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自分に自信が持てなくなってしまいました。。

私は足に障害があります。軽度で自力で歩行できます。高校生で、出歩く機会が多くなり、年頃なので色々と考えることが多くなりました。最近気づいたのですが、街ゆく人は、私が単に歩いているだけでも同情の目で見ています。これが現実なのかもしれませんが、その時はショックでした。学校生活でも、ちょっと荷物を持ってもらう時に「○○は偉いねー」などと毎回友人が教師に声をかけられ、得意顔になっている時に私に常に、「大変だなあ」と言わんばかりの同情の視線を投げかけていて泣きたくなりました。障害者は、補助を受けている身ですから、小さくなって生きていくしかないのでしょうか。教師の間では、友人はしっかり者で通っており、私はしっかりしてない奴という風に思われています。常にお荷物扱いです。私だって勉強はできるのですが。これでは私はまるで評価を高めるための道具みたいです。友人には大変感謝しておりますしお礼もその都度言っております。良き話し相手でもあります。しかし、友人の評価ばかり高くなり腑に落ちないです。最近は外出もほとんどしなくなりました。 尚、勘違いしないでほしいのですが、私は友人より優位に立ちたいなどということは毛頭考えておりません。対等に見られたいのです。学校に限らずこれは仕方がないことかもしれません。しかし常にそういう目で見られていると思うとどうにもやりきれず、自分が情けなくなり、こんな思いをしてまで生きる価値があるのか。と思ってしまいます。自信を喪失しました。だけれど障害がある以上他人に迷惑はかけざるを得ないですし、助けてくださった人たちには大変感謝しています。言葉では表せないくらいです。しかしそんな自分に自信が持てないのです。悔しいです。 生きていかねばなりません。自分に自信を持つにはどうすればよいでしょうか。どうかアドバイスいただけないでしょうか。乱文ですみません。よろしくお願いいたします。

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noname#82350
noname#82350
回答No.6

歳とって分かったつもりの独り言です、参考にしないでね。自信って人より秀でる事で得られるものではない、おっしゃる通り。自分の感情や精神状況を巧みにコントロールする技術を磨く事、私はこっち派。催眠とか宗教などの無意味を舐め尽くし、それなりの苦労を経てもがき、ある時ふと気付いたんだ。今の状況をわずかでも打開出来るだけの発想、ひらめきが浮かびそれが経験実証により立証出来たとする、試してみた結果ね。おっそろしく自信が育つよ、計らずも。他人との比較ではなく純な自分の進化への単純な評価とそれに伴う歓喜。比較するってつくづく愚かだよね、ビルゲイツよりも何だか劣ってそうな事に苛立つ?そんな奴もいるんだろうなあ、友達との比較は?おんなじだろうなあ、見た目だけの健常者とは?おんなじか?。自分のあらゆる物、事への見極める力がちょびっとでも進化する事のカタルシス、仕事や学業におけるスキル云々全く関係無しでね、強いて言えば自分に対する客観視力の向上?この辺がとっかかりとしては簡単かな、あくまでイメージ、空想力使ってね。言葉に頼ると負のスパイラルに陥り易いんだよね、なんぼ客観て言っても突き詰めれば主観による偏向はどうしても避けられない、下手すりゃどつぼでもがく事になりかねぬ。ちなみに私は雲の上から自分を眺めるのが好きです。貴女は賢い、私の様に十年もの時間は要しないでしょう。最後に、脱線しますが、今ここに居る自分を越えたろっ!て無理をやめた時、すっごいちっちゃい穴から何だろ?光が見えてくる事に驚くはずです、試してみて下さい、見えませんか?。

その他の回答 (5)

回答No.5

身体的に障害があると、傍目で障害があるということが分かってしまい周りの目が気になりますよね。気持ちお察しします。 手助けしてくれている友人は、誰にも何も言われないと、手助けして当たり前と周りが思ってしまっているのではないかと考えてしまうのではないでしょうか。 教師が友人を褒めているのは、手助けする優しさを認めているということを伝えたかったと思います。 私の身内にも障害者で歩くときにビッコひく人がいます。 一緒に歩いていると、周りの人がこちらを見ているのが分かります。 親戚の人は、障害のせいで学生時代にいじめにもあったそうです。 もともと勝気だった親戚の人は、足を使う運動は他人に負けるけど、勉強とか手先を使うことは誰にも負けないように努力したそうです。 努力の結果、周りの眼もかわってきたそうです。 足を使いどうしても出来ないことは周りに頼む代わりに、勉強を教えてあげるとかしていたそうです。 今では、車も運転するようになり、障害者ステッカーを利用してどこでも車を止められて便利だと、得意げに話します。 障害者という社会的にレッテルを貼られて気持ち的に辛いと思いますが、障害と別の分野で見返してはいかがでしょうか。 参考にしていただければ、幸いです。

回答No.4

こんにちは。 高校生ならば、外見のこと、とても気になると思います。 日本では、障害者のことをじろじろ見たり、哀れんだりするような人が確かに多いと思うので、気分の悪い思いをされたこととお察しします。。 その点、アメリカなど海外では少し状況が違うようです。 レディーファーストという考え方に少し似ているような気がします。 あるいは、背の高い人が背の低い人の為に、高い場所にあるものを取ってあげるのに近い感覚というか。。。 男性は女性より偉い(優れている)のでしょうか。 背の高い人は、低い人より偉い(優れている)のでしょうか。 障害も、一つの個性として受け止めているようです。 障害者は健常者より劣っているのではなくて、ハンデをつけられている状態です。 だって、努力で解決できる問題ではないのです。。。 だから、お友達があなたをサポートする事は、男性が女性にドアを開けてあげるレディーファーストと同じような行為なのです。 レディーファーストできる男性は、良識のある親切な人で、偉いというのは違和感があります。。 恩を売るためとか、見下すためにサポートしてくれてる訳じゃないのはよくわかってるけど、いつも相手がえらいえらいと言われたら、誰だって自分が劣ってるような気がしちゃいます。 あなたは、責任感も強くて利発で聡明だから、周りの対応に敏感なわけです。 将来の為に資格の勉強をするなどしてみると、知識が身に付くにつれて徐々に自信が持てるようになると思います。

noname#194289
noname#194289
回答No.3

貴方はその友人に心の中でも感謝しているでしょうか。また勉強ができない仲間に対して心から同情しているでしょうか。またそのような人たちを心から援助しようとしているでしょうか。また貴方が当然と考えている家族の人からの援助や思いやりをしみじみ感じているでしょうか。

noname#84191
noname#84191
回答No.2

自分に自信を持つ・・ 1、自分との約束を守る   (今日)これをしよう・・と思ったことを実行する。 例えば、朝6時に起き様と決めたなら、6時になったら、後1分とか思わないでサッサと起きる。 例え2、日に3回歯を磨くと決めたなら、3回磨く・・昼は忙しかったから・・などの理由は作らない・・ 例え3、人にあったなら、自分から元気に挨拶をしようと決めたなら、この人は嫌いだから・・などの例外を作らずに挨拶をする範疇の人になら全てきちんと挨拶をする。 などなど・・ 当たり前の事を当たり前にする・・・ 2、私は結果表を作っていて、今日の予定などとか、毎日の日課などを書き込んであって、それが完了したなら、完了印をつけています。 まあ、○印ですが・・ それが5個(この数は自分で適当に・・設定)たまったなら、ご褒美を自分にあげる・・それは飴玉一個でも良いし、好きな飲み物を飲むでも良いし・・ これは、自分の行動を自分で誉める・・と言うことです。 何より、極些細な事ですが、決めたことは必ず実行するための指標・目標となります。 私は朝4時に起きますが、目標(予定)時間に起きたなら○です。 次に髭を剃る・・を実行したなら、それも○・・ 一覧表は○だらけ?? 自己満足・・それで良い・・と思っています。 興味があるなら・・ もう少し詳しく・・・  

noname#85957
noname#85957
回答No.1

自分に自信を持つには、人を助ければいいのです、体が悪ければ 言葉や頭を使って人を助けて行くのです、それが良いですよ 参考まで