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陰陽
“太極”から生じてきているという言い方が正しい言い方かどうかはわかりませんが、“陰陽”はどうして、順序として“陰陽”で、“陽陰”とはいわないのでしょうか? やはり“陰”が先にでてきているのでしょうか? どうかよろしくお願い申しあげます。
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答えにならないですが、少し考えたことがあります。 スイッチにたとえると「陰」は Off の状態で「陽」は On の状態といえないかなぁと想像します。 つまり、初めから On ということはないでしょう。まず電流の流れていない状態があり、それから通電があり、用が済めば再び流れない状態に戻される。 命も、初めは「無」の状態から生命が誕生し、それもいつかは土に帰する。 その太初の状態が「陰」で、光がさして世界が出来たら「陽」になった。 エントロピーの法則というのがあって、世界は「無」に戻ろうとする。 それに逆らって「陽」を発動させているのが生命です。 太陽も、いきなり照りつけているのではなくて、初めに闇があり、それが開け初めて、やがて絶頂期を迎えて、次第に闇に戻ろうとする。 順序として「陰」が先なのではないかなぁ、などと空想しました。
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- c2662fly
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陰陽も五行も太古の人々が天地自然のはたらきに驚き、恐れ、惑いなどを抱いて、それと調和して生きるために編み出したものと思います。太極は、陰と陽のはたらきが調和して、その力を推進していく状態を表し、陰陽の究極なるものを考えたときに編み出されたものでしょう。 陰陽五行思想のことは、古い本ですが『中国上代陰陽五行思想の研究・小林信明著』に詳しく書かれているそうです。 陰・陽の先後の答えでなく申し訳ありません。
お礼
ありがとう御座います。 太極からではなく、森羅万象に畏敬を抱き、陰陽、そして太極というものに辿りつき、そしてまたそれから森羅万象と自分たちの説明と認識、並びに調和、といういきさつなんでしょうね。 面白いですね、読みようによっては、『太初にことばありき』、『ブラフマンが創造の意識の側面(になって)から、オームなる観念を発した』などなど、創造神話には何か共通のものがありますね。 ブラフマンの創造の意識、これはの太極なんでしょうが、女性神を最初に創造しますね。 これは“陰”なんですね。太極のブラフマンは無論“陽”ですから、正に陰陽かなと、勝手に符合させることが出来るのですが、きちんとご存じの方のお教えがいただけないかと存じまして、質問しております。 どうぞよろしくお願い申しあげます。
陰陽yingyangは古代中国からある概念なので,古代中国人に聞かないとわからないのではないでしょうか。 逆にしてもよさそうなのに,決まった順序のことばは,いろいろありますね: 明暗,上下,左右,前後,後先,男女,南北,東西,動植物,などなど。いちいち気にしていたら,失語症になってしまいかねないんじゃないですか 笑。
お礼
ご見解もそのとおりですね。 ありがとう御座います。 ご例示所掲のことはまことに仰せの通りかもしれませんね。 言いやすい語順や一応言いやすさの法則と慣れも研究されていますが、陰陽もあるいはそうかも知れません。 でも千字文や古代の中国の方のお話の中では太極のことは私にもある程度納得でき、そこから出てきている一つの相対的磁力ですね、陰陽は。太極から出る性格を同時にこの二者で表示するなら、よく判りますね。 或いは私の考えとは異なり、仰せのように失語症にならないように気をあまり気にしないほうがいいのでしょうかね。 ありがとう御座いました。
お礼
≪太陽も、いきなり照りつけているのではなくて、初めに闇があり、それが開け初めて、やがて絶頂期を迎えて、次第に闇に戻ろうとする≫という順序動きと、反対の順序動きもあるのでしょうね。 ブラフマンが、創造の意識たるブラフマ、創造の父となったとき。これは陰陽のどちらも内含し、どちらでもない。 聖母を、そして一人子の観念をvibrateして幾重かの創造界をなした。この界が最初の陰で、それから陽・陰・陽の系列が始まる。 私たちは似像なるもの、陰に、最後は戻ろうとするのかもしれません。 bakansky さんの回答の中の空想に私も加わり、空想を付加しました。すみません。 私たちの教え、Self-Realization Fellowshipは必ずしもここまでは敷衍してはいないとは存じますが。真に勝手な解釈です。 ありがとう御座いました。
補足
bakansky さん、素晴らしいお教えご回答です。 創造とか、生きるという事は確かに電源Onなんです。 これを電源Offにすることが人生の大事ですよ(私の受け取りですが、)と語るのが、山本常朝の≪死ぬことと見つけたり≫だと存じます。ヒンドゥ的教えの一派の勉強でも類似のことを学んでいます。孔子や老子も受け取りによっては類似のことを教えています(両者を対置するのは皮相かも知れません)。 電源Onを太極に想定しようという解釈は無理があることを認めます。 ですから、仰せのように≪まず電流の流れていない状態があり、それから通電があり、用が済めば再び流れない状態に戻される。命も、初めは「無」の状態から生命が誕生し、それもいつかは土に帰する。その太初の状態が「陰」で、光がさして世界が出来たら「陽」になった≫という姿が、理解としては正鵠を得ていると存じます。 ≪世界は「無」に戻ろうとする。それに逆らって「陽」を発動させているのが生命です≫というエントロピーの法則は新たな智識であり、日常の私たちには「無」に戻ることがとても不自然で、無理なようですが、宇宙的にはそういう原理が支配しているのですね。多分。そしてまた多分、「陽」を発動させ、維持しようという原理も支配しているのですね。