プロの演奏家のレコーディングを聴き比べてみると,
同じ曲でも,突き刺さるような刺激的なものもあれば,
ふんわりとソフトなものもあります。
その人のモーツァルト観の違いを感じます。
プロの演奏を聴いて,「素晴らしい」と絶賛する人もいれば,
反対に酷評する人もいます。演奏する人のモーツァルト観と
聴く人のモーツァルト観がそれぞれにあります。
とは言え,
モーツァルトとは,こんなものだという一般的なイメージがあります。
それが「決まりのようなもの」かどうかはわかりませんが,
私なりのモーツァルト観で思ったことを3つ書きます。
(1)
ヴァイオリンに関しては,アレグロでの弓使いはベタ弾きできない…,
しかし,音が短くなりすぎてもいけない…,
では,どの程度?と言われると大変難しく,
モーツァルトらしくとしか言い方がないような微妙な音の長さがあります。
音の長さと言うよりは,音の短さと言う方が私がイメージしているものです。
弓使いにはとても神経を使い,とても緊張します。
イメージ通りの音が出やすい弓毛の張りの強さも気になります。
(2)
表現面で思いつく特徴的なことでは,
フレーズの最後の音(一音)で力を抜くことです。
曲の終わりの最後の一音も勿論そうです。
これはモーツァルトに限らず,他の作曲家にも当てはまることですが,
モーツァルトの場合,これを怠るとたいへん下品なモーツァルトになります。
特にモーツァルトでは,
フレーズの最後の音の処理は,とても重要だと思っています。
(3)
それと,楽譜に関しては,基本的には p(ピアノ)か f(フォルテ)です。
それは,極端に「弱く」「強く」ではなく,
p と f を比較して「弱い目」「強い目」程度ではないかと思っています。
pp が出てきても,神経質なピアニシモではないと思います。
sf や fp もたいへん多く出てきますが,刺激的な音を意味しないと思います。
(1)アレグロでの微妙な音の短さ(音符の粒を揃える),
(2)フレーズの最後の音の力の抜き具合,
(3)極端(急激)にはならない強弱変化の加減,
これらは,自分なりのモーツァルト観によって決まると思います。
お礼
モーツァルト観が人によって違うために、人前で弾くのが恐い、 という心境になるようですね。 (1)ベタベタと濃い演奏が好きな人にとっては、難しい曲になりそうですね。音の短さが、粒を揃えるということになるのですね。 (2)ふわっと消えるような感じですね。 それで軽い感じが特徴に出てくるようですね。 十分に意識しないと、1箇所だけ忘れた!ということになりそうです。 (3)昨日モーツァルトのいろいろな曲を弾いてみましたが、 ピアノとフォルテが交互に出てくることが多かったです。 しかしCDでは、それほど強調されていなかったので、 楽譜通りに、大袈裟に演奏する曲ではないと感じました。 刺激的に演奏した場合、「あれってモーツァルト??」といわれるのでしょう。 これらをしっかり守ると、モーツァルトらしく、全体にバランスよく 曲が仕上りそうですが、モーツァルトばかり弾くわけではないので、 そこが難しいところです。 ロマン派が得意なピアニストは、バロック、古典もメロメロに なってしまうって聞いたことがあります。 バイオリンは楽器が持っている音もあるので、合う合わないが 出てくるので、私のレベルでは、「深く考えて弾かない」レベルから 出ないようにするのが、悩まない方法ですかね。 (消極的な考えですいません) ありがとうございました。