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虐待する親

はじめまして<(_ _)> 私は今、大学の卒業研究で「児童虐待」について勉強し、論文を書いています。 様々な文献を読んできたのですが、「虐待する親も理解してあげないといけない」という文章をよく見つけます。 先日参加した、某大学の教授の講演会でも「虐待を憎んで親を憎まず」というキーワードが出てきました。 私自身、保育の道に進むつもりで、保育園とベビーシッターのバイトをしていることもあり、決して虐待を許してはいけないと強く思っています。 だから論文テーマにも選んだのですが、研究を進めるうち、また、バイトをするようになってから、 「親も被虐待児だった(言い方に気分を害されたらすいません。)」というような理由であれば百歩譲って、その親のことを理解ができる気がするのです。 そこで、先ほども書いたように多くの文献で 「虐待を行う親への理解が必要だ」と公言していることについて疑問がわいてきました。 虐待されたお子さんは親を理解する必要などないと思うのですが、第三者として どんな理由であろうと「虐待を行う親を理解する気持ち」は必要なのだと思いますか? それとも「○○という場合に限って親への理解をする努力など必要ない」と、何か制限(?)があるのでしょうか? このカテゴリーで合っているのかちょっと不安ですが・・ どうぞご意見聞かせて下さい。 なるべくなら客観的なご意見、お伺いしたいです。 よろしくお願いします<(_ _)>

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noname#94199
noname#94199
回答No.5

「虐待をする親を理解すること」は必要だと考えているものです。 私自身、虐待を受けて育ちました。 苦しみのスパイラルから抜けるため色々な本に出会い、その中にも「親を知る」ことが重要とありました。 その親も虐待を受けて育ち、愛情=虐待のスパイラルが存在している場合が多いのだと思います。 暴力がいつの間にか親の愛情と錯覚、刷り込まれていくのです。 親を知ることは、自身の解放に繋がっていくこと。また、暴力を受けて育つということはどういうことか?という疑問と、自分が親になった時に虐待をしない為、刷り込みと闘う準備ができます。 親から受け継いだ悲しいスパイラルを自分の所で終らせる為にも。 また、親を理解することから親を許し、自身を自由にする為にも。 自分の経験の話が多くなり、すみません。 何かのお役に立てたら幸いです。

jensen5
質問者

お礼

belial000様、ご回答ありがとうございます。 文献やインターネットによる症例などには触れましたが、 実際経験された方のお話は貴重で、ご意見して下さって本当に感謝致しております。 >暴力がいつの間にか・・ 刷り込みというのは本当に怖いものですよね。幼少時代ですから、自分ではなすすべがないものが多いと思います。 親を知ることは自身の解放に繋がっていくこと・・・考えさせられます。 虐待を受けた子どものためにも親を知ること、理解することが必要なのですね。勉強になります。 とんでもないです。 お辛い経験の話を踏まえた上でご意見を頂きまして、本当にありがとうございます<(_ _)> どうかbelial000さんが幸せな日々を送れますように。

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  • forever520
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回答No.6

30代既婚者♂です。 一児の親であり、虐待を受けた子供達と触れ合ってきた 私の意見として申し上げます。 子供はどんなにひどい虐待を受けても、親が大好きなのです。 第三者の私達からしたら、そんな親なんて縁を切ればいいと 思いがちですが、子供にとってはどんな事があろうとも親は 親であり、大好きなんですね。 私がボランティア活動をしていた児童養護施設でも、耳を 塞ぎたくなるような現実がありました。 でもそんな子供達も、きっといつかお母さんが迎えに来て くれると信じているのです。 確かに虐待を行う親に弁解の余地はありません、でもその人 のそれまでの人生を見つめた場合、果たしてただ責めるだけ でよいものかと思えるのです。 愛する我が子に虐待してしまうその壮絶なまでの心の葛藤を 重ねてみれば、それは本当に深い闇の中といった感じです。 虐待を受けた子供は、大人になって自ら我が子を授かった時 に、大きな不安と恐怖を抱えてしまうのです。 自分が受けた傷を自分の子供にも与えてしまうのではと、 でもそうして親になって初めて、自分の親の思いを感じること ができ、当時の親の気持ちを多少なりとも理解できるのかも しれません。言う事は聞かないし、泣いてぐずって、どうしようも ない赤ちゃんを見て、自分もこんな風だったのだと、そして 親として時には感情が爆発してしまう瞬間を経験して、 そこで初めて気付くのかもしれません。 私はテレビのニュースで、虐待でも幼い命が奪われるのを見て、 とても悲しくなります。生きることが出来た命を消してしまう その親の思いなど考えられないほど、悲しみが大きく出てきます。 でも私は、そうした子供達がこの世に短くとも生を受けたことを 意味のあるものとして受け止めたいです。 あんな親の元に産まれてかわいそうに、だけでは片付けられない ですよ。 そして、誰かを一方的に非難して終わるだけでは、何も解決 しないと思うのです。 恨みや怒りではなく、愛や優しさ、思いやりで乗り越えられる ものと信じます。そしてそれが「許し」であると思えます。 全てのことについてこの「許し」が最後には救いになると 私は思います。

jensen5
質問者

お礼

forever520様、ご回答ありがとうございます。 >子供はどんなにひどい虐待を受けても、親が大好きなのです。 そうですね・・。私も乳児院に1年ほどボランティアとして通っていますし、 卒研のために文献を読んでいたりするとその事実を目の当たりにします。 forever520さんの仰る通り、第三者はとにかく親と子を離れ離れに、と考えてしまいますが子どもの気持ちはそうとも限らないですもんね。 >そうした子供達がこの世に短くとも生を・・ forever520さんのお考えを聞かせて頂き、とても考えさせられました。 児童虐待に必要な「許し」という意味を私なりにも改めて考えてみようと思います。勉強になりました。 貴重なご意見、本当にありがとうございました<(_ _)>

noname#106932
noname#106932
回答No.4

お気持解ります。 わが子が惨殺されて、「殺人犯のことも理解してあげなきゃ」なんて言われたら、私はそう言った人を殺すでしょう。 ですが。 >どんな理由であろうと「虐待を行う親を理解する気持ち」は必要なのだと思いますか? それが、結果的には子供を救うことになるのであれば、必要だと思います。 何故、その親が虐待をしてしまったのか。 それを理解することは、絶対に必要だと思います。 それを知ることによって、今後の被害が防げるかもしれないのですから。 要するに「虐待親を理解せよ」とは、「虐待のシステムを探れ」ということなのではないでしょうか。 何故そうなったのか、それは何故起こったのかを調べ、知ることによって新たな被害を減らしたり防いだり出来るから、だと思います。 虐待した親自身を「無条件に許せ」という意味ではないと思います。 この世から虐待をなくす(減らす)ために、「理解」は必要と考えます。

jensen5
質問者

お礼

azul-b様、早速のご回答ありがとうございます。 お気持ち解って頂けて嬉しいです。 >それが、結果的には・・ 言われてみればそうですね。何より子ども第一ですもんね。今後の被害を防ぐことも大事だと改めて思いました。 他の方も仰っていたように、やはり「虐待の根本・システム」を知るために「親を理解」することが必要なのですね。勉強になります。 私も、虐待を減らすためにも、卒業研究を通して(学生役150名の前で発表もありますので。)自分にできる限りのことをしたいと思っています。 貴重なご意見、本当にありがとうございました<(_ _)>

  • akapontan
  • ベストアンサー率27% (121/446)
回答No.3

最終形を考えなくてはいけないのでは? つまり、親子は何があっても結局は親子であると言うことです。 児童相談所の苦悩は、親子間を引き裂く事には無く あくまでも虐待を無くすのが仕事と言う事なんだろうと思います。 良好な親子関係に戻すまでには、様々な障壁があるのでしょう。 親の一方的な非を前提にすると、何も解決しないのだと思います。 ただ、虐待は絶対に許せません。 多くは近所の無関心が、事を重大にさせているように思えます。 もっと多くの人に関心を持ってもらいたいものです。

jensen5
質問者

お礼

akapontan様、早速のご回答ありがとうございます。 >児童相談所の苦悩は・・ 確かにそうですね。某施設の職員さんが、「我々はまず子どもの命と安全の確保、そしてそれから親の対応(カウンセリング等)に全力を注ぐ」と仰っていました。 親子は何があっても親子、虐待関係がある親子を一生引き離すことだけが解決になるとは言えませんもんね。 まぁ、残念なことに本当に最低な人間とはいるものですが・・。(明らかな虐待を認めもせずしつけだと主張するとか。) 私の卒論テーマの「虐待発見の通告義務」にも関わりますが、 本当に周囲の人間の協力・関心とは大事ですね。 貴重なご意見、本当にありがとうございました<(_ _)>

  • nyannyaga
  • ベストアンサー率24% (15/62)
回答No.2

その、さまざまな文献の中には、 何故「虐待をする親を理解することが大切か」には触れて無くて、 ただ「理解するべき」しか書いてないのですか? 虐待にいたるには、理由があるだろうから、 その部分をきちんと解明しないと、根っこからの虐待の根絶にはならない、 という意味じゃないかと思うのですが・・・ いじめっこの場合も、いじめる子は、家庭が不和だったり、 親がほかのきょうだいだけかわいがっていたり、 そのひずみがその子に行っている場合がありますよね そういう、その原因から考えないと、「いじめ、わるい」だけでは、 社会からいじめがなくなるわけがないですよね そういう意味なんじゃないかなぁ?と感じたのですが。 どうですか?

jensen5
質問者

お礼

nyannyaga様、早速のご回答、ありがとうございました。 >その、さまざまな文献の中には・・ 正直なところ、私は卒論のテーマとして主に「心理的虐待と虐待発見の通告義務」を取り上げていまして、 様々な虐待に関する文献を読みましたが、その中でもテーマに関する部分を重点的に読んでいるのです。 他の部分は卒論に使えそうなものならよく読み、そうでないなら一度さらっと読んでしまうくらいなのです。お恥ずかしいですが。 ですので、「理解するべき」という部分だけが強く印象に残っており、今回の質問をさせて頂きました。nyannyagaさんに言われてその辺りをもう一度読み直そうと思います;; 質問の中で書いた講演会の時にはその教授が「親もまた被害者」と仰っていまして、その「被害者」という捉え方は 「親が被虐待児であった(これなら被害者と言えますよね?)」というだけでなく、「社会的孤独(周囲に相談相手がいない等)を感じているから」 という理由で虐待を行った親にも当てはまるのか、と疑問に思ったりもしたのです。 >虐待にいたるには、理由があるだろうから・・ そうですね。自分が在籍している大学で行ったアンケート結果や過去の研究結果を見ていても様々な要因が重なっていたり、と親のことを一概には言えないと思いました。 >その部分をきちんと解明しないと・・ 解明、という意味での理解だということですね! 今まで「親への理解」と言われると、親に情をかける・・とまでは言いませんがそれに近い感情を持つこと、だと思っていました・・。 解明という意味での理解・・。 なんだかすごく感心させられました。 考えの選択肢が足りなかったようです。 でも、また新たな考えが増えて良かったです。(同時に大変な気もしますが;笑) もう一度色々調べ、考えたいと思います。 貴重なご意見、本当にありがとうございました<(_ _)>

  • epsz30
  • ベストアンサー率50% (1514/2977)
回答No.1

ずいぶん難しい問題に取り組んでいますね。 この問題は犯罪者の死刑を良しとするか悪とするかの問題と似ています。 死刑の問題は、他人の命を奪った者や重大な罪を犯した者へ現在行なわれていますが 法律では人が人の命を奪う事を禁止しています。 それなのに、重大な犯罪を犯した人へは死刑という名目の殺人が許されています。 人が人を殺す事を禁止しておいて裁判という名目で人を殺す事は許されるというのはどう思いますか? 重大な犯罪を犯した犯罪者へなら許されるというものなのでしょうか? その理屈が通るのであれば、虐待(暴力)も子供が罪を犯した場合や 子供に重大な問題がある場合は許されるという判断にも繋がってしまいます。 虐待も殺人もどちらも法によって禁止されているものですが その(法)の元で人が人を裁き、死刑という殺人を行なっている矛盾がある以上 虐待(暴力)もまたその状況次第では教育として許容範囲とされる場合もあるので「虐待を行う親への理解が必要だ」という事が生まれてくるのだと思います。 虐待というものは確かに良くない行いではありますが 人というものは人それぞれ考えが違いますし、良い人も悪い人も居るのが現状です。 当然、親も良い人悪い人が居ますし、子供も良い人悪い人が居ます。 その中で子供の健全育成の為に仕方なく行なわれる制裁に関しては ある程度の妥協が許されるべき場合もある問題なので 虐待をすべて悪い・禁止だ!とは言えず 「虐待を行う親への理解が必要」となってしまうのです。 もし虐待という問題をすべて悪として規制してしまうと 親のしつけも口頭だけの注意しか出来ない状況になり それを恐れない子供は親や社会を舐めて怖い物知らずの やりたい放題な子供へと育ってしまう危険もあります。 16歳未満は「親の監督」が基本なので子供の犯罪は法で裁くのではなく 親の指導に一任されているのが今の社会の現状です。 したがって16歳未満が殺人を犯しても少年院・刑務所に入れられないという 今の法の下では、親の威厳や脅威という物は 子供にとってとても大切な抑制力にもなる問題なので 虐待を何を基準に虐待とするかの判断が問われる事になり それ故にとても難しい問題とされているのです。 確かに、子供に悪い部分が無いのに親の身勝手で 虐待を加えられいる被害者の子供も多く それらに対してはしっかりと対処しなくてはならない問題ですが 暴力=虐待 と単純にはとらえられない複雑な問題でもあるので もし、いかなる事情であっても暴力=虐待。とするのであれば 16歳未満の子供であっても悪い事をしたら少年院・刑務所へ行くという新たな法を作ったり 子供の教育・育成というものに新たな手を加えなくてはならない問題でもあると思うので非常に難しい問題だと思います。 誤解の無いように詳しくお話したい部分もあるのですが 大変長くなってしまうのでこの辺で終わりにしたいと思いますが 私も虐待には声を大きく反対する側の人間ですし 虐待を擁護する気も無いのですが、虐待という物を簡単に暴力はすべて虐待だ、とか決め付ける事には少し違うと感じております。 とても難しい問題なので結論という物が出せない問題だと感じます。

jensen5
質問者

お礼

epsz30様、早速のご回答ありがとうございます<(_ _)> とても聡明な方だとお見受けしました。 以下の文章で、私の理解力が足りないために見当違いのことを言っていたらすいません。 >この問題は犯罪者の死刑を・・ 本当ですね。確かにどちらも難しい問題です; >虐待というものは確かに~理解が必要」となってしまうのです。 ある程度の妥協が許されるべき場合もある、とのことですがやはりこれは虐待について考えると必ず出てくる「虐待としつけ」の、各ご家庭、各個人での認識の違いという問題にも関わるのではないかと思いました。 つまり、epsz30さんは、どんな理由にせよ、ということではなく場合によって「虐待をする親への理解」が必要になる、というお考えでよろしいでしょうか? >とても難しい問題なので結論・・ そうですね。虐待について勉強すればするほど、考えれば考えるほど結論が出ない難しい問題だと思わされます。 以上のことでもしも見解が違っている部分がありましたら、よろしければまたご回答頂けると幸いです。 貴重なご意見、本当にありがとうございました<(_ _)>

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