お金と人の心を天秤に掛ける事じたいナンセンスなのかもしれませんが、文学や映画、その他物語にはよくこの手の主題が取り上げられますよね⁈
文学やドラマといった娯楽は、庶民のものですから、どうしても生活の不安や苦労を忘れ、幸せに浸ることを作者が狙いとして描くならばそういうことになりましょうか。
けれども、人の幸せというのはお金に関係なく、不安のない状態、そこに希望に満ちた前途がある場合に感じることですから、お金の有る無しに関わらず生きるものは常にこれを感じる可能性を持っている訳です。
ホームレスが宝くじを拾い、見てもらったら10万円当たっていた。となれば、その時は当然幸せを感じることでしょう。
大富豪が一人息子を交通事故で亡くしたとしたら?
それは、家族に暗澹たる絶望を与えることでしょう。
幸せとは、スペースであり、自由であり、程よい活動です。
ただ、殆どの人は、いつもお金という不安と幸福の表裏に関わりながら生きている側面があることは確かでしょうね。
お金がないというのは、不安がついて回るものです。しかし、お金がないと思うのか?十分あると思うかは、各人の価値基準によって決められるとも言えますね?
月1億円を動かす会社の社長でも、今月は赤字だったということがあり得ますし、月の売り上げが200万円の小売店のオーナーが、今月は利益が約40万も出たぞ!!と安堵する場合もあるでしょう。
一喜一憂しながらも、前向きに夢や目標に向かって何かに打ち込み、家族や仲間と共に生き、また慕い慕われる関係を保ちながら、困難を乗り越えていけることのできる人は、端から見れば幸せでしょう。
しかし、幸せなどというのは、ふと過去を振り返りその人が抱く感慨に過ぎないのかも知れませんね。
或いは、他人が、他の時代の人たちが、過去のある時を生きた存在に与える評価なのかも知れません。
「貧乏だったけど、幸せだった」というのは、そこに他者との連帯、仲間との絆に支えられ、皆が貧しかった時代だからこそ不安もなく、幸福でいられた時代が確かにあったのでしょう。
今は、どれだけ豊かになれるか?どれだけ成功するか?といった中流階級意識に洗脳された世の中ではそうも言えなくなりました。
良い学校、良い会社、良い給料、良い住まい、良い服、良い時計、良い食べ物、良い車…どれだけ他者と差を付け、老後においても不安のない貯蓄ができるかが人生といった個人や家族の範囲に留まった社会の風潮は変わりません。他人からどれくらい羨ましがられるか?がとても重大な人生のテーマかのようなところもあるかも知れません(笑)
しかし、それは生きることへの不安の裏返しとも取れなくはありませんよね?
これだけ暮らしにお金が掛かるのですから、お金は、確かに安心を与えてくれる重大な要素には違いありません。それも含め幸せがとても複雑な、遠い存在になっていることも確かだと思われます。
少しの変化に喜びを見出すことが出来ることや少しで満足出来ることも、幸せに生きる秘訣かも分かりませんが、豊かさはより安心を与えてくれる要である以上、お金抜きには考えられないのも真実です。
ただ幸せはお金だけではないという表現が適切なのかなと思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。