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宇宙の膨張速度について

宇宙論の本によると、宇宙の膨張速度は光速を超えても差し支えがないと書かれていますが、そうすると、銀河が光速を超えて移動することになり、相対性理論(物体の速度は光速を超えられない)に矛盾するように感じるのですが、どこの理解が間違っているのか分かりません。 どなたかご教示頂けると幸いです。 宜しくお願いします。

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  • sanori
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回答No.1

こんばんは。 よくぞ気づかれました。 光速を超えた銀河からの光は、観測者のところに届きません。 よって、観測者にとって、光速を超えている銀河は見えません。 すなわち、観測者にとって光速を超えている銀河は「存在しない」(ように見える)ということです。 ですから、‘矛盾’はしていません。 ただし、厳密に言えば少し違うようで、単純に光速になるかならないかのところが境界線になるわけではないようです。 (記事の後半を参照) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8B%E8%B1%A1%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%B9%B3%E9%9D%A2 ご参考になりましたら幸いです。

app2app
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 wikipediaの「宇宙の地平線」の説明は私の知識レベルでは理解が難しい部分がありますが、特殊相対性理論と一般相対性理論で、物体の速度の扱いに違いがあることは認識しました。疑問を一つ解消することができました。ありがとうございました。

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  • isa-98
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回答No.5

>時間と空間のダイナミックなつながりを正しく把握しないと、 宇宙の構造を正しく認識できません。 まさしくその通りですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99 465億光年が正しい定義です。 定義の明確化が無ければ理想的な思考に到達できません。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6 時間を哲学せよ。 空間を哲学せよ。 哲学で言う、哲学にも、天文学にもなっていない。 と言う帰結です。

回答No.4

時間と空間のダイナミックなつながりを正しく把握しないと、 宇宙の構造を正しく認識できません。 「宇宙の果て」が『果て』なのは、そこが137億年の歴史を持つ 宇宙の、137億光年先=137億年前の姿だからです。 そこはビッグバン開始時の点であり、実際、強烈な輻射が (光速に近い後退速度で間延びして)観測されています。 その『果て』からこちらを見れば、こちらが137億光年前の、ビッグバン当時の姿=果てなのです。 すなわち、宇宙のどの地点においても、必ず観察者を中心に宇宙年齢光年の半径の宇宙が見えるのです。 (どうやって「端っこ」に行きますか?) その爆発によって噴き出した宇宙の一番「端っこ」は、あなたのいる所です。 また、その137億光年向こうに立って見ると、あなたの立っている所が、137億年前の姿=「爆発の輻射」の壁の一部に見えるのです。 その「自分を中心とした半径137億光年の球面」は、ビッグバン開始時の点であり、「ここ」も含まれているのです。 「こっち側」は、時間的に収束していますが、「むこう側」は、空間的に収束し、両端で点に収束していて、そんな葉っぱのような形を張り合わせて地球儀を作るように、この宇宙も球の表面(ただし四次元空間における三次元球面)のように果てはないのです。 本来、ビッグバンの慣性で膨張しているのであれば、重力によって減速して、その「宇宙寿命光年先のビッグバン当時の輻射」は、晴れ上がってもいいのですが、ずっと見えている不思議に対して、「加速している」とか「ビッグバン初期に超光速で飛散した」とか、諸説が唱えられています。 しかし相対論的にも量子論的にも、“相互作用できない存在性”に考える事は無意味であり、認識との相対において宇宙が生じる=自己(現在/感受/光速)から過去(記憶/時間/超光速)と未来(予測/空間/光速下)が対発生していると考えれば、その基底としての時空が広がる(時間経過=空間膨張)のは当然のことです。 全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限につめこむと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限のゼリーの中に、仮想的な認識体の断面を切ると、その認識体にとって、相補的不確定性を伴う存在による宇宙が見えます。 しかしその「存在」は、認識される階層的現象の表面的に生じるもの(自我仮説に対する相補)で、根源的に絶対化しようとすると、元の無限不確定性に発散します。 我々は「過去は既に終わっている」「未来はまだ来ていない」ので、「存在するのは現在」と考えますが、真の『現在』とは、認識体の感受表面での量子相互作用(光速)のみであり、その経験(過去=超光速)による予測(未来=光速下)として時空的広がりは発生しているのです。 認識性を除外した存在は、無=無限不確定性になります。 その無限の闇に、認識体の仮定断面の運動(プランク定数hの収束の時系列化)を想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体はその光の向うに、自我仮説の補完としての時空仮説=宇宙を認識します。 即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補として生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」という無の射影として、存在は生じていると言えます。 無いとは分からない事が有なのです。 だから「その外」は、何もなくて当然です(元々無いのだから)。

app2app
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 只、残念ながら、私には全く理解不能です。(特に、後半部分)

  • Tacosan
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回答No.3

残念ながら, 相対性理論は単純に「物体の速度は光速を越えられない」とはしていません. より正確には「情報の伝達が光速を超えない」, つまり「情報を伝えることができないのであれば, (真空中の) 光速を超えてもかまわない」のです.

app2app
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。 「情報を伝えることができないのであれば」とは「我々が観測できないのであれば」と同義と理解しましたが、一方で、wikipediaの宇宙の地平線の説明によれば、超光速で遠ざかっていた天体が1000個程度観測されているとあり、どうも良く分かりません。

  • isa-98
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回答No.2

>銀河が光速を超えて移動することになり 地球は止まってます。 向こうの銀河も止まってます。 その間の空間が光速を超えているのであって物体は止まってます。 くーかんは物質違うし。ーー; つまり、Aと言う国があり、海があってBと言う国があります。 その海がうねうねしているだけなのです。 いくら海がうねうねしても、A国もB国も関係ないんです。 つ^_^)つ A国もB国も同じ位置にあります。 海だけがどんどん大きくなるんです。