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西郷どんの逸話
私は幕末の志士がとても好きです。 特に高杉晋作、西郷どんの人間性が好きです。 何か逸話などあればいろいろ教えてください♪
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- forskind
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こんなのはどうでしょう? 高杉晋作の写真、名言、年表、子孫を徹底紹介 | 幕末ガイド http://bakumatsu.org/men/view/72 ●高杉晋作は、親交のあった坂本龍馬に上海土産のピストルを贈った。このピストルが、後の寺田屋事件で、伏見奉行に襲撃された龍馬の命を救うことになる。 西郷隆盛の写真、名言、年表、子孫を徹底紹介 | 幕末ガイド http://bakumatsu.org/men/view/39 ●幼少期、西郷が家のお使いで水瓶を持って歩いていた。悪童が西郷を驚かせようとして物陰から飛び出したところ、西郷は持っていた水瓶を地面にいったん置いたあと、心から驚いたといった表現をして、その後何事も無かったかのように水瓶を運んで行った。 ●酒が弱く下戸であった。 ●坂本龍馬を鹿児島の自宅に招いたことがある。当時の西郷家は非常に粗末なつくりであったため、雨洩りがしていた。耐えかねた夫人の糸子が「お客様が来られると面目が立ちません。雨漏りしないように屋根を修理してほしい」と西郷にお願いをしたところ、西郷は「今は日本中の家が雨漏りしている。我が家だけではない」と叱った。この話を隣室で聞いていた坂本龍馬は感心したと伝えられている。 ●晩餐会の席で「作法を知らない」と言って、スープ皿を手に持ってスープを飲み干した。 ●陰嚢が人の頭ぐらいあった。これは、島流し先の沖永良部島で、風土病のバンクロフト糸状虫という寄生虫に感染、後遺症である象皮症の影響である。晩年は馬に乗ることができず、徒歩か駕篭で移動していた。
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- wuestenrot13
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下のご回答は、話としては面白いですが創作のようです。 元日に殿様と重臣が…ということ自体が創作と思われると、毛利家に近いかたに聞きました。 山口湯田の松田屋で湯に浸かって密議をしたと言われますが、高杉は酔うと乱暴者だったそうです。旅館の木に文字を刻んだのが残っています。志こそ高いけど、なんだかスプレーで落書き~!と似たノリみたいな。 それから高杉は菅原道真(天満宮、天神様)を深く信仰しており、「菅原大神」と書かれた旗が遺品としてのこっています。 自分も死んだら馬関(下関)の鎮守の神になりたいと言っていたそうで、葬儀は本格的な神式(仏式ではない)でおこなわれています。 天神信仰が深かったため梅の花を好み、偽名にも使っています。
代々毛利家では正月のならわしとして、重臣が殿様に向かって「今年はいかがいたしましょうや?。」と問い、殿様が「うむ、まだ早い。」と答える習慣があった。 意味は、「関ヶ原の恨み、今年は徳川めに一泡吹かしてやりましょうか?。」、「いやまだ時期早々である。」ということ。 今年もあい変わらずこの問答が交わされたが、晋作、脇差をかたわらに置きガバと立ち上がり、「御注進」と連呼しつつ、ツツツととばかり重臣と殿様の近くに寄って行って座り直した。 殿様に一礼し重臣の方に向き直り、「そろそろ御準備あってしかるべき時期と思い候。」とやった。 一同呆然、目は点である。父親などは口をワナワナさせ失神寸前である。 重臣なぞは殿の面前で「馬鹿者!」とも言えず、口をアングリさせたままであった。 場は水を打ったように静まりかえる。晋作もさすがに少しばかり頭の中が白んできた。 そこは家老の周布政之助、ワハハハと高笑い、「いや目出とうござる。正月早々に威勢が良いことでございますなぁ殿。いや若い者は元気があってよろしゅうござる。晋作、わかったからもう下がってよいぞ。」となんとかその場を収めた。 しかし晋作、やはりそのままではおさまらず、父親が四方八方手をうった甲斐もあってか、なんとか自宅謹慎の罪ですんだ。 うわさは町を駆け巡った、晋作、一躍有名人である。若者大将各の桂小五郎の眼にも(面白いやつ)と留まった。 2ヶ月後、桜田門外の変が起き、衝撃は萩にも伝わる。殿様も「まさか大老が、城の近くでああ易々と・・幕府ももはや形骸か」と驚く。 「しかし晋作は時勢を見抜く力がある。」 かくして晋作の謹慎の罪は解けた。 (注意。この逸話は創作の可能性もある。)