正確な所は、中尊寺金色堂を建立した藤原清衡に尋ねないと分かりませんが、清衡が書き残したものが残っているわけでもなく、建立の理由・動機については「推測」するしかありません。
中尊寺金色堂は、建設当時に流行を極めていた「浄土思想」に基づき、極楽浄土を再現して全てに金箔を捺したものと思われます。
それまでの事例でも、例えば奈良の大仏は奈良時代に建造された時は全体を銅の上に金めっきをして金ぴかだったわけですし、現在は皆金箔や金めっきが剥離しておりますが、「昔は金ぴかだった」とされる仏像他の文化財は多く残っております。
中尊寺金色堂の場合、砂金を自らの領地で大量に産する奥州藤原氏が企画したから、あそこまで徹底して金ぴかに出来たわけです。金色堂に使われている黄金の量は膨大なものであり、運ぶだけでも大変です。
「金色堂に使われている黄金の量が何キロか」試算した値は存じませんが。
また、いくら奥羽で大量の砂金が当時産出されていたといっても、奥羽が中央政権の植民地状態であり、産出する黄金をみな中央政権に収奪されていたのでは平泉に金色堂など作りようがありません。現在、青森の大間崎で獲れる極上のクロマグロの多くが、東京に運ばれて最高級寿司店や高級料亭で消費されているとされるようなものです。
私見ですが、金色堂が平泉に建立されたのは、
「産出する黄金を中央政権に収奪されず、奥州人が自らの意志で消費できるだけの独立性を備えたことを記念するモニュメント」
だったのではないでしょうか。
実際、東北地方に「独立王国」に近いものが生まれて約100年に渡って維持されたのは、日本史上ただ一度のことです。
現存しませんが、他にも黄金をふんだんに使った建築物が、中尊寺金色堂以外にも平泉に作られた可能性は高いでしょう。金色堂が現在に残っているのは、鎌倉時代に「覆堂」が作られて雨風を防ぐ配慮がなされたからです。
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