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不安で仕方ありません。

仕事が休みの日は特になんですが、 いろいろなことが不安になり、息が苦しくなることがあります。 何か精神的な病気なんでしょうか? 誰にでもある普通のことでしょうか? 「何か重い病気にかかっているんじゃないか」 「人に嫌われているんじゃないか、悪く思われていたらどうしよう」 「将来、このまま1人になってしまう」 「私はおかしいんじゃないか」 「こんなんじゃ生きていけないんじゃないか」 …など、とにかくマイナスの考えにとらわれてしまい、 何をする気力も湧きません。 何かをしなければ…と、外に出たり掃除や仕事のこと等、色々と試みるんですが、 「自分は何をしているんだろう」と落ち込みます。 こんなことではいけないと思うんですが、苦しくなります。 仕事の日は比較的、仕事に集中できているせいか平気なのですが。 私は何かおかしいのでしょうか?

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noname#100878
noname#100878
回答No.4

僕にも経験があります。仕事に忙殺されていた頃、今現在より 仕事量は多く、上司からのプレッシャーも厳しかった頃、毎日9:30‐20:30まで、みっちり休みなく仕事をこなしていましたね。振り返ればここまで頑張れる人は本当に少ないと思えますね。毎日疲労困憊していました。 それでも、ご質問者様と同じく、平日は元気でした。ただ、土日になると、不安や焦り、または寂しさから、落ち込んだでいましたね。 街に出ても、つまらなく、ある時は、自分を失っていました。自棄になるのでなく、ただ寂しかったです。 それでも、仕事は好きで、仕事が自分の精神を支えていたのかも知れません。昔、電車の中刷り広告で、【土日うつ】というのを目にした事がありました。ご質問者様はそこまでとは思いませんが・・ 僕は、それっぽかったです。(笑) で、今の僕は元気です。どうしてかと言えば、好きな人がいるからです。 勿論もう少し進展してから本当の幸せを実感できると思いますが、彼女との気持の交換に、元気づけられているし、気持も強く持てています。 参考になれば・

pika7215
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 お礼遅くなりまして申し訳ありません。 なんだかお気持ちわかります。 ご回答者様ほど、私は苦労していないでしょうが、 土日はホントにうつになります。 わかって頂ける人がいて嬉しいです。

その他の回答 (3)

  • izhon
  • ベストアンサー率71% (5/7)
回答No.3

あえて病名を付ければ、不安神経症だとか、 うつ病などの可能性はあるかもしれません。 ですが、そういった症状は特殊なものではなく、 どんな人間でも程度の差こそあれ不安になることや、 うつになることはあるのだと思います。 私自身、精神科に通って安定剤を飲んだことがありますが、 改善することはなくて通院もやめてしまいました。 新しい仕事に必死になっているうちに症状は無くなり、 今はうつな気分になることはほとんど無くなりましたが、 今でも心と体をバランスよくケアしてあげるということを実行しています。 体のケアとしては、スポーツをしたりして体を適度に使ってあげること。 心のケアは、音楽を聞いたり、映画を見たり、お酒を飲んだりして、リラックスすること。 私は休みの日に、登山(トレッキング)して、帰りに日帰り温泉入ってリラックスして、 家でお酒飲んで、ということを時々やっています。 ポイントはバランス。体も使って、心も休ませて。どっちか偏っても駄目です。 あと、人と会うこともいいと思います。 友人と会っておしゃべりをしたり、一緒にお酒を飲んだりとか。 自分の中に溜め込んでしまうよりは、外に発散する機会を多く持ったほうがいいと思います。 あくまで私の方法で、他の人にこのやり方があてはまるのかどうかは分かりませんが、 参考にしてみてはどうでしょうか。

pika7215
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 お礼遅くなりまして申し訳ありません。 うつなどの病気であると思ってはダメだと思いました。 私よりつらい思いをしている人はたくさんいる。 もっと逃げずに頑張ろうと思います。

回答No.2

貴方は普通です。誰でもが感じている事、或いは誰でもが同じ思いを抱いています。只貴方が不安を強く感じたとするならば、貴方が強くその思いを「封じ込めたい」或いはその不安な感じを心から在ってはならない感情として、追い出そうとしているからです。 それは貴方が人間の心の(感情の)湧き上がる根本原因に疎いだけという事が言えます。その事を仏教では「無明」と云う事で教えようとしています。或いはキリスト教では「罪」と云う事で説明しています。 湧き上がる漠然とした不安、或いは罪悪感、或いは心に迫る圧迫感の事です。是がどこから来るものかが分からない事から、その不安に対して身構えて、貴方が対抗しようとしたなら、貴方には不安がもっと強くなると思います。 そうではなくて、貴方が気にしないで他に何か興味のある事を見つけて、その事に打ち込む事が出来たなら、貴方は何時か不安であった事さえも忘れてしまうただの雑念で在った事になります。 貴方が不安にさいなまれるか、ただ単に湧き上がる雑念の一つが不安と云う事とした場合には忘れ去る事が出来ます、貴方の不安に対しての対処の仕方によって決まります。 一番の方法は、ただ不安として受け止めて、その不安を受け入れると云う事です。誰でも不安な時が在るという事を理解するという事になります。そうする時に、貴方は不安であった事さえも忘れてしまいます。

pika7215
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 お礼遅くなりまして申し訳ありません。 不安を受け入れられるように頑張ります。 悩んでも仕方ないですよね。

  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20252/40150)
回答No.1

色々な事がある。 その色々はそれぞれ違う悩みであり、心配事なんだよ。 そしてそれぞれにはそれぞれの受け止め方があり、解決法がある。 その質の違う悩みを悩みとして一括りにして抱えちゃうからしんどくなる。漠然とした悩みほどエネルギーを奪われる事はないからね。 悩みは悩み。 でも貴方なりに自分はこうなりたい、こういう自分になっていきたいなという気持ちはある訳でしょ?貴方なりに良いなと思える自分の為に出来る日々の努力であり、自分と向かい合う時間であり自己練磨。 それはこれからも続けて行けば良いじゃない? 人の評価が貴方の価値を決めるんじゃないんだよ。 貴方自身が自分という人間を良い部分も改善したい部分もしっかり受け止めて、その上で等身大の自分で貴方なりに毎日を大切に過ごしていく事。そのプロセスには誰かの評価なんて必要が無いんです。 ~しないといけない、~したらいけない。そういう決め事は貴方の中で作り出した自己暗示。~しなきゃ、じゃなくて~したいなという気持ちを大切に。そこに貴方らしさが生まれてくるんだから。 貴方なりにそういう不安があるなら、それに対してじゃあどういう風に今の自分から改善していけば良いのかまで考える。 ただボンヤリ悩んでるだけじゃ何も変わらない。 目の前の、身近な関わりのある人たちとの関係を改めて大切に。 関わる人に対しても感謝を忘れずに。心身のバランスを貴方なりに大事にしながら、自分なりに良いなと思える毎日を過ごす事。 そのプロセスこそ人生そのものなんだよ。 その歩みは貴方次第。正解不正解なんて無いんだから。 ボンヤリ悩む位なら、貴方なりに悔いが無いように、毎日を今よりもっと前向きに、自発的に過ごしてみたら? ~しなきゃいけない人生なんて、何も無いんだから☆

pika7215
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 お礼遅くなりまして申し訳ありません。 義務感でやるのではなく、前向きに動けるように頑張ろうと思います。

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