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福沢諭吉の啓蒙活動について

こちらの→http://100.yahoo.co.jp/detail/%E7%A6%8F%E6%B2%A2%E8%AB%AD%E5%90%89/ YAHOO辞書において、 「雑誌『民間雑誌』『家庭叢談(そうだん)』などを刊行して民衆啓蒙に努めるが、しだいにその情熱を失い」 とありますがなぜ福沢はなぜ情熱を失ったのでしょうか? 新聞紙条例改定等の弾圧が関係ありますか?

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  • isa-98
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回答No.1

理想と現実と言う意味です。 時代は帝国主義であり、 国権論で間違っても民権論ではありませんでした。 大名貴族は華族と名を変えて特権階級にあり、 太平洋戦争終結時の財閥解体、農地解放、貴族制度廃止まで続きます。 武家社会が貴族制度になっただけであり、 自由とは、国の認めた範囲の自由でした。 産業革命は資本家と労働者と言う貧富の差を更に拡大させました。 低賃金での労働や、小作農がどんどんと増えて行きます。 特権で支配する貧乏侍から、金で支配する資本家へ変わり、 その決定的な差が学問の自由と職業の自由を更に奪ったのです。 四民平等とは、士農工商が平等なのだ。 公家大名はもちろんの事、神官僧侶、えた非人は別ではないか。 天皇陛下に特別に「新平民」として頂いたのだから、 明治天皇に感謝の念こそあれ、文句など言語道断の振る舞いである。 (明治の小学校師範弁) これは終戦まで続きます。 いくら1人で頑張っても、国家体制までは変えられません。

ichigo007
質問者

お礼

なるほどですね。とてもよくわかりました。 ありがとうございましたm(_ _)m

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