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基礎法学について(法と強制の関係、事実認定と法解釈の特徴)
大学で基礎法学という授業を受講しているのですが、その中で以下の問題を出されたのですが、いまいち解らないため教えていただきたいです;; 1、法と強制の関係についての次のキーワードを用いて説明せよ。 (抑止効果、刑罰、多様なサンクション方式) 2、事実認定と法解釈の特徴について、法的三段論法に即して説明せよ。 本当に切実ですので、どうぞよろしくお願いします><
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今は課題丸投げオッケーなんだけど、教育的配慮から書くべきじゃないという態度は同感。 んで、1番で概ね良いと思うんだけど、初学者が躓きやすいところを含めてちょっと詳しく話をしておくね。 1.そもそも法って何?道徳と何が違うの?ってところが出発点。法と道徳を区別する視点は色々あり得るけど、最大の違いは、国家による強制かどうかってところ。法というのは、国家が強制するという点に最大の特徴があるのね。そこで強制すると言っても言うこと聞かない人もいるよね?そこでどうやって聞かせる?って話になる。それがサンクションという話(かなり端折ってるから要注意)。 サンクションというのは通常、制裁と訳すことが多いんだけど、一般に法律学でサンクションという表現をする場合にはもっと広い意味になる。強いて言うなら応報という意味が違いかな。つまり、法律上の規定に該当する何らかの行為があった場合に、それに対して何らかの法律的な利益不利益をその行為者に負担させる。それがサンクション。そして、強制を実効化するには例えばある行為を推奨するなら利益を与えればいいし(もちろんしないことに不利益を与えるというのもある)、禁圧するなら不利益を与えればいい(もちろんしない方に利益というのもある)。利益の方もサンクションと言うことがあるんで気をつけてね。応報ってのは悪い方だけじゃないからね。それと同じ。 一定の行為を実効的に抑止するためには、不利益を与えるのが一つの方法論だね(もちろん、褒賞という方法論もある)。そこで不利益の一つの形式として刑罰ってもんがある。刑罰は人の権利に対する制限という不利益な訳だけど、その制限の程度としては最も重い場合には死刑すらある強力なサンクションなわけだ。とすると、濫用するのはどうよ?って話がある。言い方を変えれば、刑罰というのはサンクションの中では最も強力な手段であって、それを用いるというのは抑止効果という点では最も実効性が期待できる。だけど、それは強力であるが故に、社会的なコストも非常に大きいものになる。だからバランス考えて、刑罰という方法はどういう場合に用いるべきか?ってな話になるわけだ。 つまり、法が国家による強制であり、その強制を実効的なものとするために多様なサンクションの方式があり、その一つとしての刑罰というものの抑止効果の大きさと副作用、その点を論じろと言いたいんじゃないかな? 2.事実認定というのは、本来的には訴訟法上の概念だということはまず理解しとこう。事実認定というのは、訴訟において、どんな事実があったのかということを確定することね。つまり、法律の適用はその前提として、事実が必要なの。事実なくして法適用はあり得ないのね。 三段論法というのは、AならばBである。CはAである。よってCはBである。という論理展開のこと。「AならばBである」ってのを第一前提と言う。そして「CはAである」ってのを第二前提って言うのね。代表的な例は、人(A)ならば皆死ぬ(B)。ソクラテス(C)は人(A)である。よってソクラテス(C)は死ぬ(B)。っていう例かな。Aを媒概念、Bを大概念、Cを小概念と言う。 法律の適用というのは、この三段論法と同じやり方をするの。法的三段論法とも言うけど、要するに三段論法な訳だ。簡単に言えば法律論における三段論法くらいの意味ね。 では実際にどうなってるか?まず第一前提を法的三段論法では大前提って言うことがあるんだけど、これが法律解釈に該当するの。即ち(法律)要件と(法律)効果を明らかにすること。要件がAであり、効果がBなのね。 殺人罪の例で言うなら、人を殺すというのが要件で効果が死刑または無期もしくは5年以上の懲役という範囲で国家刑罰権が発生すること。つまり、大前提として、人を殺すと一定の国家刑罰権が発生するというわけ。そこでじゃあ人を殺すというのはどんな場合を言うの?一定の国家刑罰権の内容は?ってことを明らかにするのが法解釈な訳だ。刑法学では効果に当たる国家刑罰権の内容というのはあまり問題がないから、中心は要件の解釈論になるけどね。 一方、第二前提は小前提って言ったりするんだけど、これはいわゆる「あてはめ」の問題なのね。「あてはめ」って何?っていうとこれは事実、つまり現に存在する具体的な事実というものが要件に該当するかどうかを判断することね。つまり、誰かが人を死なせた行為があったとするね。そこでその人を死なせた行為が「人を殺した」という殺人罪の要件に該当するかどうかということを判断することね。あてはめというのは事実の法的評価の問題であって、実は実際の法適用においてはこれが一番難しいんだな。 ところがこのあてはめをするにはその前提として、具体的な事実ってものが必要だ。その具体的事実ってのは、誰も全てを知ることはできないよね?まさに神のみぞ知るだ。 学問上は、こういう事実があるっていう前提で話をしてしまえばそれで良い。だから、法律学においてもどういう事実があるのかというのは仮定的な前提として議論すれば良いので理論的には問題にする必要がない。特に実体法の議論では、要件該当事実は前提でしかないからどういう事実があるのかないのかということは仮定の問題として任意に設定できる。 だけど、実際の訴訟ではそうはいかない。どんな事実があったのかなかったのか、それをはっきりさせないとあてはめのしようがないんだ。理論ならあったかなかったかは仮定の問題だから自由に設定できるけど、実際の事件ではそうでないってことだけど、これは解るよね?つまり、実際の訴訟その他において法適用を行うためには事実がどうだったのかということもまた確定しなければいけないってわけだ(先に訴訟法上の問題と言ったけど、訴訟以外の場合でも法律を実際に適用する限りは必ず事実ってものをはっきりさせなければいけない。ただ、実体法と訴訟法という比較の観点からは訴訟法上の問題であるっていう言い方をするだけ)。この、どんな事実があったのかなかったのかということを確定することを事実認定と言うのね。 つまり、法的三段論法における小前提を論じるために必要な事実を明らかにすること、これが事実認定ってわけ。 訴訟ではこれは証拠によって決めるんだけど、訴訟以外では別に証拠による必要はない。だけど、いずれにしても何らかの方法で事実があったなかったということをはっきりさせる必要がある。それが事実認定ってわけ。 もう一度整理すると、 1.法的三段論法とは、大前提、小前提、結論の三段階による法適用の方法を言う。 2.大前提における媒概念たる法律要件と大概念たる法律効果を明らかにするが法解釈。 3.どんな事実が存在するまたはしないのかということを判断するのが事実認定。 4.認定した事実を小概念として媒概念たる法律要件に該当するかどうかを評価によって決定するのがあてはめ。 5.あてはめにより認定事実が法律要件に該当するとなるとそれがすなわち小前提。 6.大前提と小前提が揃うことで、認定した事実によって法律効果が発生する。 ってことね。だから事実認定というのは、法適用における法的三段論法の 外 に あるの。法的三段論法の小概念に該当する事実それ自体の存否を決めることが事実認定だから。ところが法解釈というのはまさに法的三段論法の大前提をはっきりさせること(規範定立とも言うが、これは主に大前提における媒概念を明確にする作業。実際には法解釈も要件論が中心になることが多い)。 正確に言うと、事実認定も法的三段論法を使っているんだけどね。つまり、法適用そのものの三段論法との関係では 外 に あるんだけど、事実認定自体も、一定の証拠とかを論理則、経験則にあてはめて事実の存否を判断しているんだけどそのやり方はやはり三段論法になってるってことね。Aという証拠があるならBという事実がある。Cという証拠はAという証拠である。よってCという証拠の存在によりBという事実が存在する。という感じで。ただ、法的三段論法と単純に言った場合には、通常は、法解釈とあてはめの問題であって事実認定の問題は含まないんだけど、それは文脈で決まる。 参考に、民事訴訟の4段階モデルというのを最後に説明しとくね。民事訴訟では問題を4段階に分けて考えるの。 第一段階は、請求。 第二段階は、法律上の主張。 第三段階は、事実上の主張。 第四段階は、証拠。 第四段階の証拠によって第三段階の事実上の主張の当否を決めるのね。これが事実認定。ここで三段論法を使っているのはさっき言ったとおり。そして、第三段階の事実上の主張で裁判所が認定した事実を基に第二段階の法律上の主張の当否を判断するのね。これがあてはめ。このあてはめの前提として法律解釈をしないといけない。それが第二段階の法律上の主張な訳ね。法律上の主張が大前提になるわけだ。つまり、ここでまさに法的三段論法をするってわけだ。そして、その結果として法律効果がどうなるかそれによって第一段階の請求の当否が決まるってわけ。 例えば、 1.金百万円払えというのが請求。 2.原告と被告の間には百万円の贈与契約が成立しているというのが法律上の主張。 3.被告が原告に百万円を贈与すると約束した。そしてその約束の期日は既に過ぎているというのが事実上の主張。 4.贈与契約の記した契約書というのが証拠。 かなりアバウトだけどこんな感じね。 これで書けるでしょ?
- Yorkminster
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課題に対する回答を書くわけにはいかないので、調べる(考える)ヒントだけ。 1. 抑止効果とは、読んで字のごとく、「人がある行為をするのを思いとどまらせる」効果です。たとえば、「他人の丸写しの答案は0点」といわれれば、自分で調べようと考えるはずです。 刑罰とは、「国家権力が私人の自由を剥奪すること」を意味します。たとえば、懲役や禁固は人の移動や行為の自由を制限し、罰金は財産に対する制約です。 サンクションとは、英和辞典を調べれば分かる通り、懲罰を意味します。概念的には「刑罰」より広く、たとえば会社をクビにするとか、学校に遅刻したら漢字の書き取り100回とか、スピード違反をしたら免許取消しとか、そういうものも含みます。万引き(窃盗)くらいで死刑になったのではたまりませんが、放火や殺人なら死刑もあり得ます。 2. 三段論法とは、「Aとは、Bである。Cは、Bである。しかるに、CはAである」というものです。 法律には、たとえば殺人罪なら「人を殺した者は、死刑」と書いてあるとします。 では、妊婦の腹をピストルで撃って、胎児にも弾が命中した場合、「胎児に対する殺人罪」が成立するでしょうか。「胎児は人だ」といえれば、殺人罪になりますが、「胎児は、まだ人ではない」といえれば殺人罪ではありません。したがって、条文にいう「人」とは何かを考える必要があります。 他方、首を絞める行為は、ふつう人殺しの手段ですが、軽く首に触れただけでは、ふつうの人は死にません。首に手を回したとき、その人が死んだとしても、「首に触れていた」というだけで殺人罪にされては困ります。「人が死ぬような強さで絞めていた」という事実が明らかにされなければなりません。 ・・・ほとんど回答そのものですが、あとはご自分で。
補足
とても詳しく教えていただきありがとう御座います! ですが、基礎法学という分野を理解できていないため、VVandE3E3さんのご回答を元にというか、ほぼそのままで本当に申し訳ないのですが、1の答案を作ってみたので、ここがダメ!という点がありましたらご指摘いただけると本当に有難いです>< 法と道徳を区別する視点は色々あり得るが、最大の違いとして法は、国家が強制するという点である。しかし、強制すると言っても従わない人もいる。それらを従わせ、その強制を実効的なものとするために多様なサンクション方式がとられる。サンクションとは法律上の規定に該当する何らかの行為があった場合に、それに対して何らかの法律的な利益不利益をその行為者に負担させることである。また、一定の行為を実効的に抑止するためには、不利益を与えるのが一つの方法論であり、そこで不利益の一つの形式として刑罰がある。刑罰は人の権利に対する制限という不利益なものだが、その制限の程度としては最も重い場合には死刑すらある強力なサンクションである。つまり、刑罰というものはサンクションの中では最も強力な手段であり、それを用いるということは抑止効果という点では最も実効性が期待できる。しかし、それは強力であるが故に、社会的なコストも非常に大きいものになる。よって、現代法システムにおける法的強制の在り方を考える場合には、犯罪に対して刑罰を科すというハードな強制方式だけでなく、他の諸々のソフトな強制・サンクション方式をも視野に入れ、それらのメリット・デメリットを比較検討し、基本的には、目的を達成するのに必要最小限で、濫用の危険や弊害の発生が最も少ないように、それぞれの問題解決に適合した方式を選択することが目指されるべきである。