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日本海海戦の戦艦三笠について
戦艦三笠のプラモデルを見ると、船の中央にたくさんの小艇、ボートを積んだ姿で作られた物が多いような気がします。 日本海海戦の時も、このように小艇をたくさん積んでいたのでしょうか? 私の素人考えでは、小艇に敵の弾があたると破片が周りに飛び散って危険、燃え出すかも。また、小艇の重量などで三笠自体の速力も落ちそう、と疑問に思っています。このようなマイナス面を考慮に入れても、敵の弾を防ぐ等に役立ったのでしょうか? ご教示願います。
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他の方が概ね説明されていますので、あらかた言う事もないのですが蛇足を。 三笠のような大型艦の場合、停泊するにしても、必ず艦そのものを接岸させられる岸壁を備えた港に入れる訳ではありません。港湾施設が無い場所で待機しなければならない場合、波浪が避けられる湾(泊地と呼ばれる)などに碇を降ろして碇泊します。こんな時に各艦で連絡をしたり、付近の陸地に人員を上陸させるのに必要なのが、装載艇と呼ばれる小艇でした。エンジン付きの物は内火艇などと呼ばれます。 日露戦争当時は、無線通信技術も初歩的で、トン・ツー、のモールス信号による電信機がようやく軍艦に完備された状態でした。同じ泊地にいる艦同士でトントンツーツーやるのは、かなりまどろっこしいですし、電波を傍受される恐れもありますので、細やかな意思疎通を図る為には、やはり直接人員を往来させるのが合理的だった訳です。 そんな訳で、軍艦に小艇は必需品なのですが、戦闘時の防御効果があったか、と言うと、あったかも知れませんが、それを意図して設計されているとは思えません。装載艇が燃えたとしても、当時の物は燃料を搭載している訳ではないので、それほど深刻な被害は無いでしょう。装載艇が燃えた程度で慌てふためくのはイタリア海軍ぐらいです(笑)。被弾時の破片飛散については、それなりに考慮されていたと思います。装載艇の搭載位置を見るに、破片が飛んだとしても危険な位置には飛散しないと思われます。側面のケースメート砲は防御されていますし、甲板上に落下した砲弾の破片は、通常上に飛びますので、貫通しない限り問題ありません。艦橋要員は、通常戦闘中には、装甲された戦闘室に入る前提です。露天艦橋に留まった日本海海戦は、異例の事なのです。 むしろ危険なのは、艦橋両舷の信号灯で、これは、ケースメートより外側に張り出す形ですので、戦闘中、被弾でガラスが割れますと、破片がケースメートの側面開口部(砲を突き出す窓の部分)から入る恐れがありますので、戦闘時には艦橋内側に引き込める構造になっています。実際に三笠を見ると、レールによる可動式である事が確認できます。
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- k16399638
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積んでいました。積んでいたから、日本海海戦で降伏したネボガトフの艦に、降伏受諾の軍使を送り込むことができたわけです。で、敵も積んでいます。この時に鹵獲、ぶんどったロシアの内火艇が、海軍兵学校にかざってありました。 この類のボート類を本格的に積まなくしたのは、二次大戦のアメリカ海軍からです。この時にはもう、日本海海戦よりはるかに広い範囲が戦場になり、海軍の編成も変わってきています。ボートのような可燃物を積む事より、全員にライフ・ジャケットを配り、沈んだら護衛の駆逐艦が割り振られた救援活動をするほうがよい、と割り切ったわけです。港に入ってボートが必要なときは、港にボートを用意させました。
お礼
k16399638さん、日本海海戦の事例をお教えいただいてありがとうございます。私は、船が沈みそうになったら仲間の船が助けるのではと思ったのですが、そういう救援活動が組織立ったのはずいぶんと後になってのことなのですね。ぶんどったロシアの内火艇、というのは、他の方の説明からさっしてさぞや立派なものだったのでしょうね。 ありがとうございました。
- isa-98
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指令の食堂の椅子って知ってますか? 貴族並みのテーブルと椅子です。 もちろん、 遠洋で沈んだ時には全員ボートで脱出です。 港の無い島にもこれで上陸。 指令はモーターボートに案内されてウインチで降下。 運転手に、「君、出し給え。」でぶるぶる。つ^_^)つ 下士官はオールで「いっちに。いっちに。」 中には心臓がパンクしちったやつもいるぐらい。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%85%E8%BC%89%E8%89%87
お礼
isa-98さん、ありがとうございます。 食堂の椅子は、以前、横須賀の三笠で見ました。 また、Wikipediaへのリンクもありがとうございます。 これらの小艇は「装載艇」と呼ぶのですね。初めて知った言葉です。 火薬、食料の運搬にも使ったとかで、なるほど、これなら必需品ですね。 降ろすわけにはいかないということがわかりました。
- myeyesonly
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こんにちは。 もちろん、小船に当たって弾丸が爆発、もしくは威力が落ちて船本体が守られる、という効果は当然期待されていたでしょう。 現在でもイスラエルの戦車、メルカバなどは、中の人員を守るためにエンジンさえ盾に使う構造になってます。 ただ、そういうのを抜きにしても、小船は軍艦には絶対必須の装備であったと思われます。 沈没時、全てが破損して使えなくては脱出できないですし、蔚山沖海戦では、沈没するロシア艦から生存者の救助を行ったりしてますし、日本海海戦でも、ロシア艦隊の総大将を捕まえるなど、戦闘中はともかく、交戦終了時には非常に必要の多い装備だったと思われます。 その場で何かしたくても、わざわざ小船を取りに港まで戻ってられませんから、必要十分な数+アルファ程度は用意して当然だったのではないでしょうか。
お礼
myeyesonlyさん、ありがとうございます。 種類も多く積んでいるので、不思議だったのですが、それぞれに重要な役目があり、また活躍していたのですね。 よくわかりました。
お礼
phantom1さん、詳細な説明ありがとうございます。 泊地、の例を教えていただきましたが、なるほど、当時は今のように近代的な港があちこちにあるわけではなく、また、敵地も多かったので、このような装載艇は大活躍したのでしょうね。 たまにしか使わないのでは、と思っていたのですが、みなさんの回答を拝見すると、大忙しの装備だったようです。 また、「露天艦橋に留まった日本海海戦は、異例の事なのです。」とのこと。なるほど、映画の「日本海大海戦」を見ても、ロシア側は館内にいますね。詳しいご説明、納得いたしました。