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矢張り、「勤勉・思慮深い = 精神的に弱い 」ものですか??完璧は有り得ず、「何かを得たなら何かを失う。」でしょう。
私の友人S氏が言うこの言い訳は、これは矢張り屁理屈な言い訳?それとも正当な理由に値するのでしょうか? 私の友人S氏ですが、何かあるとやたら物事を深く考えがちになる為、病みやすい質ではあります。 ここで、彼は偶に他の友人や親から一度、 「御前は少し、精神的に弱いところがあるから、もう少しだけ能天気になった方がいいんじゃないか?」 と言われる事があるそうです。 ここで友人S氏は、このように言いますが。これは良い言い訳ですかね?そうなら仕方無い事ではありますが。 「昔、勉強や読書が嫌いだった頃は、拘って深く追求するだけの能も出来ていなかったから、その分、能天気で精神的に強かった。」 と。 確かに、彼は、中学までは勉強が大嫌いで本も面倒がって読まなかった、しかし第2反抗期を終えて180度変わり、受験を控える高校の中途辺りから、勉強や読書を逆に好きになり、哲学や文学に造詣が深くなった、疑り深く、思慮深くなったのも事実です。 今の彼は確かに真面目努力家、勉強家、読書家です。寧ろ生真面目過ぎるところがあります。 では質問しますが。 矢張り、勉強の出来る人、真面目で頭ばかりが賢い人とか思慮深い人は、反面精神的には脆いものなのでしょうか?? ハートは弱いんですかね? そもそも、「何かを得たなら何かを失う。」は正当でしょうし、自然の摂理と言って過言になりませんね。 人間は生きている限り、完全無欠にはなれませんし。 馬鹿は精神的に強い、ストレスが溜まらない、と所詮こんなものなのでしょうか? 「頭も心も強くなろう。」なんてのは、所詮、 「極上の牛肉をコレステロール抜きで御願いします。」 「勉強はしたくないが、赤点を取るのも嫌だ。」 「楽して稼ぎたい。努力せずに優勝、準優勝したい。」 って我儘と同じですかね? これは所謂、欲求の重なりですね。「回避(ー)回避(ー)型のコンフリクト(葛藤)」ですか。 勉強を好きになってから、余計な事まで思慮し、精神的にめげやすくなったと言う理屈は言い訳?正当な理屈? では待っています。 では所詮、大人が子供に言う 1.「勉強頑張りなさい。」「賢い子になりなさい。」 と 2.「心を強くしましょう。」 は、矛盾した事それぞ即ち、我儘を言っているのですかね?? 分身でもしろと言うのでしょうか? 双頭龍やキングギドラ、ヒドラのようなものにでも生まれ変われない限りは両立は無理ですね。 右脳と左脳も同時に開発は出来ません。 バランス型はいても「右脳の天才児」且つ「左脳の天才児」はいませんね。鍛錬する時間も足りないと思います。 「そうだったらいいのにな♪」では、 「キングギドラの左頭が左脳の天才、 右頭が右脳の天才、 中頭が暖かい心の持ち主、 そうだったらいいのにな♪そうだったらいいのにな♪ 」 ではないでしょうか。 人間は完璧にはなれません。 ですのに、「欠点、弱点をわざわざ克服しよう。」なんてそんな事言う事自体が可笑しい、いや無駄な事になるかと思いますが。
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