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官房長官の発言に疑問:尖閣はポツダム以前から日本領という主張の根拠はあるのか?
- 官房長官の発言に対して疑問が浮かびました。ポツダム宣言の時点で沖縄は米軍に占領されていたため、尖閣は米軍に占領された沖縄県の一部として扱われるべきではないのか疑問です。
- また、ポツダム宣言に署名したのは中華民国であり、その時点で中華人民共和国は存在していませんでした。この主張を解釈すると尖閣は台湾の領土となるため、中国の台湾への介入が正当化されるのか疑問です。
- 質問者は、この疑問についてどのような回答を返すつもりなのか気になります。また、台湾の政府が独自に外交を行っている現実を考えると、この主張は現実に即していないように思われます。
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官房発言は正しいと思います。 現代の国際法上では軍事占領によっても領有権は失われません。事実上の主権行為は停止・制限されますが占領国の領有が宣言され当事国双方が認めない限り領土であることに変わりはありません。 語義上でも「占領」とは「他国の領土を支配すること」とされています。 ポツダム宣言の受諾により「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」つまり台湾・朝鮮・関東州・南洋諸島の領有を失いましたが、その中には尖閣諸島は含まれていない、というのが日本の主張の根幹です。 その後、本土と沖縄において最終的に返還されたのは「領土(主権)」ではなくて「施政権」であり、尖閣諸島は首尾一貫して日本固有の領土であるといえるわけです。
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- hideka0404
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台湾について補足します。 採択じゃなくて、蒋介石の受諾ね。 そうすれば琉球は手に入りましたが、経済が元でないので、資産価値ゼロというのが、当時の中国の見方でした。 ■台湾島 日本が清朝(中国)との日清戦争(1894年-1895年)に勝利して、『下関条約(日清講和条約)』で台湾(たいわん)と澎湖諸島(ぼうこしょとう)を獲得することになりました。日本による『台湾統治』は、清朝が台湾を日本に割譲した1895年(明治28年)4月17日から、第二次世界大戦後の1945年(昭和20年)10月25日まで続きますが、日清戦争後に日本は台湾を占領するための征服戦争に乗り出します。台湾は1683年に清国に占領されて属領化されていましたが、それ以前は清朝に抵抗運動を続けた鄭成功(ていせいこう,1624-1662)が樹立した『鄭氏政権(1662年-1683年)』によって運営されていました。 明朝の滅亡により台湾に渡った鄭成功が起こした政権が『鄭氏政権』ですが、鄭氏政権以前の台湾はオランダの東インド会社に貿易拠点として支配されていました。この時代を『オランダ統治時代(1624年-1662年)』といいますが、台湾の領有権は『明→オランダ→鄭成功(鄭氏政権)→清→日本』へと移っていったのです。清朝の攻撃を受けた鄭氏政権は1683年に崩壊しますが、台湾の『清朝統治時代(1683年-1895年)』は日清戦争の敗北によって終わりを迎え、台湾と澎湖諸島は日本に割譲されることになります。日本は1874年にも琉球(沖縄)の島民が殺されたことを理由にして一時的な『台湾出兵(牡丹社事件)』をしていましたが、実質的な領土支配はしていなかったので、『台湾占領』の軍事政策を改めて実施する必要がありました。 ドイツ・フランス・ロシアの『三国干渉』によって遼東半島の占領を放棄させられた日本でしたが、台湾占領については西欧列強から干渉されることが無かったので、そのまま占領のための戦争を準備することになりました。広島から東京に移された『大本営(戦争の計画・遂行の指示命令系統のトップ)』は、台湾占領がほぼ完成する1896年4月1日まで設置されていました。台湾府は清朝の行政機構では『福建省』に従属していましたが、清朝は西欧列強と日本の軍事進出に対する国防拠点として台湾を認識し始め、1885年には『台湾省』へと昇格させていました。 このことからも判る通り、中国という国は自分で割譲しておきながら、国内的には自国だという見解な国です。 遼東半島も、日本が手を引いた後は、ドイツの植民地になり、日本は、対華要求で「取り返し」ます。 この時割譲したので、中国は占領ではなく、放棄したことになります。 前にも述べましたが、日本が返還すべきは、ドイツとオランダなのです。 ま~朝鮮は中国でもロシアでも問題ないでしょう。 と、あくまでも妄想癖の中国の考えに基くならの話です。 第一次大戦を日露戦争と位置づければ、日清戦争は、大戦前と言わざるを得ません。 アヘン戦争を第一次世界大戦と言わないのと一緒です。 また、日本の侵略戦争といわれますが日本は日英同盟に基づいて、1914年8月23日にドイツ帝国へ宣戦を布告し連合国の一員として参戦し、帝国陸軍はドイツが権益を持つ中華民国山東省の租借地青島を攻略、海軍は南洋諸島を攻略した。イギリスがドイツ権益地域の山東半島を戦後日本に与えると約束したため、日本は参戦しました。 英仏露からは、主戦場であるヨーロッパの戦線への帝国陸軍の派遣要請があったがこれを拒絶したものの、帝国海軍は連合国からの再三の要請を受け、1917年には巡洋艦「明石」及び樺型駆逐艦計8隻からなる第二特務艦隊を派遣、後に桃型駆逐艦などを増派し合計18隻を派遣し、インド洋と地中海でイギリスやフランスなどが持つ世界各地の植民地からヨーロッパへ向かう輸送船団の連合国側商船787隻、計350回の護衛と救助活動を行ったとあります。 特に、1917年後半から開始したアレクサンドリアからマルセイユへ艦船により兵員を輸送する「大輸送作戦」の護衛任務を成功させ、連合国側の西部戦線での劣勢を覆すことに大きく貢献したものの、多くの犠牲者も出しました。被害としては駆逐艦「榊」がオーストリア=ハンガリー帝国海軍の潜水艦「U27」からの攻撃を受け大破、59名が戦死しました。「榊」は完全な状態に修理するのに8か月を要したといいます。他の戦闘をあわせて地中海前線においては日本軍将兵計78名が戦死しており、戦後、マルタ島のイギリス海軍墓地の一隅に墓碑が建立されています。 またロシア革命後の1919年に他の大国とともにシベリア出兵を実施しました。 戦後、大日本帝国も連合国の5大国の一国としてパリ講和会議に参加し、パラオやマーシャル諸島などの、それまでドイツが支配下に置いていた赤道以北の太平洋上の南洋群島を委任統治領として「譲り受ける」とともに、国際連盟の常任理事国となったのです。 第二次大戦もそうですが、日本が侵略目的で戦争したことは無いのです。 上記のような歴史的事実を「外国」が直視していないだけなのです。 これを突っ込まれると寓の音も出ないからです。
- hekiyu
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中国は、台湾は中国の領土だ、と明確に宣言 しています。 その為には武力も辞さない、とはっきり言って おります。 尖閣は台湾領土だ。 台湾は中国領土だ。 故に、尖閣は中国領土だ。 というのが中国の理屈です。 中国人に聞いたことがあります。 「中国で一番大きな島は、海南島だろう?」 「違います。台湾です」
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ご回答ありがとうございます。 まさにジャイアン思想! 自分はそのうち中国は倭の五王や漢倭那国王の話持ち出して 「日本は中国の従属国だ!」って言い出しかねないと思ってますけど…。
- kofusano
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Occupied Japan オキュパイドジャパンとは「占領下の日本」 以前からです
- hideka0404
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基本的なことだけど、このポツダム宣言の前というのは、その前に締結された「カイロ宣言」に基くからです。 ■カイロ宣言 日本により獲得された全領土剥奪(米国公文書館にあるカイロ議事録の323~324頁に、ルーズベルトは、蒋介石に対して「琉球諸島全部を中華民国に渡したい」と申し入れるが、蒋介石は拒否したので、沖縄県の帰属は日本へ残すことになったとある。) 疑問は晴れましたか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 つーことは、もしこの宣言が採択されていたら沖縄は中国ではなく台湾のものになってたってことですよね? 「琉球は歴史的に中国のものだ」って意見とは全然離れたものになりませんか?
産経新聞サイトなどにあるこれでしょ? 2013.5.29 13:25 [官房長官] 菅義偉官房長官は29日午前の記者会見で、中国の王毅外相が尖閣諸島(沖縄県石垣市)をめぐり、ポツダム宣言の規定を引用し、菅氏に「もう一度、(歴史を)まじめに学んだらどうか」と領有権を主張したことに反論した。菅氏は「尖閣諸島はポツダム宣言以前から日本の領土。私は歴史をしっかり勉強して発言している」と述べ、強い不快感を示した。 尖閣諸島をめぐっては、中国の李克強首相が「日本が盗み取った」と領有権を主張。これに対し、菅氏が27日の会見で「歴史を無視した発言」と批判したことを受けて、王氏も李氏に同調した。 これに菅氏が29日の会見で応酬する格好となり、「(中国側の発言は)全く歴史を無視した発言だ。さかのぼると、(1895年の)日清講和条約締結以前から、尖閣はわが国固有の領土だった」と強調した。 ///////////////////////////////////////////////////////////////////////////// 尖閣は中国が生まれる前の清の時代から(WW2終戦まで)日本領です。間違いありません。 清国の地図や当時の書間にも清国が記載していますし、日本は国際法に準拠して編入しています。 中国は歴史の浅い国ですからネエ。本来、あそこは、本当は台湾が代表でした。 その台湾が中国の言うように中国の一部にならなければならない理由はありません。 台湾人怒ります。 当然ですが、沖縄県人も、中国に勝手に中国の一部だなどと主張されたら怒ります。 中国は、ドイツでも支離滅裂な持論を展開してます。 次第に、どこの国からも相手にされなくなってきています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >中国は歴史の浅い国ですからネエ。本来、あそこは、本当は台湾が代表でした。 その台湾が中国の言うように中国の一部にならなければならない理由はありません。 台湾人怒ります。 つーか国際社会は何で中華民国がまだ存在してるのに中華人民共和国認めちゃったんでしょうかね。 これがゴタゴタの始まりだと思うのですが。 ポツダム宣言に署名したって事は中華民国は間違いなく国際社会の一員だったんでしょ? それを否定するのもおかしな話ですよね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そもそもカイロ宣言にもポツダム宣言にもサンフランシスコ講和条約にも「尖閣は中国の領土だから返しなさい。」なんて一言も書いてないし、当時の中華民国がそのような主張をしたっていう外交記録も何もないのですからね。 「1972年以前に中国が尖閣の領有権の主張をした形跡はない!」って言い張るのが正解だと思うんですけどね。