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いつ頃から美男・美女を外見で判断するようになりました?
タイトルどおりなのですが、美男・美女を外見で判断するようになったのは、大体いつ頃からなのでしょうか? 明治初期の古い写真で 「美人」 と紹介されているのを見た事がありますが、目がパッチリと二重でポッチャリとした、今の感覚でも美人でした。 ところが平安時代には顔などの外見ではなく、教養すなわち和歌の上手・下手で判断されたと聞いた事があります。 あるいは女性の場合はそれに髪形が重視されたとも。 という事は、和歌に優れている女性に憧れ、ついに自分のものになった時、実際に顔を見て 「ギエッ!」 という事は無かったのでしょうか? 当時は顔はどうでも良かったのでしょうか? また、それ以前の大和時代や、邪馬台国の時代の美男・美女の判断基準はどうだったと考えられますか? それに、今のように高身長の男性がモテルようになったのは、いつ頃からでしょうか?
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平安時代にも顔の美醜による基準はありました。 それは絵巻物でも有名な「引目・かぎ鼻」で下ぶくれの 顔が美人です。そして髪の長さや質感も重要でした。 ただし、当時、高貴な女性は御簾や几帳の陰にかくれていて 直接顔を見ることができるのは、深い仲の異性や夫、 父親といった人々で、男兄弟ですら直接顔を見ることは できなかったようです。 そんな平安女性が同性・異性を問わず自らをアピールするのに 使ったのは広い意味での「知識」、教養でした。和歌の上手い下手 は重要でした。多くの男性を虜にしたといわれる女流歌人に 「和泉式部」という人がいますが、意外にも彼女の容貌について 記したものはありません。宮仕えができるほどですからブス・・では なかったにしても、それほど目を惹く容貌ではなかったのかも しれません。しかし、彼女は和歌を通して人の心を読み、 自分の思いを伝える ことに並でない力を持っていたので男性はもちろん女性の友人とも 結構親しくつきあっていたようです。 ただし、平安時代 高貴な人には常に乳母などの侍女がつきそっていましたので 彼女たちが上手い和歌を代わりに詠んだり、歌人として有名な 知人や身内に代詠を頼む、ということもあったらしいので・・ 良い和歌がやりとりしている相手の元に届いても 必ずしもその当の女性が詠んだものとは限らなかったようです。 それ以外にもやはり和歌や物語、漢詩を背景とした機知に とんだおしゃべり。お香の上品な配合の仕方。衣の 色合いや配色のセンス、家具調度品のセンス、などただ 「顔が綺麗」ということでもてはやされるよりもセンスや 雰囲気、豊かな教養や感受性のようなものがこの時代は 特に上の階級ほど重要だったんじゃないか、という気がします。 江戸時代も、美人とは、単に顔の美醜だけでなく、髪型や 着物のセンス、化粧、教養や立ち居振る舞いにいたるまで を総合してのことだったそうですから、なかなかハードルの 高いことだと思います。 そういう現代も、単に顔の綺麗な人よりは、スタイル、 ヘアメイクや服装のセンス、会話の力、といった 総合したものが見られていることを 考えると平安時代や江戸時代並に高度な「美人力」が 問われる時代かもしれません。 ただ教養 や立ち居振る舞い はどこかいっちゃってる人も 多いかもしれませんが・・・(自戒も込めて・・・)
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- cyototu
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異姓に他する美しさの感覚は、人類の種としてのDNAに関わっていると思います。確かに、時代によって、おちょぼ口か、大口かなど、好みも僅かに違うようですが、いつの時代の美人も美男も、共通にどの時代から見ても、好みの範囲内で美しいと感じられているようです。その証拠に、エジプト、中国、インド,ギリシァの美男美女達を見て下さい。日本だけが、他の民族と異なっていたとは考えづらいです。 質問者さんが見て魅力的な異姓は、いつの時代でも魅力的なのだと思います。
お礼
有難うございました。 そうなんです、明治時代の美人写真を見た事があるのですが、二重瞼で目がパッチリで、鼻筋が通って、今の基準でも美人に入ると感じました。 あの人たちはいつも時代に生まれても美人の部類に入るのでしょうね。
- Pinhole-09
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平安時代を遡り、飛鳥時代の美女の基準は、高松塚の壁画にある官女の絵です。 当時の中国の美人に似てやや下膨れ、眉は濃いめです。 奈良時代も同様で中国風が、もてはやされました。 京都へ移り平安時代になると、流行は変わりました。 和風回帰です。 衣装の変化です。 美人の基準も同様でしょう。
お礼
有難うございました。 美人の基準は時代で変化しても、外見上の美を求めるというのは時代を超えた真理のようですね。 勉強になりました。
- goo-par1732
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ずばり「美女」というランクが平安時代にはできていたそうです。 中央公論新社『日本の中世4 女人、老人、子ども』の私の読書メモです。 「武家名目抄」に上臈・中臈・下臈・末臈の女房の下に「美女」という職名あり。領主の家に仕えて給仕役をつとめる容貌に優れた女たち。「美女」とは、身体的な特性をもった女性の呼び名であると同時に、身分や職名でもあり、貴族社会は後宮を中心にたくさんの美女をかき集める場所でもあった。 義経の母・常盤御前が顕著。九条院に仕える雑仕だったが、美貌で立身した。 美女の条件は、絵画史料からも長い黒髪であることを推定できますが、やはり「顔」も条件だったと思います。 それは、各地の荘園から平安時代の化粧道具が出土しており、白粉や口紅を使っていたことが分かっています。 「平安時代の化粧」で検索すれば、いろいろヒットします。 例えば、平安の化粧 http://www.kakur.eek.jp/toki036.html さらに時代を遡れば、高松塚の「飛鳥美人」が参考になるでしょう。 「豊かな頬、口に口紅」と新聞の見出しに躍っていました。 飛鳥美人についてWebで調べると、 「重要なことは、飛鳥美人は決して唐朝宮廷の美女たちではないことだ。 現実の男女群像を写実的に描くという形式や構図は、確かに唐朝陵墓壁画に範をとっているが、高松塚の男女群像は、それらのコピーではない。紛れもなく日本の白鳳時代から奈良時代の宮廷の男女群像である。日本における風俗画としての嚆矢でもあり、古代絵画の水準の高さを証明してくれた素晴らしい作品なのである。」 百橋明穂 神戸大教授(美術史) 現実の男女を描いているそうですから、モデルは美男・美女ではないでしょうか。
お礼
有難うございました。 なるほど、飛鳥時代から外見で美人と判断されていたようですね。 異性に外見上の美を求めるというのは人間の本能かも知れませんね。 でも、「三高」のサイトを拝見したのですが、男性に高身長が求められるようになったのは、いつの頃からなのでしょうね? 昔は日本人全体が低身長だったので、男性の身長が低くても関係無かったようなイメージがあるのですが ・・・ 今は全く違いますよね。
- eroero1919
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古代ギリシャ哲学では、「美しいものには真実が宿る」といわれていたそうですから、およそ人類に記録が残る範囲であればその時代から既に美男、美女という感覚はあったと思います。 こういうことをいうと怒られますが、遺伝的に障害を持っていると、しばしば相貌に影響がでます。こんなことをいったらますます怒られますが、ダウン症なんかそうですよね。 美男、美女の基準はシンメトリーつまり対称性にあるそうです。別に相貌に限らず、芸術作品でも左右対称のものは美しく感じますよね。例えば、インドのタージ・マハルはシンメトリーの美しさの典型といわれています。 ではなぜ対称のものが美しく感じるかというと、つまり遺伝的にも生まれた後も健康で問題がないことのある種の証明になるからではないかといわれています。ただし、実際には人間の顔は左右は対称ではなく、ちょっと崩れています。 現代と昔の最大の違いは情報の量と速度です。昔は写真もなく、さらにほとんどの人は自分の住む村からせいぜい隣村に行く程度の行動範囲で生涯を終えました。そういう状況からすると、村で一番の美女が生涯最高の美女だったりするわけです。 私の高校は、男子と女子の比率が8:2くらいで、Uさんという子がとても可愛いと学年一の大人気でした。でも、卒業してみるとUさんて「普通」なんです。ま、ブスじゃないけど有難がるほど可愛い子でもなかった。でも、極端に女の子が少ない状況だとその中の一番でもすんげー可愛く見えるんですね。
お礼
有難うございました。 すっごく分かりやすかったです。 こういう私も中・高時代に好きな相手がいましたが、後になってアルバムを見ると、何でこんな子を好きになったのだろうと感じる事があります。 行動範囲が狭ければ狭いほど、「美」のレベルが下がるのかも知れませんね。 それと、人間は左右対称に美を感じるのですね。 アンバランスな形には何か不安感というか違和感を無意識に覚えるのかも知れませんね。 とても勉強になりました。
奈良時代に編集された『古事記』には、天照大神の孫が地上に降臨した場面で、美しい妹の木花佐久夜毘賣(このはなさくやひめ)・醜い姉の石長比賣(イワナガヒメ)…という記述があります。奈良時代には、見た目での美の評価が行われていたと思われます。 補足になりますが、No.1様がおっしゃられているのは、末摘花です。悲劇の姫君の噂話を聞いた光源氏は、妄想&好奇心から、同じく彼女に求愛中の親友をも打ち破って、見事ご対面!けれど、顔を見て超ビックリ!!…でも、なんだか気の毒&ほっとけないので、交際(?)を続けたというお話です。
お礼
有難うございました。 なるほど、奈良時代に既に外見で判断したと考えられるのですね。 異性に見た目の美しさを求めるのは、時代とは関係無いのかも知れませんね。
- heinell
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>という事は、和歌に優れている女性に憧れ、ついに自分のものになった時、実際に顔を見て 「ギエッ!」 という事は無かったのでしょうか? 源氏物語に正にそういう場面があったと記憶してます。 #具体的な相手の名前は忘れましたが… 判断基準が今と違うかもしれませんけど。 とりあえず顔の嗜好は存在したと思います。 高身長というか、体格の差? これは根っこは「強い男の方がたくさん獲物を狩ってくる期待値が高い」でしょうから、原始時代からあるでしょう。 というか、猿のボス決めの時点からではないかと。 多分文明以前の話だと思います。
お礼
早速のお答え、有難うございました。 源氏物語の時代には、顔の良し悪しはあったのですね。 当時、絶世の美女と言われた人の顔を本当に見たいものです。 どんな顔をしていたのでしょうね。
お礼
有難うございました。 たしかに今でも美男・美女の基準は顔だけでは無いですね。 顔自体は大した事がないのに、雰囲気や声、それに服のセンスなどなど、総合的に判断されると思います。 名前を出すと叱られそうですが、例えば館ひろしさんはその典型かなと感じています。 顔だけをアップにした写真では、とてもカッコイイとは思わないのですが、やはり全身から発する雰囲気が女性に受けるのでしょうね。 あと、平安時代にも和歌の偽装があったのですね。面白いですね。 こういうのには時代は関係無いなあと感じました。