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日本人の文化?
サッカーの試合を見ていて、以前から不思議に思っていたことがありました。それは、本日9月8日の朝日新聞の朝刊にも載っていた英ジャーナリストの一文(日本対オランダでの)に他ならない。 「シュートアレルギー」 フランスW杯予選のイラン戦でしたか、岡野のゴールシーンまでがそうですが、キーパーと一対一でも誰もいない所へパス?。2回くらいありましたっけ? それから今に至るまで、国際試合では選手は変われど同じシーンをよく見ている気がしています。 以前も新聞紙上で「ゴール前でなぜかマゴつく」と批評されていたこともあったと記憶しますが、チャンスにシュートしてしまってはいけないんですかね?何かの戦術でしょか? 何年か前に群馬県の高校野球の試合でノーヒットノーランだったか、・・の達成直前に投手交代があり、試合後に監督は「ヒーローはいらない」と答えたんですが、サッカーも同じ? それじゃ世界で勝てないですよね。 チームプレーは、最高の技術の結集で行われるのであって、技量に差がある人を補うことではないと考えます。小学生の試合じゃないんだから。 チャンスであるのに、それも高い技術にあるはずの人のプレーであるのに、それを放棄してパスした結果がゴールから遠のくなんて、どうかしているとしか思えない。 小さいころからの「横一線でないといけない」的な教育の賜物なんでしょうかね。 これは、「日本人の文化」なんでしょうか。 この内面的とも言える部分はいったいなんでしょう?
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ブラジル人が多くいるチームとフットサルやサッカーでよく対戦していました。そのチームには素人も上手い人も混ざっていました。 彼らは下手な人でもシュートを打ってきます。また上手い人もフルパワーでシュートを打ってきます。多少無理な位置でも可能性があれば積極的にシュートを狙ってきます。守備の際も、顔見知りなので汚いプレーはナシですが、ガシガシとボールを奪いにきます。 同じような構成の日本人とフットサルをすると、下手な人はチームや試合全体の雰囲気を考えて遠慮気味にプレーしますし、上手い人はフルパワーでシュートを打たず、他の人に打たせようとパスします。またゲームの目的はパスを綺麗に回す事に終始して、得点が最高のプレーとは考えていません。守備も極力安全に、相手のミスを待ちます。 素人のフットサル・サッカーなのに、なんだか日本代表の縮図を見ているみたいな感覚でした。 そういう意味では国民性や文化と言えるのかもしれません。 横一線的なものよりも、ムラ社会的な物を感じてしまいます。
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- mako2_u
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>シュートを外したシーンを責めるよりも、 >チャンスになにも出来なかったところを >吊るし上げた方が効き目があるようにも思います。 まさにそれだと思います。 選手本人よりも、批評する側や指導する側の「日本人の文化」が プレーへ悪影響を与えているように思います。 批評は放っておけばよいのですが、指導は従わないと外されたりしますから。
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・・でしょう? 野球じゃ、2アウト満塁カウント2-3で緩いストレートを見逃し三振。 それこそ、「なんで、振んないの?クリーンヒットでなくても、エラーだってあるんだぜ」って非難の的と思います。 試合後のインタビューで、「決定力が・・」ではなくて、 「シュートチャンスはたくさんあったようですが、なぜ打たなかったんですか?」 ここから選手の真相心理が知りたいです。 >批評する側 メディアなら、自分の発言が記事になればいいんだろうから無責任ですよね。 あっ、だから積極的なのか?解決策を提案しないもんね。 >指導は従わないと・・ とは、自分一人で決めようと思うなよ。って指示でもされているんですか? シュートには消極的ですが、こぼれ球にはなぜか果敢に思えます。 代表となると、監督、選手ともプレッシャーは大きいんでしょうけど、シュートすらせず「決定力が」なんて言ってほしくはないですよね。
- go-go-west
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文化も関係しているでしょうがただシュート技術などが十分ではないので 自信がなくシュートを打てないのでしょう。 また、”シュートをはずす=悪いこと”という先入観があることも理由のひとつでしょう。 サッカーにおいてシュートは必ずしも点を取るためだけのものではない。 つまりミドルシュートを打ち、守備のラインをあげさせたりなど戦術的な部分も含まれています。 だから打っていけばいいのに・・・。 それと、もうひとつ。日本の文化に通じていますが、日本人は責任を負うことをかなり忌み嫌います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 う~ん、技術への自信なんですかね。 でも、それで飯食っているプロですからねェ。 OB怖がってドライバー振りきれないようでは勝負にならないとも思います。 >責任を負うことを忌み嫌う メディアもシュートを外したところクローズアップしますからね。 シュートを外したシーンを責めるよりも、チャンスになにも出来なかったところを吊るし上げた方が効き目があるようにも思います。 日本の文化とは、朝日新聞で載っていたこととは違っているようにも思えて、「出る杭は打たれる」的な事が日本には多いようにも思えます。 一人での仕事のようになし得る(ゴール)事にブレーキがかかっているようにも思えます。その根底はなんだろうと思ったわけです。 質問に記載した群馬県での野球の試合のようでは、とても悲しいです。
- lowrider_2005
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『日本人はなぜシュートを打たないのか?』という本でも読んでみてください。なかなか面白いです。 すでにお読みかもしれませんが....
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早々にご回答いただきありがとうございます。 湯浅氏の著書ですか。買ってはいませんけどね。 この「リスク」とは、誰が教えるんですかね。そんなこと気にしないでやっていた時分があったんでしょうから、リスクと責任とやらを教えたヤツが悪いんでしょうかね。そいつらは誰だろう。 それとも、「ことなかれ」のDNAが知らず知らずのうちに受け継がれてきちゃったとか。
お礼
ご回答頂きましてありがとうございます。 確かに、思い当たる点はありますね。野球のような固定された守備位置のない競技や遊びでは、分別のつく年代になるほどそんなところがあるようですね、身に覚えがあります。遊びと思っていても・・・この感覚はなんだろう? 中高での授業でやるサッカーなんて、運動を面倒がる者以外は誰もがシュートをしに行っていた気もします。リーダー的存在なんてこの時ばかりは無視でしょう。 ただ、遊びでは上級者が「楽しさ」を伝える打たせようとするパスなら気持ちはよく理解できますね。 >得点が最高のプレーとは考えていない。 確かヤナギサワとかいうヤツがそうだと以前にスポーツニュースの解説者が言っていましたね。それも「アシストにこそ」的な称える表現でしたが、こいつはFWですぜ、点を取りに行ってなんぼの評価と思います。 ムラ社会・・、やっぱり、農耕民族ってことでしょうかね。 ・・・と、なると「独り相撲」「目立つ」的に思われてはいけない潜在的教育なのか、DNAが仕事として行動した時に働いちゃうのかな。