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変身(ヒーロー)
1970年代に変身するヒーローの一大ブームが巻き起こり、下火となりながらも、それは根強く現代にまで引き継がれていると思われます。 その理由は一体何でしょうか。 そもそも、なぜヒーローたちは平素の顔との「二重生活」を送らなければならないのでしょうか。 また、以前にも古今東西において様々なヒーローがいたと思います。 ただ、彼等も毎度の如く変身していたのかどうか。 むしろ、変身していなかったケースが多いのではないかなと、漠然と思っております。 もし、両者に違いがあるとすれば、一体どのようなところなのでしょうか。 作品の具体例、その時代性、性差などを考察した上でのご回答をなるべくお願い致します。 神話から文学、演劇、アニメなど、ジャンルは全く問いません。 どうぞよろしくお願い致します。
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通過儀式に類似しているかも。 いろんな民族がありますが、通貨儀式をする際は、普段とは違う格好をするんです、どこも。 例えば成人式。 普段と違う格好をしますよね。 どうしてか。 未成年と青年の間の境界線は、目では見えませんよね。 その目で見えない境界線をまたぐとき、どうするかというと、普段とは違う格好をするんです。 異装とか。 インドの宗教のなんでしたけ? 忘れましたが、その人たちは肉体的には男なんですが、女装をします。 女装をすることで、特定の権利を行使できる とか そんな感じ。 キリスト教の上位の聖職者も公の場で式典などをするときは、マタニティードレスを来て女装しますよね。 創造する者・生み出すに変身してその権力を行使する権限を得たってわけですね。 他だと、裁判官は人を裁くときに、裁判官の服装をしますよね。 これも異装。 このことによって、裁く者と一時的になるんです。 人を人が裁くわけですが、同格なら裁けませんよね。 だから超越した存在となるために、異装をするわけです。 境界線をまたぐために異装をする。 考えてみれば、普通に生活していて、おかしいと思ったら、やっつけちゃえばいいわけです。 変身をしなくても そのまま。 でも野獣のように暴力を行使したり、やっつけるにあたって殺しをしたりとかすると、罪ですよね。 でも 人間を超越した存在なら、人間の法律は適用されない。 そのために、変身するんじゃないか と。 昔非人というランクが日本にありましたが、人ではないという意味でけだものって意味だけじゃなくて、人と神の中間に位置するものなので、人間では裁けない って意味も含む。 したがって、その土地に慣習とか仕来りを守らなくてよかった。 超越した存在だったので、柿色の衣装に高下駄を履いており 一目で人間以外のランクの人ってわかるように異装をしていた。 現代だと、、、 ある友人は、ほんとかどうか知りませんが、突然お好み焼きが食べたくなり、アメリカ大使館の車でお好み焼きを食べにいったそうです。 店の前にどーんと車をつけたそうです。 「誰も取り締まれないので ゆっくり食べれば」って笑って話してました。 これはやはり 異装・変身の一種じゃないか と。 (ご存知だと思いますが、治外法権なので日本の法律が適用されないんです。 取り締まりたかったら、アメリカ政府に文句を言うしかない。) 水戸黄門はわかりやすい勧善懲悪ものなので人気ありますが、この人の場合、もともと人を殺す権利を有しているのかな? 変身しませんね。 印籠という殺人許可証を見せることで、人を殺しても罪に問われないってなるのかも。 昔は武士は勝手に町人を殺してよかったそうです。 で、殺された町人の子供は、あだ討ちの許可をもらう つまり殺人許可証をもらうことで、町人でありながら武士を殺せた。 あだ討ちの相手に出会うと、宣言して殺したそうですが、異装はしなかったんじゃないか と。 ドラマだと 頭に鉢巻つけてますね。 他に変身しないものとして、ジェームズボンドを書いたイアン・フレミングス。 MI6のメンバーだったので、殺しのライセンスをメンバーにいる間だけは持っていた。 変身しませんね。 私がはまってシーズ5まで買ってしまったニキータ。 彼女も変身しません。 彼女の場合、影のように動くので一般人には殺しのランセンス保有者だとはわからない。 普通の生活をしていて、指令が来ると殺し屋になる。 普通にショッピングモールとか歩いて買い物をすることができるのは、女の顔を見たものは、死ぬか一生閉じ込められるので、外で普通の彼女に会うことが無いからじゃないかと。 一人普通に歩いていて強盗に襲われた人がいて、見殺しにできず救ったことがある。 そのとき被害者は見てないが、ある家の窓から人が彼女の只者ではない格闘を見ていたんです。 それで、警官に連絡がいって、一気に連続強盗だか殺人だがを解決できるとして探し出して証言をしろと迫ったのですが、「なんのことでしょーか 私には一切かかわりが無いことでござんす」とバックレ続けた。 警官はなんで協力しないのかわからず、後をつけて彼女の正体を知ったわけです。 家を訪問した時の彼女は、普段着でどこにでもいるねーちゃんなのに、外出するときはすごい洗練されたモデルのような格好。 美術館で「おやえらくめかしこんでるな」と警官が声をかけて「やば」ってなった。 なぜならその美術館で、メンバーと任務を遂行している最中だったから。 警官邪魔。 とうことで、メンバーに連絡して拉致監禁。 正体を知った以上 メンバーになるか 死ぬかの選択を迫られた。 どっちも一緒です。 メンバーになるってことは死人になるってことだから。 あ、、、変身ですね。 彼女は任務を遂行するときは、モデルのような衣装を身に着けます。 法律で裁けない人に変身するってことですね。 だって彼女は現実には存在しないことになっているから。 メンバーになったとき、死亡届けが出されて、墓もたてられている。 この組織を出るときは死ぬとき。 組織によって用済みとなったときも、組織に殺され死人になるが、遺体は処理されるので、「とっくに死んだはずの人が何故死んでる」とはならない。 女性の化粧も、芸能人の着飾りを 一種の変身することで、別なものになるって意味を含む。 差が大きいほど、普段とかかけ離れた存在になるってことですね。 狂言もそう。 神のようになるってことで、異なる衣装・異なるしぐさ・異なる音を出すわけです。 歌舞伎もそうですね。
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#3さんは長かったですが、そうだと思います。#4さんもそうだと思います。 古いですが、昔の甲斐バンドの歌にありますよね? ・ヒーロー、ヒーローになる時、(あ~あ~)それは今~!。 ・ヒーロー、ヒーローになる時、お前を、放しはしない~!。 みんな、好きな女に子のヒーローになりたいんですって。的外れだったら、御免なさい・・・・
お礼
ddtddtddt様、ご回答をありがとうございます。 >・ヒーロー、ヒーローになる時、(あ~あ~)それは今~!。 >・ヒーロー、ヒーローになる時、お前を、放しはしない~!。 >みんな、好きな女に子のヒーローになりたいんですって。的外れだったら、御免なさい・・・・ うんうん、なるほど、そうですよね。 何だか、とてもホッとするご回答を頂けました。 多少なりとも、女の子の目を意識して雄々しくたたかうヒーローのほうが、どこか自然でしっくりきますもの。 大御所甲斐バンドのメンバーだって、音楽に目覚めた頃、多少は女の子に格好良く思われたいしモテたい、なんていう邪な?願望が少しはあったと思うのです。 そう思うとですね。 なまじ地球の平和のためだけに、女目線をストイックなまでに無視して戦うヒーローというのも… …何だか急速に色褪せてくる気も致します。 ああ!
- 柊 うろん(@uronly)
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えと思いつきですが 観ているヒトたちが およそ一般人だからでは? 常人は「変身でもしないと悪を倒すためのスペックが得られない」ので ヒーローに「憧れ」では無く「共感」を求める系の需要があるのかと☆
お礼
uronly様、ご回答をありがとうございます。 >常人は「変身でもしないと悪を倒すためのスペックが得られない」ので はい、そうですね。 常人にとって「悪」を倒すというのは、難儀なプロセスを経るというのも、至極当然かもしれません。 >ヒーローに「憧れ」では無く「共感」を求める系の需要があるのかと☆ なるほど、社会悪を倒すことに憧れるのではなく、「共感」を求める需要に着眼なさったのですね。 ウルトラマンはご存知ですか。 あのプロット、とても良くできていると思います。 天上界と地上界、ユートピアと非ユートピア、異郷性、禁忌(変身場面を容易に見せない)等々。 でもまさか、あの顔が「弥勒菩薩」、スペシウム光線を放つ様が「仏像」を意識したものだったとは、幼き心に思いも及ばず。 逆に一連の怪獣は、西洋中世ゴシックのガーゴイル系のようにも思えます。 派手な破壊を伴い怪獣を倒したあとのカタルシス、澄みきった青空は、観る者に共感を抱かせたのではないでしょうか。 そういえばあの頃は『ノストラダムスの大予言』という終末論が、大いに流行った時代でもありましたっけ。
- cyototu
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>以前にも古今東西において様々なヒーローがいたと思います。 ただ、彼等も毎度の如く変身していたのかどうか。 むしろ、変身していなかったケースが多いのではないかなと、漠然と思っております。 いいえ、1970年代どころか、変身型の英雄は昔から幾らでもいて、大変な人気でしたよ。ほんの少しの例を挙げると、 鼠小僧次郎吉(1832年処刑) 遠山金四郎景元(遠山の金さん:1793年~1855年) 鞍馬天狗(1924年より活躍) 外国では怪傑ゾロが1919年から、そして、スーパーマンが1938年から大活躍しています。 ヨーロッパの英雄は調べておりませんが、この調子だと、もっと古くから世界中に幾らでもいたのではないでしょうか。文化に余り依らず、何処の国でも一般大衆が喜ぶ英雄の一つの型なのでしょうね。
お礼
chototu様、ご回答をありがとうございます。 >文化に余り依らず、何処の国でも一般大衆が喜ぶ英雄の一つの型 なるほど、昔から変身型の英雄は結構いたのですね。 ご教示、ありがとうございます。 「鼠小僧次郎吉」は、悪戯をはたらくトリック・スターといったところでしょうか。 刑情に向かう際、紅をさし着物を着けるあたりなど、何とも「異質」で遊び心が感じられます。 どちらかというと利己心に基づくであろう常軌を逸脱する一連の試み。 トリック・スターはのちに、新たな文化や社会の再活性化をもたらすとされています。 混沌から創造へ。 「鞍馬天狗」の元はやはり「能」でしょうか。 牛若丸という英雄に伝授する天狗という「師弟の関係」も、英雄同様、今も昔も歓迎される型なのだと思います。 主観で恐縮ですが、アメリカという国は不思議なもので、その自由なイメージとは裏腹に、ストイックなまでの健康志向(歯列矯正など)、幼少時よりの性差(男の子らしさ、女の子らしさ)の価値観を押し付けるなど、厳格で独自の規範が存在するように思うのです。 そして、1930年代後半に生まれたスーパーマンはアメリカの男らしさ、強さの象徴のように映ります。 では、今のアメリカを象徴するヒーローとは、一体何だとお考えでしょうか。
補足
今、気付きました。 cyototu様のお名前を間違ってしまいました。ごめんなさい。
以下の前置きの挨拶はヒーローの決め台詞みたいなもんです。 意味がないので気にしないでください。 ≪バター犬にえさです≫ 大人として他人様を悪党呼ばわりするのは礼節に反する。 よって、ストレス解消の対象たる悪人はテレビの中だけであり、変身することで自らを仮の存在と規定してしか悪人に憂さ晴らしできない。 そんなストレス解消に変身です。 なぜなら「悪」は観念上に想定された存在で実在しないからです。
お礼
primeape様、ご回答をありがとうございます。 当時は「ウルトラマン」や「仮面ライダー」など、一連の変身する正義の味方が登場し、こどもたちはこぞっておもちゃを買い求めたかと思います。 今はいかがでしょうか。 >ストレス解消の対象たる悪人はテレビの中だけであり はい、ということは、 テレビを通じて当時の大人たちがそのようなメッセージ性を伝え、こどもたちもそれを受け取っていたことになります。 当時こどもたちだった世代は、今の番組制作の中心的役割を担っていると思われます。 ですが、あまりこの手の番組は、かつてほどに人気がないように感じます。 何故なのでしょう。 >変身することで自らを仮の存在と規定してしか悪人に憂さ晴らしできない。 なるほど、仮の存在と規定すれば、思う存分手加減なく、憂さ晴らしが出来ますね、納得です。 >「悪」は観念上に想定された存在で実在しないからです。 つまり、観念上の「悪」を具現化したなれの果てが、一連の怪獣たちや仮面ライダーのショッカー軍団だったということになりましょうか。 「巨大化」「街の破壊」など、象徴としての興味も尽きません。 今のこどもたちのヒーローとは、一体何だとお考えでしょうか。
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お礼
kigurumi様、ご回答をありがとうございます。 たくさんご教示くださって、嬉しい悲鳴をあげております。 だから、ちょっと、お時間を下さい。 補足欄よりお礼を記させていただきますね。 ほんとうに、ありがとう。
補足
ただいま帰宅致しました。お礼が遅くなってごめんなさい。 >通過儀式に類似しているかも。 >その目で見えない境界線をまたぐとき、どうするかというと、普段とは違う格好をするんです。 >異装とか。 はい、納得です。 変身(異装)することにより、人間を超越した異形が誕生し、そして人智の及ばない力をもって荒ぶるわけで。 そもそも「装うということ」は、とても文化的な営みなのですよね。 人間は──自らの身体と自然との、なにがしかの境界線を引かずにはいられなかったのかもしれません。 装いには、自然に対する畏怖の念や呪術的な意味合いも込められ、儀式という形からは、どこか≪共同体的≫な意味合いも感じ取れます。 かくいう現代の私たちだって、いかにも自分の個性で「自由に」装っている気がするけれども、 そんな「自由なこだわり」なんて、差異化のようでなんてことはない、単なる≪集団との同化≫に過ぎないのですよね。 装いが自他との関係に成り立つ以上、あまりに逸脱した格好では奇異に見られるし、結局は個性もへったくれもありゃしないわけです。 >治外法権なので日本の法律が適用されないんです。 はい、まさに仰る通りです。 某大使館でバイトしていたのですが、一歩敷地をまたげば、そこは外国で、当然、祝日も本国に準じておりました。 因みに、ブルー・ナンバーで元気に路肩を走ったら、一体どうなっちゃうのでしょう? >水戸黄門はわかりやすい勧善懲悪ものなので人気ありますが、この人の場合、もともと人を殺す権利を有しているのかな? >変身しませんね。 >印籠という殺人許可証を見せることで、人を殺しても罪に問われないってなるのかも。 なるほど、印籠は「殺人許可証」とも言えますね。 「これを見せれば権威主義」は、他に何があるでしょうね。 変身、変装というより「徴を帯びる」の方が相応しいかもしれません。 >私がはまってシーズ5まで買ってしまったニキータ。 はい、私もあのドラマには、はまりましたよ。 映画とは少々異なる感じ、でもそれも味があって良いと思います。 それにしてもアメ・ドラの難点は、ストやら制作費不足なんかで、肝心のラストが尻切れトンボになりがちなことでしょうか?! 頑張ってみたのですが、どうしても楽しいお話の方に流れてしまいました。ああ、お許しを。