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太平洋戦争下における日本の国際電話・電報事情
日米開戦と同時に日本からの国際電話回線は、1本だけにされてしまったと私は認識しています。 国際電話回線は連合国側に管理されていますから、当然、全ての通話は連合国側に筒抜けのはずです。 また、外務省が駐スイスおよび駐スウエーデン公使館へ打電した公電(電報)のルートはよく知りませんが、連合国側の通信網を経由しなければならなかったはずです。 筒抜けの一例として、ポツダム宣言受諾の電文を発信した8月10日、その日のうちに世界中にそのニュースが流れ、上海の飲み屋ではその夜、多くの中国人がこっそりと喜びの杯を傾けたと、ある本に書いてありました。 そこで、お尋ねしますが、日本はこのような国際電話・通信の状況のなかで外交を進めていたのでしょうか。 あるいは、満州から旧ソ連ルートの通信網を利用するとか、別のルートがあったのでしょうか。 スウエーデン駐在・小野寺武官の回想録には、ドイツ潜水艦を経由して通信したと書いてあったような気がするのですが、ドイツ軍が落ち目になってからは、どのようなルートで通信していたのでしょうか。 そもそも、スイスやスウエーデンと交信した日本外務省の暗号電報は、暗号としての機能を果たしていたのでしょうか。 多くの疑問を書き上げましたが、よろしくお願いします。 また、参考になるサイトがあれば教えてください。
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太平洋戦争下における国際電信・電話のことを調べるには、資料は限られています。たぶんネット上にはほとんどないと思います。 これについては、以下の本に詳しく書いてあります。大きめの図書館ならあるんじゃないでしょうか。 「電信電話事業史 第6巻」(日本電信電話公社 電信電話事業史編纂委員会編:昭和34年発行:社団法人電気通信協会刊行) かいつまんで書きますと太平洋戦争開始後の日本と外国を結ぶ回線の状況は以下のとおりです。 【有線電信連絡】 長崎-上海線(S18.8.15障害のため停止) 長崎-ウラジオ線(s17.1.3停止) 小笠原-マニラ線(S16.12.8停止) 小笠原-サンフランシスコ線(S16.12.8停止) 佐世保-青島線(S18.8.22障害のため停止) 豊原-アレキサンドロフスク線(S19.6停止) ※障害のため停止というのは、戦争のため海底ケーブルのメンテナンスができなくなって障害を起こしたということです。 【無線電信連絡】 落石-ペトロパウロフスク線(S20.7.15廃止) 大阪-マニラ線(S16.12.8停止) 大阪-サイゴン線(S20.9.18停止) 東京-ハノイ線(S20.7.1停止) 大阪-バタビア線(S16.12.8停止) 大阪-バンコク線(S20.12.27停止) 大阪-ボンベイ線(S16.12.8停止) 大阪-カブール線(S20.10.10停止) 東京-サンフランシスコ線(S16.12.13停止) 東京-ブエノスアイレス線(S19.1.30停止) 東京-メキシコシティ線(S17.2.21停止) 東京-リオデジャネイロ線(S17.3.13停止) 東京-サンチャゴ線(S18.2.5停止) 東京-リマ線(S17.4.18停止) 大阪-ベルリン線(S19.1.24停止) 東京-ベルリン線(S20.4.14停止) 大阪-ヴィシー線(S19.8.17停止) 大阪-ロンドン線(S16.12.8停止) 大阪-ジュネーブ線(停止されず) 東京-ローマ線(S19.6.3停止) 東京-モスクワ線(S20.8.9停止) 東京-ストックホルム線(停止されず) 東京-リスボン線(停止されず) 東京-ヴァチカン市線(S19.8.31停止) 【無線電話連絡】 大阪-マニラ線(S16.12.8停止) 大阪-バンドン線(S16.12.8停止) 大阪-サイゴン線(S16.12.8停止) 大阪-バンコク線(S18.12.7停止) 大阪-カブール線(S20.10.10停止) 東京-サンフランシスコ線(S16.12.8停止) 東京-ブエノスアイレス線(S19.1.19停止) 東京-ホノルル線(S16.12.8停止) 東京-サンチャゴ線(S16.12.8停止) 東京-リオデジャネイロ線(S17.1.29停止) 東京-ベルリン線(S20.4.14停止) 東京-ベルン線(S21.2.3停止) ということで、終戦前後の段階で生き残っていた対ヨーロッパ回線は無線電信の大阪-ジュネーブ、東京-ストックホルム、東京-リスボン、無線電話の東京-ベルンの4回線のみだったということで、ポツダム宣言受諾電は大阪-ジュネーブ回線でスイスへ、東京-ストックホルム回線でスウェーデンへ打電されたものと思われます。 また、東京や大阪の中央電信局から直接電波を発射するのではなく、愛知県にあった依佐美送信所から短波で発信していたようです。
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- isa-98
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電信線は西南戦争の時には田原坂まで伸びており、 詳細な戦況が報告されたと言います。 欧州~シベリアまで電信線は明治期には開通し いち早く電信は国際化を果たします。 また、 無線国際電話に関しては、昭和9年に 日本~米国間開通(日本-マニラ間。後は米国の物だと思います。) 翌年には欧州の無線国際通話が完成。 これに参加し、欧州、米国との国際電話網が「ほぼ」完成します。 >日本からの国際電話回線は、1本だけにされてしまったと私は認識しています。 日本の勢力圏で運用出来る回線は、 おそらく日華国際電話だけだと思います。 他の方も述べているよう、外交電文は傍受され、解読されています。 日本もハルノート以前までは解読していたようで、 有利に進んでいると認識していましたが、 3ヶ月の輸出再開の電文から1日で内容が最期通告のような内容に変更され、対処しきれなくなったのが事実のようです。 ので、外交電文は暗号電信(電報)であったと思います。 ポツダム宣言は米英中の首脳が決めた物ですから、日華の電信路を使用してもおかしくありません。 >日本外務省の暗号電報は、暗号としての機能を果たしていたのでしょうか。 世界各国に電報を送り、新聞には世界の動きが載せられます。 暗号があり、結果(動き)がある。 子供でも解読可能でしょう。
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>欧州~シベリアまで電信線は明治期には開通しいち早く電信は国際化を果たします。 私は、このルートを使うこともあったのではないかと思って質問したのですが、このルートはもともとシベリア鉄道の安全運行のためだったと思いますから、ソ連が使用させてくれるはずがないですよね。 ご回答ありがとうございました。
- PENPENMAKKY
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No.1の方の補足ですが… 外務省の暗号は1941年の早い段階で解読されていて、米国との大使・次官折衝の重要指示書から開戦通告まで全て米国に筒抜けでした。外務省は何も知らずに暗号を使い続けたのです。 海軍も同様で、米軍が発したどうでもよい通信文を地域コード(各島に与えられた記号)を用いて通信し、米軍に傍受・解読され、重大な結果を招いています。 米軍が発したのは 『ミッドウェイの浄水機が壊れた』 日本海軍通信隊が本国に報告したのが 『AFの浄水機故障中』 これによりAFがミッドウェイを指す地域コードで、日本海軍が頻繁にAFという文字を用いていたので、ミッドウェイ攻撃を見抜いたと言われてます。
お礼
ミッドウエイのこの話はよく聞きますね。 米軍の方が一枚上って感じですね。 ご回答ありがとうございました。
- 風車の 弥七(@t87300)
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海軍省と外務省は97式暗号機を使っていましたが、大東亜戦争の前にアメリカに解読(解読率96%)されていて暗号の意味がありませんでした。 なお陸軍の暗号は逆に毎月違う乱数表を使う為、解読されずに(解読率4%)いました。 陸軍省は逆に米英連合軍の暗号をほぼ100%解読していました。 ただ解読できた時期が昭和19年初頭で、戦局わが方に利有らずでどうにもなりませんでした。 なお電報は短波を使ったモールス信号では、便利な事に中継基地はいりません。 ダイレクトで送信できます。 日本からドイツに向かうイ号潜水艦が大西洋上で帝国海軍省と無線交信をしています。 ただ残念なことに海軍省も外務省も陸軍省やドイツ政府などから暗号が解読されていると言う忠告を無視していました。
お礼
「電報は短波を使ったモールス信号では、便利な事に中継基地はいりません。 ダイレクトで送信できます。」 納得しました。 私は、短波も無線も知識がないので、妨害電波のことを考えると、公電は「有線」かなと思っていました。 ご回答ありがとうございました。
- buchi-dog
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「電話」の話と「電信」の話と「暗号」の話がごっちゃになっていますね。 1) 電話 当時は「国際電話」というもの自身が未発達でしたので、国際間の電気通信は「電信」で専ら行われていました。これは連合国間でも似たようなものであったはずです。 なお、戦時中に、ドイツと日本を「無線電話」で結んで会話を行った事例がありました。無線電話を暗号化するわけにも行かず、無線での会話が連合軍に傍受されるのは当たり前ですので、ベルリンの日本大使館にいた鹿児島県出身者と、本国の外務省にいた鹿児島出身者が、日本人であっても通常はヒアリングが出来ない鹿児島弁、それも非常な早口で会話を行いました。これは、日独間の潜水艦の往来に関する内容でした。 この会話を傍受・録音した連合軍情報部は「これは何の言語であろうか」と当惑し、試行錯誤した後にあるきっかけで「日本語の鹿児島弁である」と判明し、内容が分かりました。ただし、そのときには既にドイツを発した潜水艦が日本についていたそうです。 2) 電信 日本と欧州の間の電信は、国際電信回線を通していたと思われます。ただし、全て連合軍情報部にどこかで傍受されているのは当たり前ですので、全て暗号文が使われました。その暗号が破られていると皮肉な結果となりますが… 軍の通信は基本的に様々な波長の無線電信で行われましたが、日欧の外交通信が無線電信で行われていたとは聞きません。 「戦時中の日欧間の電信がどういう経路を取っていたのか」 は私も良く分かりません。 3) 暗号 外務省の暗号と海軍の暗号は破られていましたが、陸軍の暗号は最も進んでおり、最後まで破られなかったようです。 暗号については、 「陸海軍戦史に学ぶ負ける組織と日本人」 (集英社新書) 藤井 非三四 (著) http://www.amazon.co.jp/dp/408720457X/ に、「情報で負けたという神話」という一章で詳しく解説されています。 ちなみに、日本は中国の暗号を支那事変の前から解読していました。日本軍が国民党軍相手に常に勝つことができたのは「中国の暗号を読んで先手を打っていたから」でもありました。 なお、 「ポツダム宣言受諾の電文を発信した8月10日、その日のうちに世界中にそのニュースが流れ、上海の飲み屋ではその夜、多くの中国人がこっそりと喜びの杯を傾けた」 これは「筒抜け」ということではありません。 日本が連合国に「ポツダム宣言を受諾して降伏する」ことは、大出力の放送(要するにラジオ)で連合国に伝えられました。敵国に対する連絡ですから、当然ながら暗号ではなく平文です。 同時に、スイスなどの中立国の日本の外交官から連合国に直接伝えられたようです。この事実は、連合国の短波放送などを通じて直ちに全世界に流されました。上海の中国人がそれを聞いて日本の降伏決定を知るのはごく当たり前のことです。 実際、日本軍の各部隊は日常的に連合国の短波放送(ご丁寧にも日本語)を聞いていましたので、8月10日以降に「海外の短波放送を聴いて日本のポツダム宣言受諾を知った」例が多数記録されています。 ただし、一般国民は短波放送を聞けるラジオの所有を厳しく禁じられており、それがほぼ完璧に機能していたので、8月15日の玉音放送までそのことを知りませんでした。
お礼
丁寧に回答して下さってありがとうございます。 もやもやがすっきり晴れました。 >「電話」の話と「電信」の話と「暗号」の話がごっちゃになっていますね。 確かにそのとおりなのです。 あいまいな話を断片的に覚えているものですから、質問文を書くのが精一杯で、書いている内に分からなくなり、自分の頭が「解読不能の暗号」になってしまいました。 教えていただいた『「陸海軍戦史に学ぶ負ける組織と日本人」』は、図書館で早速探してみます。 私がこの質問を思い立ったのは、下記サイトの「ベルン1945年8月10日」を読んだからです。 http://www.saturn.dti.ne.jp/~ohori/sub2.htm#b この内容が正しいとすれば、ポツダム宣言受諾の公電(英文)が郵便局から届けられています。 しかも、新聞社に筒抜けになっていた事実を知って、「いい加減なものだなぁ」と思ったからです。
お礼
うわっ! これは! 思わず絶句してしまいました。 日付を見ると生々しいですね。日付だけで戦慄を覚えます。 私が最も知りたかった内容の全てです。 日米開戦と同時に国際電話回線はたった一本に制限されたということを本で知ってから、 これは今で言うところの「ホットライン」だけが残されたに違いない。 そうであれば、中立国スイス(ベルン)との回線だろうと思っていましたが、 これで確認できました。 ポツダム宣言受諾の公電が郵便局から公使館へ届けられたという話も事実だと確認できました。 東京―モスクワ線は8月9日に停止されていますね。 ソ連・モロトフ外相から対日参戦の通告を受けた駐モスクワ・佐藤大使が、東京に至急連絡しようとしたが、電話回線は切断されていた、という話もこれで納得できました。 わざわざ詳細に書き写してくださって、誠にありがとうございます。 すっきりしました。