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日本政府が霊魂の存在を認めたら

日本政府が霊魂の存在を認めたら、案外この国は暮らしやくすなるのではないでしょうか。 システムを色々いじくってみても万人が納得するものはできないでしょうし、人の心を満たすこともできないでしょう。 それならば不確定なものを「ある」と宣言して、あいまいな部分をそのドラえもんのポケットに入れてしまえば、案外法律などはシンプルにできるのではないでしょうか。 言葉によっては説明できないものを、あえてシステムの中に組み込むのはうまいやり方だと思うのですがどうでしょう。

みんなの回答

noname#234035
noname#234035
回答No.14

日本政府が霊魂が存在すると認めたら、 ★自殺者は増えると思います。 病気や貧困、悩みなど生きているからこそ起こる、さまざまな事から、逃れられる方法として死んで霊になってしまおう、と考える人が多く出て来るでしょう。 死んだら終わりと考えて苦労に耐えて来た人々も政府が認めたのだから霊魂の存在は確かだと思うはず、死んでも先があるのだったら、何も苦労して生きなくても霊の方が自由だし楽じゃないか、と。 やはり、自分が全くの無になる怖さは、皆、持っていると思うので、霊魂として残るのであれば、死を恐れる人がいなくなってしまうと思います。でも殺人事件は減ると思います。霊に復讐されるでしょうから、殺しても意味ないでしょう。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 悲しいかな、縁なき衆生は度し難しなのです。

noname#94551
noname#94551
回答No.13

補足です。 人には、誰もが取り去れない「絶対的な孤独」が与えられています。 しかし、孤独だからこそ、人は、愛を生み出せるのでは? 孤独だからこそ、誰かに寄り添うことを考えるのでは? わたしは一方で、自分を本質的に救済できるのは、自分しかいないのだと思います。 しかし、世界には、「自己愛」を見失っている人が多いのです。 けれども、自己愛を見失った時、支えられるのは、外側からの愛の働きかけだと、わたしは、思います。 何とも不思議にも、裏と表が、どちらも必要なのが宇宙なのだと、わたしは、考えています。 長々と失礼しました。 それでは、良い1日を。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >自分を本質的に救済できるのは、自分しかいないのだと思います。 私もそう思います。

noname#94551
noname#94551
回答No.12

ご理解頂ければ充分です。 人は、好きで命を絶つのではありません。命を絶つ直前まで、愛し愛されて心穏やかに過ごすことを願っているのだと、わたしは、経験からして、そう思っています。 ですから、あなたが、命を大切にしてもらいたいとおっしゃるならは、どうか、身近な人を心底愛して下さい。 愛は、愛へ巡って、愛へ還るのだと、わたしは、信じています。 わたしが、昔、歩道橋から飛び降りそうになった時、わたしを、往来する無数の車に飛び込ませなかったのは、家族に愛された記憶の力でした。 わたしは、怖くなって、近くの警察署に飛び込んで、両親を呼んでもらいました。 母は、泣きながら、わたしに言いました。 「ありがとう。よう、思い止まってくれたね。ありがとう。」 父は、じっと黙って、ただ、わたしのことを見ていましたが、とても温かかったです。 わたしは、その日から、死なない決心をしました。 今も、それを守れているのは、周りの温かい思いやりのお陰です。 感謝の限りです。 それでは、そろそろ失礼します。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 孤独、これが人にとって最も危険な毒なのかもしれませんね。

noname#95026
noname#95026
回答No.11

霊魂の存在を認めたら人の心は満たされるんですか??意味が判らないのですが?? 人間の心は不安の成るように出来ていると思います。脳っと言ってもいいと思いますが。どんなに社会システムが変わろうと不安と悩みは消える事はないですね。  不安を持っていることが救いですよ!変な言い方ですが。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 もともと人の心の問題は宗教が担当していました。 宗教とは人はどう生きるべきかを示す羅針盤の役割を果たします。 たいていの宗教で魂の存在を規定していました。 霊魂という概念は、現世(今生きているこの世界)の状況を説明するのにとても便利なのです。 例えば、なぜ人は悩むのか、なぜ、徳を積まなければいけないのか、なぜ悪いことをしてはいけないのか、なぜ自殺してはいけないのか・・・・ 宗教が持っていた魂という概念を法律というシステムに組み込んでみたらどうだろうというのが質問の趣旨なのです。

noname#94551
noname#94551
回答No.10

○無神論者が、ひ弱とは限りません。断言は危険です。 ○信仰心が厚くても、自ら命を絶たれる方はいらっしゃいます。わたしの身内にも一人。 ○恐れ入りますが、わたしも、心の健康上万全ではありません。ですから個人的に「拠り所の無くなった迷える子羊」という表現に嫌悪感を抱きます。 心を患っているからといって、そのように同情されるのは、とてもわたしは、嫌です。 少なくともわたしは、「可哀想ではありません」。 そして、魂について考えるより、わたしの命を食い止めているのは、家族の愛です。 巡って、あらゆるものが、万事繋がって、私を助けて下さり、生かして下さっているがゆえに、さかのぼって、この世の創り主に敬意を抱いているだけです。 そんな、わたしの個人的信仰は、誰かに押しつけるものではないので、脇に置いておいて頂きたいのですが、 心を病んで、命を絶ちたくなるのは、症状のひとつで、理由とされるのは、あくまでもきっかけである場合が、ほどほどだと、わたしは、捉えています。 今後の質問者さんの思索のご参考になさって下さい。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 申し訳ありません。 少し口が過ぎたようです。

回答No.9

戦争中に戦場になった某県に行くと「日本国政府」の名で立ち入り禁止している土地があります。 そこに行かれてみては?

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 靖国問題と同じで完全無視はできないのでしょう。

noname#94551
noname#94551
回答No.8

ひとつこちらからもお尋ねしますが、では、どういう利点があるというのですか? 憲法上、認めたものについて、不確かさがあることが前提ならば、証拠の裏付けがいかなくても、主張されたら、否定出来ないのでは? そうでなければ、矛盾しませんか? 国の考えで動く機関である以上、それに則って、動くのが警察です。その捜査上説明のつかない部分に霊魂を持ち出して捜査された場合、被害者は、納得するのでしょうか? ※ここで、ひとつ申し上げておきたいのは、わたしは、あなたの考えを否定する為にネガティブな意見を出しているのではありません。 寧ろ興味深いです。 ただ、極論的な危険性について論ずることは、一つの考えを多角的に捉えるのに必要なことと存じましたので、どうぞ、気分を害することがあれば、ご容赦下さい。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 霊魂の存在は認めるが、その存在の証明は現時点で不可能である。 こんな一文がいいですね。 主張するのは自由なのです、今でもそうじゃないでしょうか。 殺人者の中でもその時、悪魔に体を乗っ取られたと主張する人がいると思います。 でも彼の罪は軽くはならない。 なぜなら証明できないから。 存在するということと、それが体を乗っ取るという事はイコールにはならないと裁判官は思うんじゃないでしょうか。 証明できないのですから、裁判の証拠にはならない。 つまり、裁判を行う上で今と何も変わらないと思います。 この国では年間何人の人が自殺するかご存知ですか。 なんと3万人です。その理由は様々でしょうが、権威の崩壊が大きいのではないでしょうか。 宗教、国、会社、家族、道徳・・・・良くも悪くも権威があったのです。 それが今は芸能人のゴシップをニュース番組で報道する時代です。 無神論者を気取る虚弱な現代人に、宗教の代わりに法律が魂の存在を認めてあげるのです。 六法全書がバイブルの代わりをしようというわけです。 メリットとしては自殺者の減少になると思います。 霊魂を信じるなら自殺という行為は何を意味するのか、本人に考えさせるのです。 このメンタルヘルスのカテゴリの質問たちを見てください。 拠りどころを失った迷える子羊たちの多いこと。 そういうわけでこのメンタルヘルスのカテでこの質問を立てているのです。

回答No.7

霊魂の存在を認めたとしても、暮らしやすくなるかは別だと思います。 今現在の政府の行う調整で万人が満足いかないのと同様霊魂の存在に対して万人が満足いくものではないと思います。 私自身は、霊魂とかは信じてなく、初詣にも墓参りにも行くことはないです。 建前で知人の葬儀にでることはありますが・・。 面白い考え方だとは思います。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 万人を納得させようなんて大それたことはする必要ないのです。 良い効果がでればそれでいいのではないでしょうか。 >私自身は、霊魂とかは信じてなく、初詣にも墓参りにも行くことはないです 霊魂を信じない自由は認められますので、今と同じ状態を保てるでしょう。 しかし、あると仮定すると面白いですよ。

noname#94551
noname#94551
回答No.6

例えば、殺人が起きます。その犯人は、実は、大物政治家でしたが、隠ぺいのため、霊魂の仕業にしてしまうことも起こり得ます。 今、日本は、政治主導へ転換すると民主党は公言し、その為の組織改革が進んでいます。この組織改革は、悪用すると、独裁体制を作り得ます。 ですから、何らかの混乱期を迎えて、国民が、独裁者を首相に選んでしまった場合、その独裁者の意に反する人が「霊魂の存在を否定した」という理由で、命を絶たれたことに始まりに、恐怖政治が暴走する、というシナリオが現実化する可能性は、皆無ではないと思われます。 法律上、「霊魂の存在を認める」と名言しながら、信じないという権利を保証された場合。 法廷おいて、国の下で務める法律家である検察側が「霊魂の存在を認めた」陳述を出しているのに、同じ立場である筈の被害者が「否定派」であった場合、被害者の救済は困難になるのではないでしょうか。その温度差は、どう埋められるのでしょう? この場合、論点がそこから始まり、肝心の案件解決が、遅れはしないでしょうか? と、これもまた、わたしの個人的意見であって、参考までに。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 霊魂の仕業をどのように証明するのでしょうか? 無理ですよ。 だから証拠としては認められないのではないでしょうか。 >恐怖政治が暴走する、というシナリオが現実化する可能性は、皆無ではないと思われます。 はは、それなら霊魂を持ち出すまでもないでしょう。 >その温度差は、どう埋められるのでしょう? 霊魂の存在の有無が裁判に影響するというのはどのような場面でしょう?

  • cibone
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回答No.5

先に回答させていただいた者です。 >六法全書に存在すると書けばいいのですから。 誰が書くんですか? 霊魂の存在は、法律(ルール、決まりごと)ではないと思うんですけど。 法律は真実を記す、ということじゃないですよね?

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >誰が書くんですか? 誰でもいいです。 許可をもらえるなら私が・・・ >霊魂の存在は、法律(ルール、決まりごと)ではないと思うんですけど。 そうですね、でもいいんじゃないでしょうか。

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