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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:あけましておめでとうございます。新年早々から質問させて頂きます。 )

何のために生きていると思いますか?

このQ&Aのポイント
  • 私は人生は魂の修行だと思っています。だから不条理なことがあっても、今世ではこれを乗り越えるために与えられたんだと解釈します。
  • 目に見えない存在は信じており、最近は本当に自分が生きているのではなく、生かされているんだと感じることが多くなってきました。
  • 皆様はどう思われているのか気になり、質問させて頂きました。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#210007
noname#210007
回答No.3

私は神はこの世でたった一つだと思っています。 私の信じる神は唯一つ、この大宇宙大自然を創造なさった力。 そしてその神(力)は人のみ成らず、この大宇宙に存在する全ての物に平等です。 草木にも動物にも人間にも多くの微生物にも・・・全てに喜びと試練を与えます。 私の信じる神は特定の人だけを助ける事はしません。 大自然の猛威や精神的・身体的な苦痛苦難。 人間以外の物はそれを甘んじて受けその苦難と闘うか、自然にそれが通り過ぎるのを待つしかありません。 ところが人間には思考力がありますから、遂自分が困難に遭うと闘うのでなく、そこから逃れようとします。 その一番手っ取り早い手段や逃げ場所が宗教です。 勿論宗教が悪いとは言いません。 私も何度か宗教に頼ろうとしたこともあります。 ただ私には特定の宗教は信じられませんでした。 私は諸々の宗教はある頭の良い人が、 仏教だ、キリスト教だ、イスラム教だ、創価学会だ、エホバだ、成長の家だ、稲荷だと固有の神を創り上げ、 それに賛同する人達によって創造された思想だと思っています。 だから私自身は特定の宗教に帰依することはしません。 私の信じる神は、全てに平等に試練と喜びを与える、大自然大宇宙の創造者のみです。 この考えに至ってからは、身に振る不幸は神(大自然大宇宙)から与えられた試練として素直に受け、 他の植物や動物などと同じく、自然(試練だった喜びだったり)に感謝しながら、たった一度の人生を力強く生きるつもりでいます。  両親や夫の死など、61年間色んな苦しみや試練と戦いながら、頑張って生きて来ました。 それはやはり質問者様が言われるように、修行だと信じているから耐えられたと思います。 一つの修行に耐えたら、その苦労に匹敵するご褒美の喜びを得、また次ぎの困難の修行をと、繰り返しながら人生の終着駅に向かって生きて行くと信じています。 今は失った両親や夫の愛に負けないくらい、彼らの残してくれた子供や孫から深い愛を貰い、 なくした物に負けないくらい多くの喜びも得ながら生き続けています。 これからも不平不満で自分を見失う事の無いように、修行を頑張りたいと思っています。

mymelopon
質問者

お礼

沢山の人生の修行を乗り越えて、今を生きているんですね。 素晴らしいです。 特定の宗教の主を讃えるより、自然や宇宙を見てみろ!といいたいですね。 人間なんて本当にちっぽけなものであると感じます。 人間が1位の世界ではなく、共生しているんだという意識の方が増えていけばいいなあと感じています。 私にもこれからたくさんの試練が待っているんだと思います。 でも、それに屈することなく、ありがとうございますという気持ちを忘れずに1日1日を大切に生きていきたいです。 ありがとうございました。 kokoro2006さんにとって良い一年になりますよーに★

その他の回答 (4)

  • hi-sekai
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回答No.5

何のために生きているのか? 難しい問題ですね。 私は生きること自体に特別な意味はないと思います。 しかしこれは「生きることは無意味」という意味ではありません。 人間が生きることに特別な意味があるという事になると、 不幸にも生まれてすぐに亡くなってしまった子の生まれて来た意味はどうなのでしょう。 世界には日本人が想像もつかないような貧しさや不幸の中で生きている人もたくさんいます。 日本でも昔は戦国時代など二十歳にも満たない年齢で戦場に繰り出されて亡くなった人も多くいるでしょう。 今の日本でごく普通に(世界的レベルから観るとすごく幸せに)生活している私たちと そのような人達と同じように「生きることに意味がある」と行ってしまうのはあまりにも重いような感じがします。 それこそ不条理なのではないでしょうか。 その不条理さに比べれば、私がぶつかるであろう困難は全く問題ではありません。 『西遊記』の中に孫悟空が金団雲(きんとんうん)で自由にどんなに遠くに行こうとも、 それはお釈迦様の手の届く範囲でしかなかった、という場面があったように思います。 大抵の悩みや困難は(孫悟空が暴れるように)大げさに考えても、 冷静に考えれば狭い世界で悩んでいるだけで(お釈迦様の手の届く範囲でしかない) 広い視野で見れば思ったよりも大げさなことではないのではないかと思います。 では「生きること自体に特別な意味はない」のに何で生きているのか? 生きること自体が責任とも言えます。 私たちが今生きているのは祖先が過去に何代にも渡って命をつないできたからです。 人間という枠を超えれば地球の歴史と同じぐらいの永きに渡ってつながれた命です。 そう考えると無駄には出来ません。 私は映画の『男はつらいよ』が好きなのですが、 その作品の中で、甥の光男が寅次郎に「どうして人は生きるのだろう?」と質問する場面があります。 そこで寅次郎は 「生きているとたま~に『あ~、生きててよかったなぁ』と感じることがあるだろう。  そのために生きているんじゃないのか。」 と答えます。 私はシリーズ屈指の名言だと思うのですが、 つまらないと思える人生や不条理と思える世の中にあっても 小さな幸せを大きな幸せと感じれることを楽しみとするために生きているのではないかと考えます。 「人は皆平等」とは、めざす理想であって実際には平等ではないと思います。 平等ではないからこそ、社会システムは平等であることを目指すのだと思います。 そのような話ではなくて、 例えば、Aさんは美人で(かっこよくて)モテるけど、Bさんはぜんぜんモテないとか、 Cさんは家が金持ち暮らしが楽だけど、Dさんは貧乏で苦労ばかりしている、などなど、 いろいろありますよね。 これらも「皆平等」を前提に考えると不条理に思えますが、 「人は皆違う」と考えると素直に受け入れられると思います。 みんな違ったそれぞれの個性があるから世の中が楽しいのではないでしょうか。 「あ~、生きててよかったなぁ」と感じるのは「人は皆違う」からこそ いろいろな「生きててよかったなぁ」があるのだと思います。 恵まれていないからこそ、工夫もして頭も使い、 たくさんの「生きててよかったなぁ」を発見するでしょう。 その意味ではトータルで考えると「人は皆平等」と言えるのかもしれません。

mymelopon
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私もトータルを含めての人は皆平等だと感じています。 hi-sekaiさんにとって良い一年でありますよーに★

回答No.4

僕の彼女の弟が昨年末他界しました。 23歳の若さで白血病によって。 僕は彼が亡くなった時、人は皆平等ではないなと 思っていました。 しかし、お通夜や告別式を通して考えは変わりました。 彼は、友達を何より一番大切にしていました。 自分のことよりも友達のことを考えて行動し、 他の人から見れば生き方が不器用に感じられるくらいでした。 しかし、彼の友達の話を聞いていくうちに、 彼は23という短い人生の中で彼の友達に対して 少なからず影響を与えていたのだなと感じました。 短かったけれども友達を大切にしていた彼にとっては充実した人生だったかもしれません。 本人には抗えないような理不尽なことが起こることはあります。 しかし、生かされているのではなく自分の意思で生きているからこそ、 自分の人生が他人に影響を与えることができ、 それがこの世に生きた証になるのではないのでしょうか。 たとえ与えられた試練や境遇は人によって違うかも知れませんが、 その中で自分がどう思って立ち向かっていくかが重要ではないかと思います。

mymelopon
質問者

お礼

彼女さんの弟さまのこと、御愁傷様です。 人の生き様からの学びは素晴らしいですよね。 お若くても素晴らしい生き方を、たくさんの人たちの胸に残せている弟様は素晴らしいと思います。 私のリミットはいつかわかりませんが、それまで与えられている時間を一生懸命生きていこうと思います。 ご回答ありがとうございました。 tkmsspeaksさんや彼女さんにとっても良い一年でありますように。

回答No.2

明けましておめでとう御座います。 21歳なのに随分と達観された物の見方をされていますね。 すばらしい考えだと思います、私も見習わないと(笑) 世の中不公平ですよね。 で、誰もがわかることだけど納得はひどくしがたいものだと思います。 私の場合は、人には人の領分というものがあると考えております。 例えばあの人に比べて私はAが無い。 この人に比べてBという現象が起こらない。 そこで受け入れられない人たちは劣等感だの嫉妬心だのを起こしますが。 さて、最初から何故ほしいものが手に入らないかといいますと―― 私はこう考えます。 その物事:事象が「最初から自分には必要としてなかったか」「必要とされてなかったか」 ただどちらかなのかなと思っています。 確かに生まれ付き恵まれてる人も、 家庭環境が素晴らしい所もありますよね。 だけど、恵まれてる人というのは(必要とされるのは)それなりに影で努力をしています。 状況を保つために、ほしいものを離してしまわないように。 つかんで離さない努力。 最も努力というよりは、最初から比較的手が伸ばしやすい環境だと途中から「楽しく」なる「当たり前」の行為になると思いますが。 逆に手を伸ばしても伸ばしても手に入らない人だっています。 掴んでも掴める距離に無い人もいます。 この場合世の中は不公平だと断言できますが、 手に入らないなら入らないなりに又、理由があるのだろうなと。 一つ目は:自分が必要としてなかった 二つ目は:自分に手に入れられる力も価値も無い 三つ目は:向こうから必要とされていない ただそれだけのお話なんでしょうね。 自分の中のモヤモヤや不公平な世の中を恨み憎む気持ちから、此処まで行き着くのに相当な時間を要しました。要は割り切って考えるほど。 何よりも、不公平を叫ぶよりまず自分の「与えられているもの」をこれ以上なくさないようにつかんでおくこと。それに気がつけたなら自然とそういう気持ちは失せるのだと思います。 私もそうやって楽になれました。 ひどい主観の上、長文で申し訳が無い。 どうぞ今年がmymeloponさんにとってよいお年でありますように。

mymelopon
質問者

お礼

不公平を叫ぶよりまず自分の「与えられているもの」をこれ以上なくさないようにつかんでおくこと その通りですね^^ 不平不満を嘆く前に、自分自身を見つめてみろ!と自分に喝を入れたいと思います。 ご丁寧な回答ありがとうございました。 心がほっこりしました^^ hamaki1978さんにとっても良い一年になりますよーに★

回答No.1

私の答は子供を作って私よりも立派な人物をこの世に残すためです。  私は教師ですので私よりも立派な後輩の教師を育てたいと思いますし、教え子に私よりの素晴らしい人生を送って貰いたいと思います。  貴方がご両親の同じ年代の時よりも幸せならご両親は立派な人物だと思います。  貴方のお子さんが今の貴方と同じ年になったとき貴方よりも幸せな人生を送っていれば貴方の生きた価値は十分にあると思います。  頑張ってください。長い人生です、まずは一生の伴侶を見つけることが何より大切切です。  命短し恋せよ乙女です

mymelopon
質問者

お礼

貴方がご両親の同じ年代の時よりも幸せならご両親は立派な人物だと思います。 というお言葉、考えさせられました。 私は幼いころから両親には本当に良い思いや学びをいただいてきたので、自分も後世にそのような人たちをたくさん残せるような人間になりたいと思います! 一生をともにする伴侶を見つけるのは難しいですね。。。 良い方を見つけるために頑張ります! ご回答ありがとうございました。 papabeatlesさんにとって良い一年でありますよーに☆