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宗教に対する批判について

このカテゴリで初めての宗教体験をした人がその感動で思わず書き込んだのであろう質問に、酷い否定レスばかりがついていました。 素朴な質問なのですが、宗教を否定する人は、何を根拠に否定しているのでしょうか?

みんなの回答

回答No.33

一神教に大賛成の人は信者だけです。信者以外が否定するのは当たり前。 質問者の宗教がキリスト教の一派としても一神教ですよね。他の宗教全般 を否定しているのは他ならぬ質問者です。日本には多神教の長い伝統が 在りますから多神教を否定する一神教に対する違和感は大きいと思います 他の宗教を否定する行為と考えが傲慢と感じるので反感が生まれるのです 開国から百数十年。キリストやイスラムが広がらないのも多神教文化の 日本の特徴でしょう。日本は世界一宗教に寛容な国と民族です。 戦時中でもキリスト教徒の大虐殺は起きていません。原爆で破壊される まで十字架は立っていたのですから。 ◎多くの場合宗教を否定するのではなく一神教を否定するのです 言うまでも無い事ですが質問者に回答しているのでは無くて質問文に 回答しています。その回答が役立つかは質問者と見物人しだいなのです。

noname#207138
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 No7の応答はお読み頂いていますでしょうか。 >宗教ではなく、一神教を否定する。 一神教以外に日本で活動している布教団体はどの位あるのでしょうか。 これが解らないと何とも答えにくい問題ですね。 質問者と質問文との違いがよく解りませんが、まあ結構です。 ありがとうございます。

noname#107171
noname#107171
回答No.32

>「皆がしているから、善悪に関わらず自分もして良い」的な発想が伺える件に関してはどのような了見なのでしょうか。 そもそも、ApostleさんがNo.29のお礼のところでした質問は、「どうすればこの妄想癖のある人達から彼ら彼女らを守る事ができると思いますでしょうか。」でした。私はその質問に回答したわけです。その文脈で読んで欲しかったです。   >例にあるイスラム教国家で豚を食べるのは思想の問題ではなく国家憲法違反に値するのだと思いますが 日本にある建物の一室に人々がいて、その9割がイスラム教徒である場合を考えてみてください。 >日本の場合は無宗教と同じ様に宗教の自由も保証されています。 憲法で信仰の自由が保障されていますが、この議論で問題になっているのは、内面的信仰を外部へ表現する自由だと思います。これは単に信仰を選択する自由や宗教結社を結成する自由などと違い、他者と直接にかかわる点で特殊なので他の宗教的自由より制約も大きいし、また問題も起きやすいわけです。つまり、宗教者が集まるコミュニティにわざわざやってきて宗教批判をする人はまずいないが、そうでない場所では批判が起きやすくなる。No.30はこういった問題に対する処世術です。 >自分が善悪ではなく損得で多数派について、多数派の力を増しておきながら、その責任を多数派と少数派の力関係という社会情勢的問題とすり替えている様に見えるのです。この辺りはどのように思われますか? そもそも、「この妄想癖のある人達から彼ら彼女らを守る」とはどういう意味だったのでしょうか。私は、宗教が原因で差別されたり、批判されないための現実的な方法を書いたつもりです。要はこのサイトのように不特定多数が出入りする、匿名で、しかも宗教とは直接関係ない、さらに言えば日本では(少なくとも自覚的には)宗教を信じていない人が圧倒的に多い、このような場所での信仰告白は危険なので止めた方がよいのではないか、もしやるなら批判は覚悟すべしってことなのですが。

noname#207138
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 No15でもしてしまったのですが、私は自分が理解した上で次の段階に進む時、自分が理解した表明をする事をしばしば欠いてしまいます。 良くない癖ですね。 改めたいと思います。 そうですね。 いくら自分たちの誤りがはっきりしたとしても、だからと言って改めるか否かはまた別の話し。 追求しても仕方の無い事ですね。 なるべく私はそういう事はしないよう人の振り見て我が振り直せで行こうかという感じです。 ありがとうございます。

  • Umehati
  • ベストアンサー率33% (4/12)
回答No.31

今の日本には、神道を中心として2回りくらい広い土着の宗教があると思う。 「神様みたいなのは一杯居て、色々不思議な事もあって、色々決まりもある」 というような、大雑把にはそういう宗教。 激動の昭和の中で、日本は何もかもごちゃ混ぜに変化して 多分神道と呼ぶべきだが、仏教やキリスト教や科学や習慣や政治や法律も巻き込んでしまって まだハッキリとした細かい所は纏まりが無い。 ○○教だからコレを否定、という事のない「宗教である事」の否定は 自覚の無い土着の宗教を根拠にされていると思います。 ある時は科学的におかしいから、ある時は憲法と違うから ある時は神道っぽく無いから、ある時は仏教っぽく無いから ある時は習慣に合わないから、ある時は政治的に決着が着いているから 多くの土着の人たちが、ナシな範囲だと考えている、 という以上の具体的な所は、何も無いと思います。

noname#207138
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうですよね。 皆よく考えているのではなく、フィーリングみたいなもので判断して非難したりしているのですよね。 そこには具体的な根拠も何もない。 その根拠が無いと言う事が解っても改める人も居ればそうでない人も居る。 そういう事ですよね。

noname#107171
noname#107171
回答No.30

>「合理性を欠く精神論」というのは例えばどの様な内容のものでしょうか。 たとえば、石原莞爾は日蓮主義に基づく独特の国家観や歴史観を持っていて、上層部の命令に反して満州事変を起こしたそうです。これが神がかり的に成功したため上層部は事後的に承認し、後に日本軍内の下克上的な雰囲気や戦争を開始する際の緻密な戦略を欠く悪弊につながったとも言われています。もちろんこの歴史理解が必ずしも正しいとは限りませんが、ここの議論で重要なのは正しいかどうかではなく、このように考える人がいるということです。 >どうすればこの妄想癖のある人達から彼ら彼女らを守る事ができると思いますでしょうか。 まず、日本人で宗教を批判する人は特別に妄想癖のある人ではないという理解が必要な気がします。要するに、これは日本社会の問題であって、宗教を批判する人個人の問題ではないのだと思います。 宗教を信じない人は「宗教を信じないという宗教観」を持っているわけです。そういった宗教観が多数を占める社会ではそれ相応の対応が必要ということかもしれません。たとえば、イスラム教徒が9割を占める場所で「この前、豚肉を食べたらすごく美味しかった話」をすれば批判が起こるのは想像できます。それと同じように「宗教を信じないという宗教観」を持つ人が多数を占める社会ではそれに対する対応が必要なのではないでしょうか。 身を守る方法と大袈裟に考えなくても、宗教者が集まるコミュニティにわざわざやってきて宗教批判をする人はまずいないと思います。しかし、ここは実社会と同じく「宗教を信じないという宗教観」を持つ人が多数を占める場所です。こういった場所では「宗教体験をした感動を質問した人」に批判が寄せられるのはある意味当然かもしれません。だからといって、その人は自分の宗教体験を否定する必要はなく、自分はそういった体験をしたが、その体験を人に話すと批判が寄せられる社会に自分は生きているということを理解すればよいのではないでしょうか。

noname#207138
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 満州事変の例えに関しては、この類いの事柄に関する例えと言うものの挙げ辛さがあるでしょうか。 今ひとつと言う感じを受けますが、仕方がありません。 とりあえず、お答え頂きました事に対してお礼を申し上げます。 ありがとうございます。 やはり一般的な考えとしては「皆がしているから、善悪についての考慮は必要なく、皆がしているという事を以てして自分もして良い」的な発想なのでしょうか。 例えば、例にあるイスラム教国家で豚を食べるのは思想の問題ではなく国家憲法違反に値するのだと思いますが、日本の場合は無宗教と同じ様に宗教の自由も保証されています。 つまり、人数は関係ないのだと思うのです。 この辺に関して「皆がしているから、善悪に関わらず自分もして良い」的な発想が伺える件に関してはどのような了見なのでしょうか。 もし、憲法で保証されている自由が「人数などの勢力図によって」脅かされる事がOKなら、世に蔓延っている諸悪もOKという事になりはしないでしょうか。 憲法だけでなく、人権問題にも繋がっている事だと思うのです。 そして、もし大人がこういう「皆がしているから自分もして良い」的発想の持ち主であれば、善悪を自分の目で見て自分の頭で判断して行動する子供が育ちにくいという教育の問題にも繋がってはいないでしょうか。 少し逸れますが、「現実を見る」という言葉がありますが、その多くは「力関係を考慮して善悪(語弊がある単語かもしれませんが、お察し頂けるよう願っています)ではなく損得で判断して世渡りをせよ」的意識から発せられているなと思う事もしばしばです。 それは「現実を見る」という行為の処世術的側面であって、全体ではありませんよね。 しかし、私がこういう問題について会話する多くの人は、「力関係の観察」に明け暮れており、いつのまにかその力関係の茶番劇の一員になり、情報操作や物流操作などの「操作」に精一杯で正気を保っているとは評価しにくい人が多いのです。 その「多数派」を構成しているのは誰でしょう? 誰でもない私達一人一人ですよね? その一人である自分が善悪ではなく損得で多数派について、多数派の力を増しておきながら、その責任を多数派と少数派の力関係という社会情勢的問題とすり替えている様に見えるのです。 この辺りはどのように思われますか?

noname#107171
noname#107171
回答No.29

>宗教を否定する人は、何を根拠に否定しているのでしょうか? 宗教を否定する人が今までの人生で見聞きしてきた宗教に対する情報を根拠にしているのでしょう。これは確かに一部のイメージを宗教全体に及ぼしているといえます。しかし、一般的に言って、日本社会で生まれ育った場合に得られる宗教の情報はネガティブなものがほとんどだと思います。 たとえば、戦前は国家神道や仏教の一部の宗派などの影響で合理性を欠く精神論に陥って敗戦の一因となった、オウム真理教がテロを起こした、非課税扱いをされている宗教法人が潤沢な資金で組織選挙をしているのは不公平ではないか、宗教の人にリーフレットを渡されたので見てみたら胡散臭い(と感じる)言葉が並べてあった、ある宗教団体に入って財産を全て失った人がいるらしい、イラク戦争などを見るに現代でも宗教対立が戦争の原因となるようだ、等々宗教と関係なく生きてきた場合、ネガティブな情報ばかりが自然に入ってきます。 もちろんこれらはごく一部の宗教に関する情報です。しかし、そうでない宗教のよい面の情報に触れる機会は日本では多くありません。そもそも、義務教育で宗教を教えることはできないし、メディアも価値相対主義のため、宗教にはなるべく触れないようにするので宗教のよいところは何なのかが良くわかりません。これはネットや知人の噂話などで宗教に対するネガティブな情報が入ってくれば、宗教全般に対する強固な否定的認識を持ちやすい状況ではないでしょうか。宗教に対して否定的認識を持っていれば宗教体験の経験談などに反射的に批判が集中することも不思議ではないと思います。

noname#207138
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なるほど。 では、やはり宗教を批判している人達(無差別殺人の様に宗教者と言うだけで非難する人達)は、自分のイメージに取り憑かれて敵ならざる人を撃っている訳ですね? 私は虐められる質ではありませんし、出会いにもかなり恵まれているので今まで一度も不当な扱いを受けた事はないのですが、それでもある程度世間の目を考慮しなければならない面もありますし、ネットなどを見れば宗教をしているというだけで不当な扱いを受けている人が居ます。 どうすればこの妄想癖のある人達から彼ら彼女らを守る事ができると思いますでしょうか。 ご意見をお伺いできると嬉しいです。 最後に、因になのですが、2つ目のパラグラフの「合理性を欠く精神論」というのは例えばどの様な内容のものでしょうか。 こちらも宜しければお伺いできると幸いです。 何卒、宜しくお願い申し上げます。

回答No.28

弁論術で理解し合おうとしても道を外れて対立は良く起こるものです。 それは犬に対して多くの言葉を発し想いが伝わらないと殴る様な事。 わずかな声とそっと手を出して触れ合う方が信頼は深まるのです~ 弁証法でも科学的弁証法(共産主義者が唱えた)でも出した結果は 人類の大虐殺という事になるわけです。あるいは何百年もの宗教戦争。 理解には正確さも一般性も在りません。思考する個人の見解です。 個人的理解だけなのです。他者との限定的な意思疎通で自分の個人的 理解が変化していくのものなのです。意思疎通とは影響を及ぼし合う 事だと意味をそう個人的に理解するのです。 私の考える真実が他者にも真実とは限らない。そう判断出来るから そっと触れ合うように影響を与えて意思疎通を図り現実を変える。 自分の真実が時間的世界的真実と判断すれば虐殺してでも広めようと するものなのです。一般的真実は無い、これこそが一般的真実です。 ◎宗教が非難されるとすれば一般的真実に反して真理を説くからです

noname#207138
質問者

お礼

>犬を殴る様な事 過去のキリスト教がした事と、今現在に生きる過去のキリスト教徒は全く無関係な宗教者に不当な扱いをする輩、どちらの事を仰っているのでしょうか? 申し訳ありませんが、kawasemi60さまの発言はあまりに狭い、だけでなく、偏った視野から発せられているので、面倒だなと思うだけであまり参考にならないのです。 「もしkawasemi60さまが理解しあって話しを進めようという気のある方でしたら」こうは思わなかったでしょうが。 自分の「影響力」とやらの術中に自らハマっているのか、或は過去に何かかあったのか、色々と考えられますが、正直あまり意義のある発言とは思えません。 不毛な会話に時間を費やしたくないのですが、そろそろ解放してくださいませんか? まだ続けたいのでしたら、「最低限のマナー」である、対話者の意図を理解しようとする事、建設的な方向に会話を進めようとする事などを守って頂けますか。 もしkawasemi60さまに相手の意図を理解する力が欠けていても良いのです。自分が思った事等を相手に確認すればいいのですから。それを怠って自分の妄想の世界をご披露されてもあまり面白いショーだとは言い兼ねます。 以後、お気をつけくださいませ。 本当はこの回答の前に色々とアドバイスを書いたのですが、文字数オーバーになってしまいましたので、2回目を書く気力もあまり無く、こういう形になりました。 失礼。

回答No.27

原典を出す必要も無いほどの有名な事件が複数在ります。 別に証拠を出して追求しているのでは無いので興味が在る 方は歴史を学べば済む事です。指導的きりスト教徒ならば 知っている事と思います。まぁ学校では教えないのでしょう。 キリスト教は知りません。信心深い信者だけが救済されて天国に いける。選ばれた者だけが救われる。日本語で何というのか忘れ てしまいましたが。け・・何とか?信者を増やしたら救われる。 悪口ではないけどネズミやマルチに似てますね。 入信を進める宗教者はネズミやマルチを進めるのと同じ感じを 持たれてしまうのかも知れませんね。話の流れはそっくりですから。 コミュニケーションというのが意思疎通の事で在るなら理解しあう というのは間違いと考えます。意思疎通とは出来るだけ被害や損害 の発生しない方法を用いて影響を及ぼしあう事でしょうからね。 犬や猫ともお互い理解は出来なくても意思疎通は出きるのです。 数千年数万年続いてきた誰もが目にする事です。

noname#207138
質問者

お礼

私もウルトラ暇人な訳ではないのです。 「質問に答えて」頂けますでしょうか。 1つ目のパラグラフについては解りました。 もう何も言いません。 2つ目については、どうやらkawasemi60さまは数百もあるキリスト教教派の中のほんの少しの派が掲げている教理は少なくとも知っている様だという事が私に伝わる意外に何か書かれた意味がありましたら説明して下さるとあり難いです。 3つ目、、、これは2つ目の続きと言う事で宜しいですね。 4つ目。 私が持っているkawasemi60さま像はどうやら間違っていなかった様だ。という事が解りました。 そして仰る事について言えば、理解も影響もコミュニケーションの内だと思うのですが、kawasemi60さまは理解の部分を排除されるのですね? なんともったいない・・・

回答No.26

別に悪口でも罪の追求でも在りません。ただの人間がアフリカで した行動の伝承です。アフリカ500年の歴史を多少学べば判る知識です。 アフリカ人の歴史にさえ興味が無い人に全人類を幸福に導く事が出来る とは思えません。とまぁ多少の感想です。 悪魔は別名では堕天使と呼ばれて来ましたから物語は理解出来そうです まぁ悪魔と堕天使が混同されて同じ意味とされているのかも知れません。 どの宗教でも自分に都合の悪い事は表に出さずに信者を集めて勢力拡大 を図るのは普通の事です。自分達の真実を一般信者に明かす事はしない ものです。鉄娘とか鉄の処女と呼ばれた処刑具も宗教が用いた物です。 ◎現実の世の中を変えて来たのは真実や正義や神の意思を説いた人達 では在りません。その時代ごとに適切な行動とは何か?を考えて行動 した人達です。犠牲を払いながら幸福な現代に導いて来たのです 地球的問題を扱うなら500年ぐらいの世界歴史を学ばなければ適切な 考えは出来ないと想います。人類的問題ならもっと学ばないと・・・ それが面倒で困難だから他人の言葉に従い自分の言葉に価値が在る と思えれば楽しくて幸せな気分には成れるでしょうが・・・ 現実には魔法アイテムと言う物は手に入りません。 面倒で困難な道を進む人にしてみれば魔法アイテムで結果に到達 したと言われれば冷笑が出るのは自然だと思います ◎拙速に幸福を求めず、面倒で困難な道を進んでから適切な考えと 行動に到達して欲しいと心から願うものです

noname#207138
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >別に悪口でも罪の追求でも在りません。 私の前回のレスをもう一度読み直して頂けますか。 kawasemi60さまの意向は関係ないのです。「話している相手方の組織の悪い評判になりそうな事を話す場合」と言っているのですから。 この意味お解り頂けますか? その続きのくだりについても、kawasemi60さまはキリスト教のキの字も知らないのだなという新たな情報が増えただけであまり意味の無い言葉です。 クリスチャンは世を幸福に導くリーダーでもなんでも無いのです。 興味があったら勉強してみてください☆ 鉄の処女については私も知っています。 酷いですね。。。 その後の◎から下の文は私の質問となにか関係があるのでしょうか。 もし宜しければご説明頂きたいです。 それから、コミュニケーションというものは相手が話している事を理解した上で次のステップに進むものです。 相手の言葉に自分の解釈をあてはめ、それが合っているか否かの確認をせずにそうであると思い込み、一人◯◯をする事ではないのです。 一人◯◯でも面白ければそれはそれでプロダクティブと言えますが、残念ながらこの件に関してはお世辞にも面白いとは言えません。 No15の方へした私のお礼はお読み頂いていますか? 次回に期待します。 ※我々が人間である以上、ある程度は仕方がありませんが、もし次回も一人◯◯色濃厚ならお相手をしないかもしれませんので、ご慎重にお願い致します。 少々失礼かとは存じますが、今後の為にあえて言わせて頂きますと、論客であれば反対者であってもそれなりに楽しいです。 しかし、一人◯◯者だと時間のロス感が拭えません。 よろしくお願いします。 最後に、そろそろ他の方のご意見もでないようですので、一旦この場をお借りして纏めさせて頂きたいのですが、結局のところ、宗教を批判する人達の大多数は何も知らないのに自分の持っている一部の人間へのイメージで宗教全体を括り、自分で閉じた自分の殻に向かって非難しているという事なのでしょうか。 もしそうだとしたら取るに足らない愚行なのですが。。。

回答No.25

宗教とは言葉遊びといっているのでは在りません。 【宗教を否定する人は、何を根拠に否定しているのでしょうか?】に対して の回答として現実世界を遠く離れた言葉により現実を決定するのが正義真実 との宗教的主張は言葉遊びに過ぎないと日本の現実を生き抜いている人の多 くは考えているのではと言う事です。 ◎【私は不安なので無神論者をすべて殴り倒して良いという事になりはし ないでしょうか。】キリスト教とはそんな程度では在りません。 洗礼を受けない人間は姿が人間に似ているだけの動物に過ぎないとして アフリカ人が何人もキリスト教徒により食べられていました。その様な 強圧下においてキリスト教への改宗が進められたのです あなたが本当にキリストを信じるならキリスト教徒について多くを 学ぶ事が必要でしょうね。人類愛を説いて来たのでは無いのです それは教徒愛と呼ぶべきものです。言葉による人間の定義に基づいて 人間では無いとしてアフリカ人を食べた。それが宗教。 ですから宗教とは言葉遊びと考える人が居るという事なのです 遊びの考えで現実を決められてはたまらないと思うのでしょうね オーストラリア大陸では原住民を狩猟の獲物として殺していました 相手を人間とは少しも思わないという事です。 私はと言うと出来るだけ現実に近い言葉で考えたいだけなのです。

noname#207138
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ◎の部分は、No19の方へした私の返事の引用ですね? もう少し当のやり取りをよく読んで頂けますでしょうか。 この応答内のkawasemi60さまの返答はまるで的を得ていないと思うのですが・・・ それから、例えば話しをしている相手方の会社の罪を明らかにする場合、或は悪い評判が立ってしまいそうな内容を公の場で語る場合、せめて情報のソースは同時に示しましょう。 この件に関しては私は全く存じませんので、情報のソースが提示された時に確認する事に致します。 特に興味もありませんので。 それから、肝心の◎の前の部分について、もう少し解り易く書いて頂けますか。 「正義真実」とはどういう物を指した言葉なのでしょうか。 最後に、kawasemi60さまはもしかしたら面白い方かもしれないと思いましたので、お近づきの印にあるお話しを教えて差し上げます。 サタン(悪魔の王)とミカエル(天使の長)は、元々は天界で生活していた、天使の中でも最も神に近いところに居た双子の天使である。という説があるのです。 サタンは映画等に出て来る矢印形の尻尾が生えていて、大きなフォークを持っている様な姿ではなく、光り輝く天使の姿をしているのです。 この事は新約聖書にもハッキリと書いてあります。 見た目も同じ、悪魔の王と天使の長。実力も同じ様です。 しかし、激しい戦いの果てに結果としてはミカエルが勝つのですが、勝因はなんだったのでしょうか? 実は「使っていた剣」です。 ミカエルは神の倉から与った神の剣、サタンの剣はそのコピーです。 剣は、キリスト教では「言葉」の譬喩です。 神の言葉(真実)を用いたミカエルが、自分の言葉(欺瞞)を用いたサタンに勝った訳です。 つまり悪魔の軍の技とは、オリジナルではなく、猿真似の根無し草だったと言う事です。 みっともなくて目も当てられませんが、それが悪魔とそれに魂を売る存在の姿なのですね。 (クリスチャンをしていると、サタンの技のみっともなさが良く見える時があって思わず笑ってしまいそうになる時すらあります。 でも、引っかかる人もいるんですよね・・・) まぁ、これはほんの寓話なのかもしれませんがね。 私達の間に、真実を通して与えられる神の豊かな恵みがありますように。

noname#133729
noname#133729
回答No.24

kido-0421さまに神の祝福がありますように☆ あ、神様。 多分私があなたにkido-0421さまの祝福をお願いしてもkido-0421さまは嬉しくないかもしれません、むしろ拒まれそうです。 それでもkido-0421さまは私に「神様によろしく」と仰っているので私はあなたに祈ります。 どうかkido-0421さまの人生が今後も更に幸せなものになりますように。 ※皮肉ではなく、本当に祈りますよ☆ ↑  祈らないで頂きたい あなたに言われると不幸になりそうです。  自分の事は自分で決めます。 宗教かぶれに 私のどうこうを、関わって欲しくない。  大きな御世話です。  汚らわしい。

noname#207138
質問者

お礼

やはりそう思われると思いました。 ごめんなさい。

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