なるべく、基本的で普遍的なことについてお答えしようと思います
まず自由市場経済というのがあります。これは一言で言うと「信用創造」という言葉に集約されますね。
ある利益を生み出す物品があり、それが市場に出たとする。それをある人が銀行から資金を調達し購入したとする。もしこの物品を転売しようと考えるなら「購入金額+金利+利益」<「売却金額」である必要がありますね。でないと単純に損をしてしまいますから。
さて、物品を買った人が高値で売却したとして、それを買った人はもちろん更に高値で売却します。こうすると物の価値はどんどん膨らんでいく訳です。これを「信用創造」といいます。
一見、おかしな話のように思えるかも知れませんが、もしこの仕組みが働かなければ、今の日本は終戦直後の焼け野原のままだったはずです。「信用創造」が高度経済成長のエネルギー源であり、産業、技術、サービス、ノウハウはこれをエネルギーにして発展してきました。
しかし「信用創造」は一方でバブルを生み出します。原理としてはババ抜きと一緒で、高値で転売され続けると、どこかで限界に達して誰かがババ(高値)を引いて売れなくなるという事態に陥ります。そうなると破綻する訳ですが、一度、破綻が起きると連鎖的に破綻が起こり不良債権が積み上がります。そうなると加速度的に経済が落下していくことになります。そして誰かが「安すぎんじゃねーか?コレ」と思った時点で再び買われ経済は上昇に転じます。
これが好景気と不景気の波の基本的な構造です。バブルがおきて調整され、またバブルになって調整される。こうしながら経済というより人類は発展してきたといえます。
次に統制経済(社会主義経済)について説明します。
これは価格決定を役人が行うシステムです。これの長所は計画通り経済が進行している限り、好景気と不景気の波が発生しないで真っ直ぐに上昇していきます。特に一次産業中心の封建的経済を発展させる場合に優れた方法であり、国家権力を用いて必要な部門に資本を集中的に投下できるため、急速に経済を発展させることができます。
しかし、ある程度成熟するととたんに非効率な経済となります。貧しい内はただ豊かになれば国民は喜びますが、豊かさに慣れてしまうと国民はあれやこれやを要求し始め、社会が多様化すると、全ての価格決定を役人が行うシステムに無理が生じます。
ある物品は大量に余り、ある物品は絶対的に不足するが役人の決めた価格は同じということが日常的に起こると、次第に闇のレートが成立し、ある物品に政府が決めた公定価格と闇市場の価格という二重価格が生まれます。二重価格のギャップが広がるにしたがって、それを利用して暴利を貪る連中が台頭し社会が腐敗していきます。
随分長文になってすみませんが経済とはそういう仕組みで動いています。
長いスパンの経済成長と短いスパンの経済の波。お金の所在に偏りと調整。
神の手の中の経済と役人(人間)が支配する経済。
チャーチルの言葉に「民主主義は人類史上最悪の政治制度だ。たたしこれまで歴史上あった全ての政治制度を除く」とあります。経済の話もなんだかこれと似ているように思えますね
お礼
「自由市場経済」は、最初から破綻が約束されているのだから、 ねずみ講と同じで禁止すべきじゃないんでしょうか? 「統制経済」は、パソコン、携帯、自動車程度の生活レベルを保証 した上で、闇レートでの売買を厳罰をもって規制すれば、正しい経 済システムではないでしょうか?