難しい問題ですね。できれば多くの回答者が書いてくれるとよいですが。
まず、記述が2通りなのは歴史とはそういうものだと言うことです。
焦点のあてかたによって見え方も違ってくる。
世界史ではアメリカ、日本史では日本を中心に記述しただけのことであってどちらも石井・ランシング協定の性格を表していると思います。
アメリカ中心でみるとこんな感じ。
アメリカは伝統的に孤立主義(モンロー主義は習いましたよね)掲げ、あまり他国に口を挟まない(挟ませない)傾向があるのですが、19世紀末期ごろから帝国主義的な傾向が強り海外進出を始めます。
経済力を高めた当時のアメリカは市場をもとめ海外進出を始めますが植民地から独立したという国の成り立ちから植民地を拡張するための戦争は国内世論もあってしにくい。
帝国主義的流れに遅れて参入したアメリカは門戸開放の原則を唱えます。
力によって特定の国が権利を独占するのはよくない、独占をなくして俺にも参加させろと。
そんなアメリカからすると日本が第一次大戦中行った対華二十一カ条の要求は門戸開放の原則に反する行為で気に入らない。
で、それまで(二十一カ条まで)の権益は認めてやるかわりに、アメリカの言う原則に従うように確認するわけ。
「やっちまったものはしゃーないから、これからは俺のやりかたに従え」と。
日本からすれば「門戸開放」なる言葉にうなずくだけで中国北部での権利を認めてもらえる。
日本にとっては特殊権益が認められた(認めさせた)ことが重要で「門戸開放」なんてどーでもよい話ってことです。
そんなわけでアメリカは「もうするなよ!」と牽制、
日本は「特殊権益を承認させた!」という記述になるわけ。
もっと大きな視点で見ると一次大戦はアメリカが国際外交の主導権を握るターニングポイントになります。
ウィルソン政権のアメリカはアメリカ流のやりかたで世界秩序を構築しようと「領土保全」、「機会均等」と「門戸開放」、「自由主義」と「民主主義」の輸出、「民族自決」などの理念をもって外交を進めようとしました。
こういったことが後のアメリカ外交のスタンダード(まぁ、看板だけって感じもするが)にもなっていくわけで、アメリカには結構譲れないものだったりするのです。
最後に言い訳になりますが、歴史は立体的なもので視点によって見え方や書き方が変わります。
正直書きたりないところがあると思いますが、気が済むまで書くとレポート用紙数枚ぶんになりそうなので止めます。
この回答では不十分だと思いますが他の回答者さんが現れるのを期待して。
参考まで