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邇邇芸(ににぎ)

高校生の時、手塚治虫の『火の鳥』で初めて邇邇芸を知りました。 『火の鳥』の中では猛々しく描かれていました。 しかし後年、記紀を読むと邇邇芸は猛々しさのかけらもなく、軟弱な男子としか思えません。 持統天皇→草壁皇子→文武天皇=天照大神→正勝吾勝勝速日→邇邇芸 とも言われますが、草壁も文武も心身ともに弱い男子だったようです。 そこで手塚治虫がなぜ猛々しい邇邇芸を描いたのか疑問に思うようになりました。 単なる創作なのか、それとも戦前、戦中には邇邇芸は益荒男として教えていたのか。 もし理由を知っている方がいらっしゃったら教えて下さい。

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  • ベストアンサー
  • fumkum
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回答No.1

おはようございます。 戦後、江上波夫が「騎馬民族征服王朝説」を唱え、日本は騎馬民族の扶余族の辰王朝によって征服されたとの学説を発表しました。この学説の当否は別として、歴史学の分野のみならず各方面に影響を与えました。手塚治虫が『火の鳥』のなかで邇邇芸を描くにあたり、この騎馬民族征服王朝説を念頭においていたのではないかと思います。そのために邇邇芸は騎馬であり、征服者らしく描かれているのではないでしょうか。 以上、参考まで。

akichoji
質問者

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