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一休さんが自殺した本当の理由。
ネット上の情報には、以下のようなことが書いてあります。 http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic16.html 一休はこの謙翁和尚を心底から慕っていたらしく、1414年(20歳)に和尚が他界した時は、悲嘆のあまり、来世で再会しようとして瀬田川に入水自殺を図っている。 上記の一文には、心理学的におかしいことがあります。 一休は、母親と縁がほとんどない状態で生きていると思われるのですが、もし、自分なら死ぬ前に母に会いたいと思って会いに行くと思い ます。 自殺未遂をした瀬田川は琵琶湖で母住んでいる京都です。 謙翁和尚と一休が暮らしていた場所は西禁寺で奈良県であるから、 わざわざ、自殺する為に、瀬田川まで、遠出したことになります。 自殺するなら、切腹という手軽な方法があるにも関わらず・・・ 思うに、一休は、母にすがるために会いに行ったが、追い返されて しまったのではないのでしょうか? それで、行き場を失った一休みは衝動的に、川に身を投げたのではなかろうか。 どう思いますか?僕の推理。
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補足
よく分からないのですが、どこの記事に、7日間という記述があるのですか? 仮に、謙翁和尚さんが死んだ後に、7日間こもっていたのだったら、 悟りじゃなくて、考え事してただけかもしれないし。 母に会いに行こうか迷ってただけかもしれない。 母に会いに行かなかったとは断言できない。 1の方の補足に仮説を書いてみたのですけど・・・ この仮説に以下を加えると分かってもらえるかな・・ 自殺未遂の時点で、使いの者から、、母の気持ちを訴えられて、死ぬのをとどまった。 そこで、初めて天皇の子供だと知った。 でも、この時点で「自分が天皇子供だから生きなければならない。」 という、発想になるためには、自殺未遂をした後の段階で、母のことを愛していなれば、 話になりません。 ですが、母は、一休の主権争いの関係で一休に合うこと自体に危険性があるのです。 使いの者からの口頭だけで、真実を聞かされて、母を愛せるなんて、私なら無理です。。 と、いうことは、一休は自殺前から母を愛していた。 だから最後のSOSで母に会いに行った。 けど、母は、会うことができない。 一休にとって満たされない思いがピークに達して自殺未遂をした。 それに、単純に放浪で流れて、ドボン死を選ぶような人が、歴史に残るとはおもえません。 一休の裏には、大きな感情的な起伏があるはずなんです。