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霊魂の存在について

霊魂の存在についてですが、信じる信じないは、人それぞれです。これは、自ら体験した人でないと信じられないと思います。僕は、今年で、52才になりますが、小学校6年の時、幽体離脱(肉体から一時的に抜け出る現象)を経験して、その後、40代から、今日(こんにち)に至るまで、何人もの不成仏霊(動物霊など、犬や猫も含めて)を、霊体験を通して供養してきました。僕の場合は、肉眼では、霊は、見えませんが、彼らは、携帯カメラの写真に写り込み、顔の表情を変化させ、「苦しい、助けて欲しい!」と訴え掛け、又、ある時は、金縛りという形で、何度も供養を求めてきます。ことわざに、「死んでも、死にきれない」という言葉が、ありますが、まさに、その通りで、事故や災害で亡くなった人(得に即死)の霊魂は、自分に死んだという自覚(肉体が、ないのに気が付かない)がなく、現世を、さ迷います。僕は、今まで、そういう霊たちを、お寺の住職に招霊、霊媒を兼ねて、供養して頂きました。住職によると、僕は霊の波動を受けやすく、波長が合った時に、そういった霊現象が起きるとの事でした。初めは、そういう自分が嫌で、たまりませんでしたが、今では、これも、自分に与えられた役目であり、運命と受け止めています。新聞などで、事故は、仕方ありませんが、殺人や、自殺などの記事を、よく、目にします。なんと悲しい事でしょう!そういう人に限って「人間は死んだら、終わりだ!」、「殺そう!」とか「死んでしまえば楽になれる!」という人たちです。殺された霊や自殺した霊(事故死も含む)は、決して成仏する事はなく、地縛霊や浮幽霊となり、現世を、さ迷い苦しむ事になります。よくいう、心霊写真が、写ったというのは、この為で、彼らの強い想い(念)が、そうさせるのです。この場合、霊と交信しながら、相手を納得させて供養(霊界に導く)するという事になりますが、僕は、少しでも、多くの人に、霊魂の存在と命の尊さを、知ってもらいたいと思い、この文章を書きました。 ※以上、この内容は、質問というよりは、霊体験を通して感じた一個人の意見、感想と思って受け止めて頂ければ、幸いです。

みんなの回答

  • burahuman
  • ベストアンサー率27% (167/604)
回答No.5

せっかくですが写真に写るなら霊魂とは元素で構成されていると言わざるを得ませんがこの両者は決定的に矛盾しています。

  • vasco
  • ベストアンサー率15% (9/57)
回答No.4

質問者様のおっしゃることは、学問的に言えば典型的なアミニズムですね。この世は霊魂の存在を前提にしている、という。 私はね、アミニズム的な霊は別にいてもいいと思うんです。だって地縛霊だろうと浮遊霊だろうと、いたっていなくたって人間に害があるわけじゃないですから。カトリックの洗礼を受けてる私がこんなこと言うのも、まあ何ですが…。 しかし私はプノンペンのキリングフィールドや北部ラオスの不発弾散乱地帯にも行きましたし、バンコクじゃカティヤ将軍の反乱に巻き込まれて殺されそうになりましたから、生きてる人間の方が遥かに恐ろしいということを骨の髄まで理解しているわけです。 で、私は霊感という能力の存在は一切信じていません。幽霊はいたっていいけれど、霊感は絶対にない。それが私の基本スタンスです。 なぜかというと、人間は内的な能力面でみんな等しく同じという考えが自分の中にあるからで、そして少なくともたかだか人間が超自然的現象を起こすことはまかり間違ってもない、という発想です。もし霊が見えたとしたら、それは霊感があるからではなく向こうが働きかけているに過ぎないんじゃないか。そう考えています。あ、もちろんこれは私見ですよ? 「それが正しい」って言ってるわけじゃないですからね。 しかしいずれにせよ、私は日本人にしては限りなく一神教徒に近い考えの人間だってことは言えます。 ですから私、日本のいわゆる霊能者の皆さんが言ってることよりも、今の彼女様の言ってることの方が納得できるんです。あ、私の彼女様はインドネシアの熱心なイスラム教徒でして、趣味がコーランを読むことという筋金入りの方です。彼女様曰く、「すべては神の思し召し」。たとえ自分が明日事故や災害で死んだとしても、それは神が決めたことだから仕方ないと。それに異議を唱えてはいけないんです。 ということは、やっぱり自殺はいけないんです。神の思し召しに逆らうことですから。 そう断言する彼女様のこと、愛してます。異教徒同士で私も改宗するつもりはありませんけど、別に構わないですよ。 あ、何だか彼女様自慢になっちゃいましたね(汗)。

noname#189246
noname#189246
回答No.3

これは「○○だけど質問ある?」のコーナーに投稿した方が良かったかもしれませんね。質問という形ではないので・・・ 投稿者様の霊体験はかなり正確な解釈だと思います。根拠はここでは割愛しますが。できたら私にも何かアドバイスを頂きたいところです。 ところで私はアドバイスを頂きたいことの他に、数々の疑問に答えるために来ました。興味のある疑問が並んでいるので。 仏教では一寸の虫にも五分の魂と言います。これは嘘です。虫の魂と人間の魂は五分ではありません。人間の方が発達進化しております。魂は鉱物霊、植物霊、動物霊、人霊の順に進化向上して来ました。皆それぞれの役割をもって、向上へ向かう営みを続けております。そのうち、動物霊に関しては、人間にお世話をされることによって進化を促進してもらう立場(ペット)もあり、また食肉になることによって人間に貢献する(身をささげる)立場もあります。肉食は高級霊からしてみれば「嘆かわしいこと」です。しかし、これは人間が進化向上するためのカルマ(課題)の出現にもなる訳です。高級霊が述べたのは、まだそんな獣性の課題を残していることを「嘆かわしい」と言ったのです。では植物なら食べてよいのでしょうか。植物は動物に比べると殺される時の苦痛が少ないそうです。「よりあっさりしている」のです。動物には人間と同じ神経があり、苦痛を感じる機関がある訳ですが、植物にはそれが無いのです。採集と同時に精霊がぽろっと離れて行くようです。恐らく、殺される時の苦痛は、霊性の発達程度に比例して大きくなっていきます。動物霊の中でも、認識力の高い動物ほど、苦痛は大きいはずです。だから、食べるならより下等生物が好ましいのではないかと思います。それがベジタリアンの良い点なのではないでしょうか。もちろん、植物も人間や動物に食べられるという、食物連鎖の一端を担う自然での役割によって、ゆっくり霊性進化して行くのです。 次に、人間の死には「寿命」と「自由意思の悪用」という2種類の死に方があります。寿命で死ぬ場合には例えそれが苦しみの癌であれ、死ぬ準備を着々と整えてきたのであり、他界後はスムーズに幽界という異次元に馴染んでいきます。自由意思の悪用とは、自殺及び殺人です。これは人間が、自然の寿命に逆らって命を絶つもので、死ぬ準備が出来ていません。現世にまだ多くの課題(向上するための使命)を残している状態で、途中で人生を放棄した、または奪われたことになるので、後悔や無念の気持ちが大きく、現世の領域を離れることが出来ません。また、突発事故や、死後無になると思っていた人は、自分が死んだことに気づけません。意識があるということはまだ生きているんだと思ってしまいます。だから成仏しにくいのです。自分の死を悟るまで何十年か足踏みをします。そんなわけで、死ぬ時苦しいかどうかは成仏できるかどうかを決定しません。現世に未練があるか、または死を自覚出来ているかが問題なのです。 それに、苦しそうかどうかは第三者が見て思うことですが、実際本人が死の間際苦しいかどうかは分かりません。カルマがたまっていない人は、苦しそうに見えてもそれは肉体の反応なだけで、魂はすでに遊離していることがよくあります。このように、老衰以外が皆苦しむというのも間違いです。 それと老衰以外は寿命ではないというのも間違いです。霊界から見たら病気でも事故でも、死ぬなら宿命、つまり寿命なのです。 これらは宗教ではなく、やはり霊媒の検証によってもたらされた叡智です。

noname#179661
質問者

お礼

凄く詳しいですね!全くその通りです。そもそも、お経というのは、亡くなった人を、霊界へ誘導して導く為のものですが、現世での未練や執着が強すぎると、現世に、留まり、怨念を残して亡くなった霊などは、悪霊化して地縛霊となり、未練や執着が、強すぎる人に、限っては、浮幽霊となって、現世をさ迷い、自分から波動を送って、波動の会う人に救いを求めます。多分、その亡くなった場所で、多数の人に、メッセージを送っていると思いますが、気が付く人がいないのかも知れませんね!今回は、貴重なご意見、本当にどうもありがとう御座いました。

  • shorinji36
  • ベストアンサー率17% (406/2382)
回答No.2

たしかに存在すると思いますが 〉ことわざに、「死んでも、死にきれない」という言葉が、ありますが そんなことわざありません。文面以上の意味がありません。 〉殺された霊や自殺した霊(事故死も含む)は、決して成仏する事はなく、地縛霊や浮幽霊となり、現世を、さ迷い苦しむ事になります。 だとしたら癌など病気で苦しんで死んだ人はどうなるのでしょう? 老衰以外、人は皆苦しんで亡くなりますが。 都合が良過ぎな話ですよね。 宗教上の都合の良い解釈に過ぎません。

noname#179661
質問者

お礼

ご意見、どうもありがとうございます。文面上の「癌など、病気で亡くなった人は、どうなるんでしょう?」という事ですが、成仏出来ず、当時の肉体の痛みや苦しみを、抱えたまま何十年、何百年と暗いところで、過ごす事になります。そういう霊は、苦痛のあまり、助けて欲しいと、写真に、写り込んだり 金縛りという形で、生きている人間に救いを、求めてきます。もちろん、人によって感じる人、感じない人と、人によって差は、ありますが、確かに彼らは、メッセージを送って来ています。なぜ、そういう事が、言えるのかというと、実際に体験したからです。今から、8年前の事です。午前2時過ぎに、目が覚めて、起き上がろうとした時です。起き上がろうにも、手足が、全く動かず、人が上に乗っている重い感覚が、ありました。僕は、心の中で「どなたですか?供養しますから、離れて下さい!」と叫びました。すると、体が、急に軽くなり、動けるようになりました。念の為、部屋の天井部分の写真(電気を消して暗くした状態で)を撮ると、髪の長い、おも長の目鼻立ちのはっきりした若い女性の顔が、携帯カメラに写っていました。僕は、次の日、供養する為、お寺に行き、住職にその写真を、見せると、あなたの母方に、病気で亡くなった親戚の人は、いないかと尋ねられ、母と叔母さんに、確認を、取ったところ、今から4、50年前に、30歳前後で、肺結核で亡くなった親戚の女性がいた事が分かり、その女性の霊を、呼びだしたところ、その女性は、亡くなった当時の状態で、「亡くなった時は苦しかった、今も苦しい!助けて欲しい!」と肉体の苦痛を訴え、もっと、生きたかった、死にたくなかったと、話かけてきたのです。要は、霊の訴えをよく聞いて悟し、お経を、あげて霊界への入り口へ導いてあげる、これこそが、供養なのです。全部とは、言い切れませんが、殆どの人が、この状態で、成仏しきれないものと思います。僕の場合は、そうでした。信じる信じないは、貴方次第ですが、実際に、どれだけ科学が発達しても、科学では、証明出来ない不思議な出来事が、この世の中に、たくさんあるという事です。

  • ykoke01
  • ベストアンサー率41% (174/424)
回答No.1

当然、蟻や蚊、魚や鳥なんかにも霊魂はあるんですよね? それとも人間だけ特別?命の重みに違いでもあるの? 所詮、生あるものは生の犠牲によってしか生きられません。まじりっけなしの水だけで生きられる人がいるでしょうか? なまぐさものが~などと言っている坊主が一番許せない存在です。植物なら殺してもOKなのか?芽や実は生き物ではないのか?食べるということに一番感謝していない人種のような気がしましてね。 それ以前に、人間だけ特別みたいな考え方がもっと理解できませんね。

noname#179661
質問者

お礼

ご意見、どうもありがとうございます。もちろん、どんな小さな動物にも霊魂はあります。私たち人間は、生きる為には、食べて行かなくては、ならないので、生きる為に、他の生物の命を犠牲にしているのも確かです。よく、ご飯を食べる時に「頂きます!」と言いますが、全ての生き物の命に感謝して、命を頂きますという意味ですが、人間自身が特別だという考え方を、持っているのも確かです。だから人間は、輪廻転生を繰り返すのかも知れません!この世に修行として、人間界に送り出され、亡くなった後も、死後の世界で修行という事になります。僕が霊を供養して貰う時の住職さんの霊に言う言葉は、「明るいところに出て、修行しなさい!」という事でした。

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