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自信の持ち方・自己評価の上げ方
最近自分の問題は「自信が無い」「自己評価が低い」ことが良く分かってきました。分かっただけでも相当な進歩だろうとは思ってはいます。 しかし、まず自信を持つことが怖いのです。まるで手放しで高いところに立つような恐怖感があります。自己評価も必要以上に低いのです。平凡でも適度に自信を持って健康的な範囲で自己評価をできている人に対し、昔は「なんでその程度で自信が持てるのだろう、、、」と本気で不思議に思ったことがありますが、最近わたしが間違っていることに気づきました。「自分の圧倒的優位性、有能性」を常時アピールして相手を威圧して倒さないといけないような職業についてしまったために(当初は「専門職」と勘違いしていましたが、とても自信があるように振舞わないと不利になる職だということが分かったのです、、、あとは私のこれまでの人生にもいろいろ要因はあります。 是非お願いなのですが、このような状況から健康的な自信を取り戻せた方、是非アドバイスください。できれば「おすすめ書物」のリンクでなく、ご自信がどのように克服されたか、を教えていただきたいです。 よろしくお願いいたします。
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レスありがとうございます。 私は男性ですが、でも貴方に似ています。ある年齢までは好調。しかして思春期以降に挫折した。 女性の容姿については、確かにこれは、残酷で厳しいものもあります。 それから、恋愛ですら「勝ち負け」と考えてしまうこと。 これらは「試練」です。しかしこれらが、直接の引き金ではないです。 幼児期に親が「本物の自己愛を持った、自立した心」を育ててくれていれば、 こういうものは受け入れられたはずなのです。上手に乗り越えられていたはずなのです。 だから真の問題は、もっとずっと前に起きているのです。 多くの場合、それは幼児期の親子関係などに由来することだと思います。 先にご紹介した本で加藤さんは、海に投げ出された子供、というたとえ話をされています。 親に泳ぎ方を教わって、世の中という「海」に投げ出された。 泳ぎ方を教わっている子供は、楽勝です。しかし教わっていない子供は、溺れそうになって必死です。 溺れたことがありますか? どれだけ苦しいか。経験があるにせよないにせよ、想像はつきますよね。 貴方は詳細な泳ぎ方の指導を受けぬまま、海に投げ出されたのです。私と同じように。 決して、貴方を責めているのではありませんよ。加藤 諦三さんも私も、若い頃は貴方と同じです。 だから貴方を責めているのではなく、心配なのです。 どうか一日も早く「本当の自信」と「本当の自己評価」というものがどういうものなのか、と。 それに気づいて欲しいです。歯がゆいような、じれったいような、痛々しいような気持ちがします。 ですから重ねて、先にご紹介した本などお読みいただくことをお薦めします。 貴方の詳細が分かりません。だから、貴方に対して、私の人生経験の何をピックアップしたら良いのか分かりません。 よって本をお読み下さいということです。 何がためになるか分からないとなれば、私の半生を小説のように書かねばなりません。 メチャクチャ超長文になりますが。残念ながらそうなると、無料では無理です(苦笑)。 貴方の詳細を知っているのは貴方です。だから本と自分を直接照らした方が早いです。 私は既に、公式だけは示しました。そこにご自分の人生を当てはめれば答えが出るはずです。 体験談として、ということなら、今までの私の回答を全てお読み下さい。そこに体験談が散りばめられています。 もし「そんなことができるのだろうか?」とお疑いだから体験談を要求されているのでしたら、 心配は無用です。間違いなくできます。あとはやり方です。
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- moshimo200
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komaritaroさんの文章から、知的でしっかりと情報を頭の中で 整理されてる方だと感じましたので、 僕の書いた文章がふざけているようにとられるかもしれませんが、 自信を得ることができた自分の経験を書かせていただきますね。 何か根拠や理由を持って自信を持つ事って、 そこを突かれたらへし折られるように、 自信を持つことは同時に自信を失うモノを持つ事にもなりますよね。 自己評価を上げて自信を持つということは、 その自己評価を崩されたら、自信がなくなりますので、 自信を持てる行為であると同時に自信を失くす行為にもなりえるんです。 まさに矛盾の世界です。 そこに気づけたのは、自信を持ったはずが、その持てた理由を突かれて、 自信を崩された経験があるからなんです。 色々考えたんです、自信って何? だいたい自分の中でもここから上は自信が持てて、 ここから下は自信が持てないとうような 明確なラインなんて存在しないし、 よ~く考えたらいい加減なモノなんですよね。 だいたい根拠や理由で自信を持っても、そこを突かれて崩されるなら、 根拠も理由もなしで自信を持ったらいいやん。 うん、だいたい自信自体がいい加減なモノやし。 ってことで、そこから「何か知らないけど、自信がある」と、 毎日呪文のように自分自身に言ってました。 別に自信がある振りをするわけでもなく、 あほみたいに「いやぁ~俺って自信あるねぇ~。」って 何度も言いました。 そしたら周りの人から「最近落ち着いてきたね」 「何か自信にあふれてるね」とか、 言われるようになったんです。 言われて気づいたんですが、落ち着いて、ドッシリと構えて、 物事に取り組めてたんです、その振る舞いや行動は、 まさに自信を持っている人がする行動でした。 そう、僕の自信はこれなんです。 いくらダメ出しされても、批判されても、 なぜか落ち着いて、ドッシリ構えて、物事に対処できるんです。 正直、ここまでの自信を持つことが出来たことにビックリしてます。 だってこんな方法ですからね。 理論も理屈もあったもんじゃない。 でもそれで良いと思うんです。 そう思えるようになったのは、僕が色々悩んで考えて、 赤ちゃんは、今僕が抱えている悩みを抱えていないし、 というか僕と同じ事で悩んでないって事に気がつけたんです。 僕と赤ちゃんの違いって、知識や経験を持っているか持っていないか。 そう知識や経験をもつということは、同時に悩みや問題を持つことになるんです。 普通知識って、何か問題があったときとか解決になるんですけどね。 その知識が悩みを生み出してしまうんです。 そう矛盾してるんです。 だから今度はその矛盾を使いこなす方法を考えました。 そうしたら出てくるんです、まさかって方法、 そんなんあるわけないって方法、 理屈に合わない方法でも、上手くいくんです。 そう矛盾してますよね、矛盾で悩んでいた僕を 解放してくれたのも矛盾なんです。 矛盾には矛盾ってことです。 これが僕が悩みに悩み抜いて出した結論です。 komaritaroさんの参考になるかどうか分かりませんが、 こんなやり方もあるんだなぁ~って思って頂けたら幸いです。
お礼
ありがとうございます。「自信を持つ」って難しいですよね、、、とくに日本は「謙虚」を極端に美化するので。アメリカでも謙虚を意味する「humble」という単語がありますが、日本での「謙虚」という言葉の統制・抑制感は無いですよね。アメリカ人って「アホ」みたいに自信があるし。。。でもそれでいいような気がします。結局人生の期間って限られてるし。 変な例ですが、全うに生きているにもかかわらず自身が持てずに苦しんでいる人たちがいっぱいいるのに、押尾学なんてどう考えてもたいした実績が無いのに妙に自信があるから(ルックスはいいんでしょうけど)自分がいいと思った女性をかたっぱしから手に入れてるんですよね。こういうひとはたとえ前科モノになってもちゃんと丸ごと受け入れてくれる女性がちゃんと現れるから、やってられません。。。
- heeroo44
- ベストアンサー率6% (14/210)
自信など持たない方がイイでしょう 自信を持ったら(錯覚ですが)、努力しなくなります。 何にでも、上には上がいます。 自信があると錯覚している人ほど付き合いにくい人はいません その様な人は、いずれ大失敗をします。 幻を追いかけるような暇があるならば、現在必要な知識とか、雑学の知識を得るように努力された方が、はるかに効果があるでしょう。 まあ 急がば回れと言う事でしょうか?
お礼
私の言っている自信とは「自分を嫌いで無いこと」ですので、ちょっと私の質問の主旨とは異なります。
- youchan37
- ベストアンサー率37% (248/669)
連貼失礼致します。 勿論その逆もあります。誰かに心を傷つけられていた、ということです。 例えば幼児期に親に心を傷つけられていた、とか。 …これは一例ということになりましょうが、順番があります。 「どうして自分には本当の自信が無いのだろう」~これが始りです。 そして、それを探求しているうちに気づくのです。 「どうして自分は傲慢なんだろう」と。 傲慢ということは、無意識意識で人を傷つけている、ということです。 つまりこの段階で「自分は人を傷つけている」ということに、やっと気づくのです。 奥底の強い自責の念をハッキリと知り、強い自己嫌悪を感じます。 そしてここまできてやっと、 「どうして自分は傲慢なのか? この憎しみの元は何だろう?」と探すに至り、 そして遂に気づく。 「この憎しみの元は、親に対する憎しみだった」と。 これに気づけば、「元々オレは悪くなかったんだ」ということが分かるのです。 そしてここまできてやっと、本当の自信・本当の自己愛が得られる土台ができます。 但し私などは正直申せば、未だに傲慢なところもあるな、と。自身そう思っています。 それは例えれば、今でもたまに、傷口がちょっと開いて血が滲むからだと思います。 それで実は、そういう自らの心の整理にあたって、ガイドをしてくれたのが、加藤 諦三さんです。 「大人になりきれない人の心理」という本に、このことが書いてあります。
お礼
かつてはそこそこの自信があったのですが高校生で一気に失いました。男の子は残酷なまでに女の子に対して容姿などでランクづけしますよね。さらに大学になると勉強しなくなりサークルや恋愛がすべてになりそこで負けたために自信を喪失したんだと思います。
- youchan37
- ベストアンサー率37% (248/669)
自分で自分の心の傷に気づくだけで、その傷は幾ばくかでも癒されます。 そういうことが成されていないと、絶対に何をやっても、 本当の自信は湧いてこないと確信しています。 例えば、他人を傷つけていた、とか。 表層の自分は「仕方ない」と無理やり思っていたりする。 或いはもっとひどい場合は、全く相手のことを考えもしていない。 しかし実は真の自分は、強い自責の念にかられ、深く傷ついている。 そしてその傷口から血が吹き出ている。しかし表層の自分は、それに気づいていない。 そんなことは本当にあることです。
- Baltic
- ベストアンサー率15% (61/405)
僕はそういう時人より2倍頑張ろうと思いました。
40代男性です。エアーポケットにはまったように、今までの自信が砕け散ることがあります。今考えると汗顔の至りなのですが、私は昔は自慢話が多かったと思います。知ったかぶりもよくしました。劣等感がないことが欠点だとさえ思っていました。しかし、容赦ない他人からの評価や目に見える実績が私を追い詰め、高い自己評価をあきらめざるを得なくなりました。すると、一時期卑屈なまでに謙遜した時期もありました。誰だってあると思うんですよ、自己肯定感・自己重要感を持ちたいという欲求が。 私はこう考えました、知らないことを『知らない』と積極的に言わないと知ったかぶりになってしまうのではなかろうかと。知ってることは『知ってます』って言ってもいいと思うんですが、その代りに知らないことは『へぇ~、そんなの初めて知ったよ』とかと言っておかないとバランスがとれないのではないかと。職業柄言えないんですか?ほんとうに? 私はこう考えました。自信がないことが問題なのではなく、自信がないことを問題視していることが問題ではなかろうかと。誰でも不得意分野には自信が無くて当然ではないでしょうか。健全な不安、健全な劣等感、健全な自己評価の低さというのがあっても良いのではないでしょうか。これは具体的現実の課題であって、心理的課題として扱うのはお門違いのようにおもいますが、いかがでしょう。 で、わたしの今の状態は、「知ってることは知ってるが、知らないことは知らない―これ当たり前のことですよネ」、「自信はないけど気にすんな、生きていくのに誰かの許可が必要か?」「他人の評価は他人の自由、自分が決めていい範囲と他人が決めていい範囲を弁えよう」とまあ、いたって開き直りが強いような按配になっております、ハイ。
お礼
具体的にはかけないのですが、本当にそういう職場というか業界なんですよ、、、完全な門外漢なのに平気で人の畑に土足で入り込み、えらそうに口を挟む(しかも自信たっぷり)人の多いこと。何かと「知っている」といいたがる(wikiのヘビーユーザー多し)・・・ でも不思議なことに、その「カラ自信」が大多数なので、「それは私の分野じゃないから知らない」というと「負ける」のです。 極端な話、医者に意見しちゃうオヤジ(庶民)みたいな感じの勘違いぷりかもしれませんねえ。でもそれが「よし」とされる不思議な世界なのです。
- sasanemw
- ベストアンサー率41% (7/17)
はじめまして。 んー難しいですね。 体験でしかお話しできないので、なにか参考になるところをうまく酌んで頂けるとありがたいです。 僕はデザインの仕事をしているのですが、未だに自信はありません。 周りを見渡せばすごい人はたくさんいらっしゃいます。 比べれば自分の力の無さに飽きれます。 でも徐々に作業スピードが早くなった、ディレクターとうまく打ち合わせが出来るようになった、仕事が評価されたなどが自信につながりますね。 なんにせよ、ぼくが一番重要だと思うのは、過去の自分と比べどれだけ成長したかですね。 いまの自分をどれだけ理想の姿に近づけられたか、思い描く姿に近づくほど自信につながると思います。 始めた頃より成長していたら自信を持っていいと思います。 成長スピードは大小あるにせよ、成長した背景には多大な努力があると思います。 昨日の自分より成長したらほめてあげましょう、自分を。 いいと思います、自分基準の無理しないところでがんばりましょう。 過去の自分との戦いです。 乗り越えたらそれが自信につながるはずです。 がんばりましょう!!
お礼
ありがとうございます。「過去の自分」と比べると、正直「よくここまで頑張ったなー」とは思えます。しかし周囲(ライバルにあたるのでしょうか)は自信をへし折ろうとかかってきます。まず仕事で良い人の縁は無い職場です。基本、競争が大好きで、人に勝つことに絶頂感を覚えるような人たちばかりです(パワーゲーム、といわれる社会ですかね)。よくこの環境で頑張ったなー、感情を制御できるようになったなーとは思ってます。職業選択を間違えたな、という気がしなくもないですが、それをやるとまた自信喪失につながるので、とりあえず「自分は我慢強くなった」と認めることにします。しかし、我慢強さって、いいことなのでしょうかねえ、、、言いたい放題のやつはストレスがなさそうですっきりしてますよね。
お礼
ありがとうございます。実は加藤さんの本は私のニーズにあっているだろうと思っていました。皆さんのアドバイスの中に加藤さん、という名前が多かったので実際数冊購入しました。かなり参考になりました。これ私だ、というものがかなり多かったです。いろんな「自分探し本」を読みましたが加藤さんの本が一番良いですね。 海に投げ出された子供、って笑っちゃいました。私はろくすっぽ泳げない年齢一桁のときに父親から「泳げるようにしてやる」と流れるプールに放り込まれたことがあります。結局水泳が得意になりましたが、いまでも投げ込まれる直前の不安定さだけはよく覚えています。