうのはどうでしょうか。 「あの時ああしていれば、わたしはきっとこうなっていたんだろうなぁ」と果てしなく妄想するのもなかなか楽しい物だと思いますよ。 最後に現実に戻って比較さえしなければ。 >ポジティブになりたいです。 →「あの時ああしていれば」の妄想では、とてもポジティブでいらっしゃるように思えます。 ポジティブ思考の才能はお持ちのようなので、方向性をちょっとだけ変えてあげるだけで人もうらやむポジティブ人間になれる気がします。 「あの時[ああ]していれば、わたしはきっと[何か良いこと]なっていたんだろうなぁ」の後に「でも、あの時[ああ]していたら、もしかしたらわたしは[なにか良くないこと]だったかもしれないしなぁ」とネガティブになってみるとか? 反対のポジティブの反対はネガティブの反対なのだ。
- hanazake
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そしてまたいつか後悔ばかりしていた自分に後悔するんだよ。 考えるだけでなんとかなることならいくらでも、何日でも考えろ。 考えてもどうにもならないのなら考えるだけ無駄。進め。動け。働け。 岐路に立った時、道はいくつもあるだろう。けど、 結局そのいくつもの道の先はどこかでつながっているものだ。
- hosikage
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質問者さんの質問を読み終えた時、一冊の劇画が思い浮かびました。 楳図かずおさんの短編「夏の終り」です。 内容をよく覚えてないのですが、主人公の女性がバカンスで2人の男性と知り合います。 一人はいわゆるイケ面、一人は太ったぶさいくな男。 ある夜主人公は海岸でイケ面に犯されるところを太った男に助けられます。 主人公は外見でなく内面の優しさに惹かれて結婚します。 ところがこの男、主人公に対して優しかったのは最初のうちで、それから主人公は虐げられ続けます。 この男、裏表のある性格で、あくどく事業をすすめ社会的には成功しますが、所詮は冷血で浮気者でケチで最低の男だったのです。 主人公は絶望して、もう一度あの時に戻りたいと強く願い、崖から飛び降りようとしたその時、時間がもどり、あの夏の夜になりました。 主人公がイケ面に呼び出されて、海岸に行こうとした時に聞いたのです。太った男がイケ面に「あの女を犯してくれ、俺はどうしてもあの女が欲しいのだ。」と頼んでいる声を。 それから、いろいろあって、主人公はイケ面を選んで結婚します。 しかし、この男が真面目に働いたのは最初だけで、あとは仕事もせずにギャンブルや酒に溺れてしまい、なにかというと暴力をふるう最低の男だったのです。 当然、生活は荒さみ主人公は絶望して、あの時に戻りたいと、崖から身を投げます。その時に主人公は悟るのです。 もし、あの時ああだったら・・・・と思っても、所詮は同じ結果になるのだということを。 自分が選んだ人生は自分で切り開いていかなければならないことを。 質問者さんにとっても、今この時が唯一の現在なのですから、過去にとらわれずに、今が一番いいんだ!と元気に自分の道を歩いていって欲しいと思います。
- natuko_
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あの道、を選ばず、「今の道」を選択するのは運命だったのです。 過去にばかりすがりつくからネガティブというか、「今」に不満たらたらなのだと感じました。 私もそういう事がありますが、今の道を選んだから、 あの人や、この人に会えたと嬉しく思います。 質問者さんは努力や時間を割いて勉強をするなどして、何かを達成したことありますか? 一つでもあればさほど過去にしがみつくほど自信のない人にはならないよな、って思いました。 人の意見に左右されやすくて、自分が無い人なのかな、と失礼ながら思ってしまいました。
- BluesHeart
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>。「本当だったらああだったのになあ~」「今頃は・・・」ってあのとき「ああ」の道を選んでいたらどうなっていたかをシュミレーションしている自分がいます。 ○その選択のときに、現在の状況と現在にいたる全てのファクターをシュミレーションしましたか?結局、シュミレーションといっても「すごい幸せな生活」へ結びつける条件だけを並べたのではないですか? あぁ、それともA男とB彦のどちらと結婚すべきかまよってA男と結婚したら、B彦がとんとん拍子に出世して大金持ち、という話かな。 もし、B彦と結婚していたらあなたがB彦の足をひっぱってしまう結果になって、A男が出世したりして…。 こういうジョークを呼んだことがあります。 「ビル・クリントン氏がヒラリー夫人と歩いていたら、道路工事の作業員がヒラリー夫人に話しかけてきた。戻ってきたヒラリー夫人にビル・クリントン氏は『誰?』と訊いた。『中学校の同級生。そのころ私に結婚を申し込んだのよ』、『じゃ、結婚していたら今ごろは道路工事作業員の妻か』、『なにいってんの!彼が大統領よ』」というものです。 閑話休題。 1980年代(?)頃から、女性の自己実現は「今ある自分を具体化して実現するもの」から「“誰にでもある(?)ほんとーのすばらしい自分”を探すこと」に変質した。という社会評論もありました。 たしかに“何もかもが好結果をもたらす選択”を続けるひともいます。マスコミには取り上げられるのですが、大半の人はそうではありません。そのような特定のひとを羨んで一生を終わってしまったらモッタイナイですよ。 で、具体的な作業として… 1)近しい人達に「私ってどんな人」と聞いてみる。 2)それをもとに「得意なこと」をピックアップする。たとえ欠点でもそれを活かせる道はあるはず。 3)その道を目標に自分の判断で生活してゆく。 自分に与えた“自己イメージ”は、ふつうの場合“実際の自分”より良いものであることはわかりますよね。でも「敵を知り己を知れば百戦危うからず」といいます。「己を知らざれば一戦も危うし」ですから。 もうひとつのジョークを… 「教会へ懺悔にきた女性が『私、自分を美人だと思ってしまうのですが、これは罪ですか?』(7つの大罪に“自惚れ”があります) 神父サマは『大丈夫です。それはただの思い違いです。』」 では、お元気で
「ああ」は存在しないんです。 存在しない物に執着しても何も変わりません。 今幸せでないなら過去を後悔するのではなく、これからの 対処法を考えれば良い事ですよね。 どうやったって過去には戻れないですから。
>どういう考え方をしさえすれば健全な考え方ができるでしょうか? あの時ああしていれば……と、その時は気づかないほど未熟だった わけで、今はようやくそれに気づけるくらい成長したんだなぁ…… って感じでしょうか(笑)。私も後悔することはありますよ、でも、 どう考えても、あの時あっちを選べるだけの思考力がなかったし、 あっちを選んでいても人間として成長していなかったから、うまく 行かなかったと思います。 で、私はこう思っているんですが…… あの時ああしていなくても、もしそうなることが運命だったら、 どんな回り道をしても、結局はそこにたどり着くはずだ……と。
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