- ベストアンサー
喪中が今月の25日までですが、神社に参拝出来ますか?
喪中が今月の25日までですが、神社に参拝出来ますか?
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
日本人の殆ど、自称マナー講師や常識化の殆どが間違っている知識。それが服喪に関するものです。 他の回答も触れていましたが「忌」と「喪」は違う物です。 よく死は穢れているから、一定期間は祭事が出来ないと言われます。 まずは、この「祭事」という言葉を間違って解釈しています。これは参拝を意味することではありません。一般の人で言うなら、祭りを見に行っても構わないが神輿を担いだり、手伝う事はできない。賽銭箱の外での参拝は出来るが昇殿参拝は出来ない(厳しく捉えている人は鳥居の外からだけ参拝します)…ということです。 死を穢れていると理解したのはイザナギ・イザナミの話によるものですが、イザナギは禊によって穢れを祓いました。すなわち禊ぎをすれば穢れはないのです。だから本来手口を漱ぎ、鈴祓いをうけるのだから、なんで穢れなんでしょうね。 「忌」は禊ぎまでの期間と考えて下さい。これは神仏混淆の習わしからともいえますが、最長で50日(仏教では故人が仏になるまでの49日)です。でも、これも明治になって神社庁が定めた期間であり、どこまで根拠があるかは不明です。 「喪」は悲しみの期間と考えてください。つまり社会復帰までの期間です。 だから人によっても違うし、亡くなった人との繋がりによっても違います。 国主である天皇がなくなったとき、子供は喪に服しました。昔は期間など決まっていませんから、すぐに国政に復帰する時代もあれば、何年も政をしない時代もありました。 でも天皇が喪に服していても行政は動いています。決まった事は役人が動かしているのです。天皇の承認を得る新規の事業ができないだけです。 それでもあまり長いと国政にも影響が出るので、一年と定めただけ。民間の「一年」はそれに習っただけです。 喪に服すとは仕事もせず、喪を纏って悲しむ期間です。一般人が一年も喪に服す事など出来ません。だから形式的に年賀を出さないなど体裁をとっているだけです。 つまり、もし当事者が悲しみで仕事も手につかないというのなら、1年でも2年でも「喪」ですが、喪中葉書を出しながら、それまでにカラオケ行ったり買い物したり、宴会や旅行に行ったり、初日の出だおせちだなどと言っているなら、それこそ本末転倒の非常識というものです。 それに神社はダメだけど寺はいいという人もいますがこれも間違いです。(長くなるから省略。でも神社も寺も慶事も葬儀もするでしょう。穢れてダメなら神主は葬儀ができないことになります) 親が神仏の世界に戻って行ったのに、神仏の元に飛んで行って、「よろしくお願いします」とお願いしない子供は親不孝だとは思いませんか?友人や親戚でも情が薄いとは思いませんか? 根拠よりも形式や迷信を重んじるなら25日まで我慢しましょう。 でも道理を重んじるなら、25日が忌中(50日)であるのなら、昇殿参拝や神札や御守りなどの受け取りを避けましょう。年賀の参拝(初詣)というのも変ですよね。 普通の参拝なら、きちんと手水で清めて、通常通りに参拝すればいいのです。 厳しくとっても鳥居の外で参拝し、喪があけてから賽銭を入れれば充分です。 これは今は個人的見解です。しかし複数の神職の方に理解いただいていることでも有り、近年では似たような主張をする寺社のサイトも見受けられるようになりました。
その他の回答 (3)
神仏はたかが人の「喪中・忌中」で小言は言わぬ。 参拝、多いに結構。
- poolisher
- ベストアンサー率39% (1467/3743)
宮司さんが書かれたコラムです。 http://d.hatena.ne.jp/J-Ishizuka/20081228 喪中と忌中は違うそうです。 神社の基準は忌中で、同居していない場合は喪中であっても忌中では ないということだそうです。
- 風車の 弥七(@t87300)
- ベストアンサー率24% (1392/5660)
25日を過ぎたら大丈夫です。 神様は死者を嫌います。 喪中は避けてください。
お礼
大変参考になりました。 昔のマナーと最近のマナーが簡素化したりで どちらが本当なのか考えてしまいますが? このようなサイトがあることを、昨日しりました 早速回答があり、すばらしな~と感激しております。 また、私が知りえる情報は回答したいと思います おりがとうございました。