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言葉はどこに響く?
珠玉のようなすばらしい言葉は、どのようなメカニズムで 人の心を揺さぶるのでしょう?なんだか、つかめそうで つかめないんです。誰か、論理的なアドヴァイスをください。 (近いうちに理系の掲示板でも同じような質問をしようと 思っています) よろしくお願いします。
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- ry0uc0m
- ベストアンサー率33% (3/9)
ことば自体が響きです。 日本語には1音1音に意味があります。 たとえば「さくら」、「さ」(「早乙女」の「さ」や、「早苗」の「さ」など)には霊妙な力と言う意味、 「くら」には神の坐ます所と言う意味、 そこで、桜の下で春を祝うのお花見をするんですね。 同じように「いのち」の「い」(「息」の「い」など)にも霊妙な力、「ち」は「道」、「血」といった力の意味があるという説があります。 「神」という言葉がありますが、「kami」と発音し、 「神」と同一視された「熊」も「kuma」で発音が似ていますし、アイヌ語で「神」をあらわすのは確か「カムイ」ではなかったかと思います。(ちょっと自信がありませんが) 結局何が言いたかったのかというと(すみません、前振り長くて)、 「どこに響く」と言うのではなくて、ことば自体が響いているという事がいいたかったんです。 だれかの心に響いているから「ことば」としての一語一語が生まれているとおもうんです。 音の響きが言葉の響きとなり、その言葉が人に入ってくる時に音の響きに還元されるような気がします。 ぜんぜん論理的でも科学的でもないですが、参考までに。
- monti55
- ベストアンサー率12% (2/16)
もちろん表記のイメージも影響しているハズです。 何故なら、私自身がそうだから(笑) 「漢字ばっかの本より、ひらがなが比較的盛り込められている(逆にひらがなばっかも読みづらいですけど(^^;)方が読みやすいし、文体(?)←ここで言う"表記(形から受けるイメージ)"が優しい」気がするもん。 Evianusさんもそのこと言ってるんですよね? 「言葉」について考えるには果てしない道のりが 必要な気がします。 『言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか』(酒井邦嘉)中公新書 『心にいどむ認知脳科学―記憶と意識の統一論』(〃) これをEvianusさんにおすすめします。 ここにあなたが<<無意識に>>(笑)望んでいる "答え"が見つかるかもしれません(^^)(謎)。 それは本との相性によるけれども。。 一般的に言われている「言語学」という堅苦しいものではなく(もちろん"言語学"の領域なんですが;) 違った方面(視点)から語られていたりするので 楽しく読めるはずですよ。
- monti55
- ベストアンサー率12% (2/16)
論理的なアドヴァイス・・・。 専門家じゃないからウマイこと言えないと思うけど、 敢えて言うなら私は「言葉」が「その音感を以って響く」とき、 それは「相手の人の<<無意識>>に作用」するものだと思います。 だから私の考えでは、易しい言葉であったり、日本語特有のリズムであったり(5,7,5..etc)、そういったある種「言葉の内容」ではなく「言葉の持つ音や色、質感」が、相手の脳の中にスっと入っていったときに、その言葉が「言語」としての意味だけではなく「温度」を持ったもの、になるのだと思います。 だから珠玉のようなすばらしい言葉、というのは イコール「温度/体温」を持った言葉、になるんじゃないかな。 それと、人間の誰しもがもっている「リズム」というものにちょうどうまくピッタリと当てはまったとき。 「感情の琴線に触れる」といった感じです。 リズムとは魂の音です。
- kigineco
- ベストアンサー率28% (30/105)
いつも難しいご質問をされるな、と思いながら、論理的ではない私のひとり言を……。 「珠玉の如き素晴しい言葉はどこに響くのか」といえば、その瞬間瞬間に持っていた、あるいは考えていた自分の思想、思考、感情に響くのでしょうな。 ということは、その時々にその人が持っていた思想、思考、感情が主になって、言葉というものは従になりそうな気がします。 そう考えたとすれば、「言葉はどのようなメカニズムで人の心を揺さぶるのか」というときには、まず、その人がなぜそういう思想、思考、感情をそのときに持っていたのかということがわからなければ、メカニズムもへったくれもないような気もします。 まず言葉があって、それに感動するものではありませんよね。その人に何かがあって、はじめてその言葉に感動するわけですから、順番を逆にしたほうがいいのかもしれません。つまり、「人はなぜ、その言葉を珠玉のように素晴しいと感じたのか」というふうに。 あとは、他の回答者さんのご意見、またそれに対するご質問者さんの返しを楽しみにしています。
お礼
早速回答ありがとうございます。 実は昨日谷川俊太郎さんを紹介した番組がNHKでやっていたのですが、そこで久しぶりに彼の「20億光年の孤独」を聞いてしまったんです。20億光年の孤独かぁ。じ~ん。という感じです。ちょっぴり感動したんです。この経験が私にこの質問をさせました。 私は論理的に答えが出ると思っています。 例えば、 A=人を形成する価値観のメカニズム B=詩的な言葉 とすると、 1.Aの中をBが通過してBを形成する要素がAを構成する要素と反応をする(理解できる=Aに似たような要素がある)。 2.BがAから飛び出してもとの意味のない記号(言葉の羅列)に戻ったとき、Aのなかに先ほどの反応から発した、新しい感情が残っていてそれを我々は感動したなどと表現する。 (A+B)-(A+B)=C [↑ここで反応が起こる] [C]が感動の正体。 (AがBの中を通過するという表現でもよい。言葉は 読者がいなければただの記号であるが、上記の反応中は 価値のメカニズムとして機能する。AやBは思念体として お互いのメカニズムを通過する。価値観のトンネルを くぐるというイメージ。) こういうのはどうでしょうか?
補足
(A+B)-A-B=C と表記した方がいいのかなぁ。 数学詳しくないからよくわからないです。
お礼
そうですね。 「意味を超えたもの」はありますね。 5・7・5のリズムとか長いときを経て定着したもの には意識をはるかに超えたダイナミズムに端を発して いるんでしょうね。 そういう意識の根底に響くから、存在をゆすぶられたような 感動的な言葉(montiさんがおっしゃられているように 音楽でも同じですね)というものがあるのでしょうね。 なんかまとまりの無い文章になってしまいましたが、 このお礼の文で私が言いたかったことは、 「意識は人間存在の一部でしかない。それを構成する 何段階かの無意識の領域がある(私たちが見えるのは、 氷山の一角)。すばらしい言葉(音楽でもよい。表現) はその無意識の部分を揺さぶる。よって、私たちの 意識の領域はその原因を理解することなく、揺さぶられる。」 (こんな感じでいいかなぁ…) montiさんの「言葉の持つ音や色、質感」というところが 面白かったです。私たち日本人はものを考えるときに日本語を 基準にして考えているのですが、その場合やはり文字の 形状は思考の深い部分に影響を及ぼすんでしょうね。 曲線の多い日本のひらがなが日本の優しい文化に影響を 与えたといわれてますね。大陸の直線の多い漢字文化 と違うところ。 (余談ですが、タイ語は本当にタイの国民性を表している 気がします。やさしい。ベトナム語も…。) 我々はものを考えるとき日本語の概念だけを使って いるのでしょうか?それとも表記のイメージも影響して いるのでしょうか…?
補足
【訂正】 誤)定着したものには ↓ 正)定着したものは 誤)そういう意識の根底に響くから、存在をゆすぶられたような ↓ 正)そういうものは意識の根底に響くから、存在をゆさぶるような