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他人を愛するか敵対的にみるかの違いを分ける心理

他人を愛するか敵対的にみるかの違いを分ける心理。教えください。

みんなの回答

noname#132831
noname#132831
回答No.4

 「自分の心理を参考にして、相手の心理を推し量る」しかないのです。誰だって、そうしているはずです。相手が敵対的に見えるのは、自分が他者を敵対的に見るからです。愛するとは、ある意味、共感することです。愛するとは、その人の身になって考えることです。想像力の問題です。  何らかの理由があって、そうしているはずです。意識していると無意識にかかわらず。誰だって「自分は正しい」と思っています。ちっとも正しくなんかなくても、「自分は正しい」と思って行動しているので正常です。そこに想像力を働かせて、共感する可能性が生まれます。しかし、残念なことに、私たちとかけ離れた人たちの心理は想像できないこともあります。「住む世界が違う」と言ったりします。  zseRFVさんは、自己流で何とかしようとし過ぎのようです。ちゃんと、心理についてもある程度の教科書はあります。「投影」「抑圧」「反動形成」「合理化」などです。  「こうであらねば」という思い込みが、「ありのままに見る」ことを阻害しています。運の悪い人がいれば運の良い人もいる。勝つ人がいれば負ける人もいる。何の不思議がありましょう。「くやしさ」がそうさせないのです。  私たちは一つの現実の中で生きているように思えますが、正確に言えばそうではありません。私たちはどんな人でも現実をいったん自分の脳の中に取り入れて、そこに生まれる自分なりの世界の中で生きています。物理的に同じ出来事に出会ったときでも、その人なりに感じ方や受け止め方が違うのはそのせいなのです。例えば、目の前に犬がいるとしましょう。ある人は「かわいい」と思い、ある人は「怖い」と思い、ある人は犬に気づきさえしないかもしれません。物理的な状況は一つなのですが、その人それぞれにとっての現実は、いつも他人と同じ現実とは限らないのです。私たちは生まれてこのかた、目の前で起こる様々な現実を「体験」として自分の中に取り入れ、自分の世界を作ってきました。私たちは今やそれぞれが違った現実を抱えて生きているというのが本当のところです(他の人にはこのような違いが「個性」として映るでしょう)。心理学の世界ではこのようなその人の中の現実を「物理的な状況」とは区別して「心的現実」と言っています。私たちがお互いに世界を共有できるのは、社会常識や国民性といった基本的で共通した体験基盤を持っているからであり、人間同士として気持ちを共感しあえる優れた能力を備えているからです。  この回答を読んでも、「偉そうにしたいだけ」と受け取る人もいれば、gadgetdesuさんは「思いやりがある」(笑)と受け取る人もいます。(実際のところは、どちらでもありませんけどネ) 「」

参考URL:
http://www.katotaizo.com/lecture/index.html
  • urt5342
  • ベストアンサー率14% (3/21)
回答No.3

他人との距離を上手く取れるか・・・が カギだと思います。 他人に必要以上に感情移入してしまう、 相手への気持ちが 自分への気持ちとのギャップに傷付く・・・ など 逸脱しやすい傾向があると 愛情から敵対に変化するのではないでしょうか? 見分け方・・・悪意に取る時点で愛情より敵対に感じますね・・・

  • sMcA
  • ベストアンサー率12% (7/57)
回答No.2

愛は喜びどんな事でも分かちあえる 敵対はなんとも思わないおもうのはどうやって なになにしないか?なになにするかすこぶる冷静 だとまわりを見ていてわかった 恋人どうしでなくとも仲間うちでもよくありそうです

  • kametaru
  • ベストアンサー率14% (339/2313)
回答No.1

可愛さ余って憎さ百倍。

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