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陰陽の順序など
本件については、このサイトの別のカテゴリーで質問させてもらいましたが、入力ミスなのでしょう、どこにも載らず、ご回答がいただけず、自らの経歴を出して、そこで削除を致しました。 おんみょうじや陰陽道は何かテレビのせいか、膨大な項目があります。そこにないので、以下のことをどうかお教え下さい。 1. 普通「陰・陽」といい「陽・陰」という順序では謂わないのは、なぜなのでしょうか? 太極がそもそも陽だから、それに連続するのは太陰で、 それが最初になり、太陰からいい始めるので、陰・陽と なっているという私のこじつけはまちがいでしょうか? 2. でも、太極図というのは、二つ巴みたいな、勾玉みたいなのが、組み合わさっていますが、これは何を図示しているのでしょう。 3. 陰陽とは、一種の二進法なのでしょうか? でもゼロと1ではない。否定と肯定でもない。 二進法というのは0,1 0,1 01 と進むものでしたら、 陰陽は二乗、二乗と進むので、当て嵌まらないですね。 どうかご存じのことを何でもお教え下さい。
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「太極がそもそも陽」は間違ってるような気がします. 「太極わかれて陰陽をなす」, でしたっけ? だから「太極は陽も陰もない」んじゃないかなぁ. で, 中国語では一般に, 並列にするときに声調が一定の順序になるんだそうで, 「陰陽」もこの順に従っているとか.
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- Tacosan
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あ~, 陰陽と二進法とのからみだと, ライプニッツという数学者がなんか言ってたとか.
お礼
有難う御座います。
補足
何かご存じよりのことがありましたら、お教えください。 私としては、ライプニッツについて、名前をきいたことはあるのですが、陰陽や二進法とのからみというのは存じません。ライプニッツ自身のことも、その二進法もあまり興味はありませんが、(期待するお話ではないのですが)、二進法や陰陽と世界の創造などに関連した、お話としてのライプニッツのお話は期待するところであります。 質問にお目を留めていただいて、感謝します。どうぞよろしくお願いします。
- Vwiyoonn
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最初の質問については足りていると思いますので、二つ目と三つ目の質問について。 大極図の陰陽が各々の勾玉のように見える部分の目玉にあたる部分にも、同じ意匠が繰り返されているはずです。そして、その小さな大極図の…、というぐあいに無限に同じ図案が(もちろん仮想的に)繰り返されるいるのです。 つまり、巨大な現象から微細な現象に至るまで万物はこの陰陽二元の法則性に貫かれているのだよ、ということを図示しているのです。 そして、二進法について誤解されているのではないかと。 0,1だけで完結するのは一桁の二進法表記に限ってのことです。 日常的に用いている十進法表記にも桁という概念があり、(自然数での説明になります)右から10の0乗、10の1乗、10の2乗…、という表記法になっており、二進法での桁の概念は右から、2の0乗、2の1乗、2の3乗…、となっているのです。 たとえば十進法の13を二進法で表記すると13=1+4+8ですから、1101となります。二進法でも0,1で完結するのは桁の枠内のみのことです。 余談。 当たるも八卦当たらぬも八卦という易の筮竹占いもこれと同様の発想に基づいたもので、陰のセグメントが2の8乗、陽も同じ、ってなシステムを使えば未来は表記できる、という考えに基づいたものです。デジタルコンピュータもこれと同様の発想の延長線上に存在しているのです。 もし、興味を持たれたのでしたら、易とデジタルコンピュータ、易とライプニッツについて調べてみてはいかがでしょうか。面白い本が沢山あるはずですよ。
お礼
該博なご説明に感服し、今更ながら何かと自分の浅薄な知識にひきつけて、連想をたくましくしてきたことが、当を得てないことを理解できました。 まことに有難う御座いました。 陰陽的世界認識が十分理解、親しんでいないので、全て完全に了解できた、ということは勿論いえませんが、太極図の中の勾玉にみえるのは、陰陽の図示で、それは大から小までの成り立ちの原理となっているのであるという意味でもあるのですね。単に最初だけの太極とことではないと、いうのですね。 二進法の件はある程度理解できてきましたが、この陰陽が確かに二つの要素を語るものだとしても、いわゆる意味における、二進法を具象するのではない、ということですね。 どうもいろんな先入観があって、陰陽的創造の世界観を理解していく上で障害になっているようです。 連想や、思いをはせることはいいけれども、それはしかし理解ということにはなりえないですね。 どうもありがとう御座いました。
お礼
いや有難う御座いました。 太極には陽も陰もない。 そうなんですか。そうなんでしょうね。そして語の順序は、語としての順序で決まるので、決して、先・後の順序や重要とか、基本とかの問題ではない、ということを知り、そういうものか、と今更思っています。 そういうものだから、今更私がそれではいけないのではないかといってもしょうがないですよね。当たり前ですが。 勝手に最初の陰陽の前に、陽の何かがあると、一生懸命こじつける必要はないのですね。陰陽は陰陽ということなのですね。何か、ものたり何のですが、しょうがないですね。そういうものなのだから。語順としての法則でしかないのだから。そんなものなのですね。 ≪余 談≫ 浅学な私がインドの場合のことを連想すると、至高なる神が創造の神という側面になる。その神が創造のものを観念する、出会う。 これがいうなれば女性なのですね。 意識を変えた創造の神は、そこで男性。という形になっている。 根本の最高神は女性でも男性でもないのでしょうね。 創造界という女性を見たから、自分の意識の中にその女性を見た、その意識は男性だということのようです。 まぁ神話ですから。いざなぎ、いざなみも神話ですからね。 有難う御座いました