- ベストアンサー
この症状を、森田療法で治すとしたら
- 不規則でハードな仕事を長年やってきたため、機能性胃腸障害やドライアイに悩まされている。
- 叔母のストレスから自律神経失調症になってしまい、叔母からの頻繁な電話によるストレスも原因と考えられる。
- 森田療法によって不安を受け入れる考え方を身につけ、心のコントロールをすることで症状の改善が期待できる。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
レスありがとうございます。 「不安をうけいれる」というのは、もっと言えば、受け入れているのか受け入れていないのか? そんなことを考えもしなくなっているのが、受け入れている状態です。 受け入れようとしている自分の意志があるのではなく、問題にしなくなった状態です。不安が空気みたいになる。 以前にも何度か書きましたが、「不安」という名の車を降りてしまう。 そして外から車を見る。カタチが分かる。そしてこの車を無くしてしまおうとする。それが間違いなのです。 不安という名の車に乗って人生の旅を続けるのです。だから車に乗り込み、運転する。 運転席に座れば、車のカタチはよく分からなくなります。 そしてひたすら前を見て、前後左右に神経を張り巡らし、一生懸命運転する。一生懸命生きる。 すると、時には自分が車に乗っていることさえ忘れてしまう。意識から落ちることも、しばしばある。 でも車そのものが無くなるわけでは、決してありません。 「不安をうけいれる」「不安のまま」「不安になり切る」「不安は、あるけど、ない」「今に生きる」 「絶対矛盾的自己同一(西田幾多郎)」…。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5177440.html http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5172390.html 又、貴方様の状態を「対人恐怖的なもの」と考えれば、それも含み「パーソナリティ障害」でも捉えることが、 実はとても大切だと、私は近年思っています。私自身、思春期から三十年近く森田療法を心の支えにしながら生きてきて、 加えて40歳を過ぎてパーソナリティ障害理論に出会い、これで大きく進みました。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5166880.html http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5182370.html http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5164077.html さて、具体的なご親戚とのお付き合いについて、細かな情報がありませんので あまり的確なものは差し上げられないかも知れませんが、少し考えてみたいと思います。 勿論ご自分の苦しみを和らげるために、このお付き合いの状況を改善する必要はあるでしょう。 しかしそれを「最大の目的」にすることは、大きな間違いです。それは二番目位にされるのが宜しいです。 一番大切なことは「全体」です。功利主義的・全体主義的なお考えを持ち、これを真の目的にされることです。 まず貴方様は貴方様で、ご自分の「心の自立」を目指す。 そして、それによって学んだものを活かし、この叔母様の心の自立をも促す。 そんなやり方も良いと思います。 もっと言えば、貴方様の「自分自身」が今よりもっと濃厚になり、心の自立が今以上に進めば、 そのお姿そのものが、あえて説教じみたことを言わずとも、この叔母様に伝わり、 それによって関係が大きく改善されるだろうことも、充分予想されるのです。 沢山のことを申しました。今すぐに理解せよ、とは決して申しません。 一定以上消化するのに、4~5年はかかると思います。それ位沢山のことを申し上げたつもりです。 ですからお辛くて大変でしょうが、まずはお薬の力も借り、じっくりと取り組んでみて下さい。 私は医師ではありませんから、決して断定的なことは申し上げられませんが、 大きくお心が進めば、お薬が不要になる可能性も、充分にあろうかと感じています。
その他の回答 (2)
私は 「森田療法」 について相当以前に関心を持っていた者ですが、その時に理解したことがご参考になればと思います。 その説明の前に、ここに一つの哲学的知識があります。(チョット難しいかもしれませんがご容赦を) それは、「人間は同時に一つのことしか意識できない。また人間の意識と行動とは同じものであり、ただ形が変わっているだけである。」 「森田療法」はこの哲学知識を精神治療に応用しているものと思われます。 すなわちそれは、「精神の悩みがあるときは、体を動かして行動すればその悩みは消えてしまう。」という理屈になります。 さて、具体的にあなたの現状について対応を考えますと、 叔母からの絶え間ない電話があなたに精神的苦痛を引き起こしているということですが、 この悩みを「森田療法」で解消しょうとすれば、 叔母からの電話に対するあなた自身の応対を明瞭に「行動化」すればいい、となります。 すなわち一つの方法として、 <叔母からの電話の記録を取る>ことが挙げられるでしょう。 (1)叔母から電話がかかった日と時刻 (2)叔母の電話が終わった時刻 (3)叔母の電話の内容 (4)叔母と話した時間数 (5)あなたの感想 てなことでしょうか。 それをキチンと用紙に(パソコン中でもOKですが)記録する。 その記録をハッキリと取ることで、「叔母からの電話」があなたの精神的な悩みへと転化するのではなく、単なるあなたの行動目標となることができます。 その結果、叔母からの電話は、以後あなたに精神的な苦痛を引き起こすものから、単に(一種のスポーツのように)あなたに生き生きとした行動へ向かわせる好ましいものへとなっていくはずです。
お礼
ご返信、本当にどうもありがとうございます! なるほど、そういう考え方もあるのですね。 物事を違う角度から見る事ができないので、 大変参考になります。 貴重なご意見、ありがとうございましたm(__)m
- youchan37
- ベストアンサー率37% (248/669)
森田療法で治す、と。それが成し得たとします。すると、治ったらどうなるとお考えですか? 不安が何もかもなくなって、スッキリサッパリ秋の青空のような心の毎日を送れるのでは、と。 そうお考えだとしたら、それは間違いです。 不安になる要素があれば、当然不安になります。 現状を拝見しましたが、ご親戚の件など、このような不安になる要素があれば、当然不安を感じるものです。 それが無くなるというわけではありません。 不安が無くなったら、車に轢かれます。ガスを閉め忘れて火事になります。 「明日はこれで大丈夫か?」と不安になるから、準備をして万端整うのです。 >「不安をうけいれる」とありますが、もしかしたら一番陥りやすい間違いに 陥っていらっしゃるのかも知れません。 「受け入れる」という意志があるうちは、本物ではありません。 その意志がなくなった時が、本物です。 受け入れよう。受け入れれば楽になるはずだ、と期待しているうちはダメです。 どんなに期待しても、不安になる時はなります。不安は胃の動きや心臓の動きと同じものであり、 直接的に操作することはできません。 ただ、例えば私は多汗症気味なのです。これは体質だから仕方ないです。 もし体質による汗が80だとしたら、不安になり切れば80です。 しかし不安を取り除こうとすれば余計な精神葛藤が増えますから、すると20増えて100になってしまいます。 「あー汗が出てきた。みっともないな。恥かしいな。何とか汗が止まらないだろうか」 …無理です。不可能を可能にしようとして焦る。焦るから余計汗が出る。~その分20増えるのです。 純粋に不安だけになれば、80で済みます。しかしこの80は体質がもたらしたものですから、無くなることはありません。 それで、貴方様の「ブラジャーで圧迫されているような苦しさ」が、どこからくるものなのか、分かりません。 もし100%、遺伝子的・器質的に不安を感じやすい「体質・本能」からきているものならば、 これ以上改善されることはないと思います。よって継続的に薬などが必要になると思います。 しかしその中の20%は精神葛藤によるものだとしたら、その20%は消失するはずです。 まずは、現状を受け入れることです。 最初は受け入れようとするのは、止むを得ません。それでは本物ではないから、 期待するな、と言われても、すぐに期待を止めることはできないはずです。 だからそれも含めて「今のありのままの自分」なのです。 「ブラジャーで…」きっとみぞおちの辺りですよね。分かるような気がします。心中お察し致します。 しかし例えば脊椎カリエスだとしたらどうでしょう? もっと苦しいはずです。痛いはずです。 何もしていなくて寝ていても、激痛を感じるといいます。 正岡子規や三浦綾子…、脊椎カリエスでも文筆活動などをし、精一杯生きた人々がいました。 この人々は、ありのままの激痛を受け入れていました。或いは晩年のフロイトなどもそうです。 しかして受け入れているということは、この激痛を感じなくなるということではないのです。 この激痛がありながらも、精一杯生きるということです。 それはつまり、どうにもならないものを、もうこれ以上どうにかしようとするのを止める、ということです。 鈴木大拙の「肘外に曲がらず」です。肘は外側には曲がらない。 この当たり前のことを当たり前として、それ以上何もしなくなる。考えなくなる。それが悟りです。 ですからまず貴方様は、今苦しいままに生きるしかありません。 薬を飲むなら飲んで、今に生きるしかありません。 そしてその上で先々、精神葛藤の部分は落ちていくかも知れません。 精神葛藤の部分が殆どなく、遺伝子的・器質的なものが大半なら、殆ど現状は変わらないはずです。 それでもう一つ。不安を感じやすい体質が変わらないなら、それはそれです。 それより仕方ありません。 しかし、不安を感じさせている対象が変われば、当然不安を感じることは少なくなります。 当時の脊椎カリエスは、もうどうにもならなかったのでしょうが、もし医学が進めば、それはそれで 治療を改善していくのはかまわない訳であり。 もう一度整理します。 高い所に立ったら、不安だ。当然です。「この不安を消そう」とすれば、それは不可能だから増大します。 しかし不可能と知り、消え去る期待をする身が落ちれば、増大した分は減ります。 しかし元々の不安はあります。それでいいのです。それが無くなったら、気をつける心を失い、 本当におっこちてしまうかも知れません。 それで、後はできることと言えば、高い所を降りることです。地面の上に立つことです。 つまりは、その親戚の方々との関係を改善することです。 今も工夫はされているようですが、更に一層工夫を進め、不安の対象そのものの存在を希薄にすることです。 又これについても >心のコントロールって難しいんですよね・・・ とあります。 これが少し心配です。「胃や心臓を自由に操ろう」とするお考えが見え隠れする気がします。
お礼
ご丁寧にわかりやすく説明していただき、大変恐縮です! はきちがえて考えていた所もあったので、相談してよかったです! ありがとうございました! m(__)m
お礼
お答え頂き、どうもありがとうございます! 色々な事を学ばれているようで、貴重なご意見、勉強になります。 確かに、おっしゃるように、消化するのには時間がかかりそうですが、じっくりと取り組んでみてみたいと思います。 極力同じ目腺になって考えて頂き、本当に感謝です。 ご丁寧なご意見、ありがとうございましたm(__)m