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室町時代の元結や髪紐について
多くの庶民は元結を使用していたようであると言うのはいくつか読んだのですが、そうすると「髪紐」も水引のことを指すのでしょうか。 「紐」とあるだけにこの場合はそれらしい細い麻縄のようなものを指すのかと思っていたのですがどうだったのでしょう。
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こんばんわ。 私は、自称「歴史作家」です。 奈良、平安、室町時代は、あまり得意分野ではなかったので、お答えの様子を見ていましたが、誰も回答がないようですので・・・浅学ながら・・・。 >>そうすると「髪紐」も水引のことを指すのでしょうか。 基本的には、古くは「麻の紐」を使ったことでは「共通点」はありますし、平安時代の稚児が「髪紐(元結・もとゆい、といいます)」を蝶々結びにしたことから、「水引」とも呼ばれました。 元結: 古くは、麻の細い紐を使用していました。 やがて、平安時代に入ると、製紙の技術が盛んとなり、麻紐よりも白く目立つことから、「こより」へと趣向が変わっていきました。 しかし、この「こより」は、雨に当たったり、汗をかいたりすると、非常に「切れやすい」弱点を持っていました。 ただし、何本もより合わせたりして、強度を出す工夫などはされていました。 江戸時代に入り、信州飯田の「文七」という者が、「こより」に「水糊」をからませて腰を強くし、さらには、光沢を出すために少量の「油」を馴染ませた「紙紐」を考案しました。そして、販路を江戸に求めたところ、「文七元結」と呼ばれて、大変な評判となった・・・ということです。(文七元結資料館より) なお、落語にも「文七元結」という噺がありますが、これとは全く別のものです。 水引: 聖徳太子が摂政をしていた頃まで遡る、と言われています。 小野妹子が遣隋使として中国(隋)に派遣され、その答礼として裴世清(はいせいせい)という者が我が国に訪れた時、隋の皇帝の国書と貢物を朝廷に届けました。その品々は、長い旅の安全祈願として、紅白の「麻糸」でくくられており、これが「水引」の起源とされています。 日本では、それ以後「くれない」と呼ばれて、献上品や贈答品に紅白の麻糸で結わえて贈られるようになりました。 やがて、「くれない」も光沢のある「こより」を使用するようになりました。 そして、和紙で作られた「こより」に「水糊」を加えて強度を持たせるようにしましたが、これも「文七」の創意工夫だとも言われています。この「水糊を引く」から、次第に「水引」と略されて呼ぶようになったとも言われています。 また、水糊を引いたこよりは、連歌を書く用紙を綴じるのにも用いられ、紅や黄などの色合いが、 「水の流れに秋の木の葉が散り落ちて、紅や黄の枯れ葉が水に引かれるように流れている」 と見えたことから「水引」と呼ばれるようになった・・・とも言われています。 室町時代よりやや古い「鎌倉時代」の頃には、武家の作法を記した「宗五大艸紙(そうごだいそうし)」に、 「薄紙をたたみ重ねて進物を包み、それに金銀の水引をかけた」 と、記述されており、「水引」がだんだん「派手」になってきたことを窺(うかが)わせます。
お礼
ご回答ありがとうございました! 詳しくお教えいただけてとてもうれしいです、参考にさせていただきます!