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襲名 世襲

醍醐 後醍醐、白河 後白河、 鳥羽 後鳥羽 法皇、上皇、 後--。 ナポレオン 1,2,3世 などなど 実の 続柄、 在世当時 の 呼び名か、贈り名か 教えて ください。 戦前生まれ 丸暗記 出来ても 世襲 襲名 などの 形 教わらなかった。

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  • Domenica
  • ベストアンサー率76% (1060/1383)
回答No.2

「ナポレオン」についてお話します。 「ナポレオン」というのは、実は『姓・名』のうちの『名』なんです。 「ナポレオン1世」は、現在のイタリアのコルシカ島(当時はフランス領)の出身で、本来の姓名は、コルシカ語で、それを無理やりカタカナ表記すれば「ナブリオーネ・ブュオナパルテ」になるそうです。 ブュオナパルテ家は、古くからの地主階級だそうですが、「ナブリオーネ・ブュオナパルテ」の父親は判事だったそうです。 「ナブリオーネ・ブュオナパルテ」がフランス語風に改められたのが、「ナポレオン・ボナパルト」です。 この「ナポレオン・ボナパルト」が、「フランス人民の皇帝」に即位したとき、皇帝に『姓』は不要とのことで「皇帝ナポレオン」となったようです。 「皇帝ナポレオン」には確認されている限りでは、3人の子供がいます。 レオン伯シャルルは、1806年生まれで、実際には「皇帝ナポレオン」の子ではないかもしれない…と言われていますが、「皇帝ナポレオン」は自分の子として認知をしています。 アレクサンドル・フロリアン・ジョゼフ・コロンナ=ヴァレフスキは、愛人であるマリア・ヴァレフスカが生んだ子で、1810年生まれです。 この子が誕生したことによって、「皇帝ナポレオン」は、自身に子供を作る能力があると認識し、子供を生んでくれる女性と再婚するために皇后ジョゼフィーヌと離婚することにした…と言われています。 残る1人が、ジョゼフィーヌと離婚したあと再婚した、皇后マリー・ルイーズが1811年に生んだ「ナポレオン・フランソワ・シャルル・ジョゼフ」です。 ローマ王、ライヒシュタット公などの称号を得ていますが、彼を「ナポレオン2世」といいます。 日本の「後○○天皇」と違いまして、「○○何世」の場合は、2代目以降がいなければ「○○1世」という名称は存在しません。 2代目以降がいなければ「唯一」ですから、わざわざ「1世」を付ける必要がないんです。 ナポレオンの場合も、息子が「ナポレオン2世」となったことから、後世において「ナポレオン・ボナパルト」を「ナポレオン1世」と呼ぶようになったのです。 なお、「ナポレオン2世」は世襲によって皇帝になった訳ではありません。 「ナポレオン1世」の退位は1814年4月6日ですが、「ナポレオン2世」は、議会の採択を受けて1815年6月22日にフランス皇帝に即位しています(在位は同年7月7日までの15日間ですが)。 「ナポレオン3世」は、本名を「シャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト」といいます。通称は「ルイ=ナポレオン」です。 血縁としては、「ナポレオン1世」の甥(弟の子)になります。 「ナポレオン1世」の最初の皇后であったジョゼフィーヌは、「ナポレオン1世」と結婚する前に別の人物と結婚しており、子供が2人いました。 ジョゼフィーヌの娘(オルタンス・ド・ボーアルネ)が、「ナポレオン1世」の弟ルイと結婚して生まれたのが、「シャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト」です。 1848年12月に大統領となり、1852年に国民投票によって皇帝となり「ナポレオン3世」となりました。 ですから、「ナポレオン3世」も世襲によって皇帝になった訳ではありません。 私の専門は、実は日本史なのですが、 > 醍醐 後醍醐、白河 後白河、 鳥羽 後鳥羽 > 法皇、上皇、 後--。 こちらを書き始めると、ちょっとやそっとでは終わらなそうなので、控えさせていただきました。 なお、天皇の場合は「贈り名」とは表記せず、一般的には「おくり名」と表記します。 少し難しい言い方ですと「諡号(しごう)」とか「追号(ついごう)」と言います。 「諡号」と「追号」を合わせて「追号」と言われたりもしますが、本来は別のものです。 日本の天皇の場合、「諡号」には「国風諡号」と「韓風諡号」があります。 「国風諡号」は第41代持統天皇の「大倭根子天之廣野日女尊(おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)」以降、第54代仁明天皇「日本根子天璽豊聡慧尊(やまとねこあまつみしるしとよさとのみこと)」まで、殯(もがり)の儀式の一環として「追贈」されたとされています。 先ほど、「第41代持統天皇」、「第54代仁明天皇」という表記をしましたが、この「持統」や「仁明」というものが「韓風諡号」です。 8世紀半ばに、初代天皇の「神武」から第44代の「元正」までについて、一部を除いて『まとめて追贈された』と考えられています。 その後、第58代光孝天皇まで続いたのですが、それ以降、一部の例を除いて、「国風諡号」も「韓風諡号」も贈られなくなりました。 江戸時代の終わり、第119代光格天皇の時に「漢風諡号」が復活しましたが、「国風諡号」も「韓風諡号」も贈られなかった天皇についての、「死後の称号」として主流になったのが「追号」です。 なお、第119代光格天皇、第120代仁孝天皇、第121代孝明天皇は、「漢風諡号」ですが、「明治の一世一元と共に元号を以って帝号(追号)とするように定められた。」とのことで、第122代明治天皇、第123代大正天皇、第124代昭和天皇は「追号」だそうです。 この規定からすれば、今上天皇は「平成天皇」となるのかもしれませんが、第51代の「平城(へいぜい)」天皇と、非常に紛らわしいような気がしてしまいます。

owofh
質問者

お礼

小学生 での 丸暗記 これで よく 理解できます。 当時の 先生 は これ以上 皇室に 立ち入れなかった のでは

その他の回答 (3)

  • Tacosan
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回答No.4

ああ, あと「後○○天皇」に対してだいたい「○○天皇」がいるわけですが, 一部天皇の異名を使っているために直接対応しない場合があります. 例えば ・後奈良天皇←奈良天皇 (平城天皇) ・後西天皇←西院天皇 (淳和天皇) です.

回答No.3

西洋史はわかりませんので割愛します。 天皇の在世当時の呼称は全て【今上天皇】です。 醍醐や白河などは逝去された後に付けられた呼称で主に譲位後の邸宅を構えていた地名や墳墓の在所を付けられています。 さらに後○○天皇といわれるのは、以前在位していた天皇と行った事績と同じような事だったとか、在所が同じだったとかで「○○天皇の後に次ぐ」という意味で付けられたものです。 ちなみに醍醐天皇の36代後が後醍醐天皇で白河天皇の5代後が後白河天皇です。

  • Tacosan
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回答No.1

「○○天皇」「○○上皇」は基本的にすべて贈り名です. もっというと「明治天皇」「昭和天皇」なども贈り名で, 在位時にそのように呼ばれたことはない (勘違いしてそう呼ぶことはあるかもしれないが) です. 在位時には「今上天皇」, 崩御直後で追贈されるまでは「大行天皇」と呼ぶと安全. ナポレオン1世にしても, 在位時にそのように呼ばれたことはないはずです. 単に「ナポレオン」のはず. 同名のものがいなければ, わざわざ「1世」などと呼び分ける必要がありません.

owofh
質問者

お礼

日頃 の 疑問 の ひとつ が 晴れました。 孫たち の 修学旅行 の 楽しみ も ひとつ 増えるでしょう。 テレビ を 見ても 理解度 が あがります。