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気晴らしについて・・・・
休養をとって適度に気晴らしをとは病院に行くと必ず言われますがどうしてもできません。 なんだか家の手伝いや、シッカリ?生きていないと思うと気晴らし(遊ぶ)なんて出来ません。 それで多少無理しても家族の手伝いをするんですが・・・・そこで疲れてしまって肝心の「休養」はとれません。 家の用事が出来ない=それだけ疲れている、のなら疲れているんだから遊び・気晴らしなど出来るはずがない=用事を断った家族に申し訳なく思う、という考えになってしまいます。 こういう考えだから抑うつ的になるのか、抑うつ的だからこういう考えになるのか・・・・・ 大体病気なのに遊ぶって・・・・・引け目ばかりで出来ません。 世間で偏見の目をもたれるのもそこですし・・・・。 皆さんこういうのってどういうバランスでやってますか?
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- tatata026
- ベストアンサー率16% (2/12)
既に回答されている方と同意見です。 ですので内容は省きます。 自分は病気なんだからと完全に割り切ります。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20252/40150)
あまり気晴らし、という言葉に捉われる必要は無いんです。 言いたいのは、もう少し肩の力を抜いて貴方らしく過ごしてくださいよという事。貴方は肩の力が中々抜けない。 抜く事が逆に不安に繋がる。だったら無理ない程度に家事をやったり、いつも通りの生活をしても良いんです。 気晴らし=しっかりしてない=怠け=そういう自分で良いのか→不安増大。これでは休まりませんよ。 気晴らしをする事が貴方自身の回復、リフレッシュ、建て直しに繋がらないと意味が無いんです。今は自分に負荷を掛けすぎないで、色々な意味で深呼吸してゆとりを持って辺りを見渡す時間。そういう時間の中にこそまた頑張ろうという気持ちにも繋がってくる。 貴方は今まで頑張ってきたんですよ。でも無理が出てきた。 これからはもっと自分にとって受け止めやすい頑張り方、自分の保ち方が必要になる。それを見つけていくのもこういう休養時間なんですね。 遊ばなくても良いんです。無理に気を晴らそうと力まなくても良いんです。貴方なりの過ごし方で良い。でも自分の為なんだという事をはっきり自覚する。どうしても自分を駄目なことをしてるんじゃないかという目線が覆ってしまう。そうじゃないんだと。自分なりにもっと色々な意味で力を抜いて、柔軟に受け止めて、自分なりに良いなと思える頑張り方を見つけていくための土台作りなんだと。貴方の心の部分は貴方にしかわからないんです。だからこそ貴方が一番の自分の理解者になってあげる。必要な時は胸を張って休むんだよ。休みたいから休んでるんじゃない。その先に貴方なりに自分と折り合いを付けた新しい姿で納得できる自分になりたいと思ってるから今は無理をしないという選択を取る。 それはとても前向きな一歩なんだよ。実はね。休んでる、という部分だけを切り取ってしまうと意味合いが見えなくなる。見えなくなると苦しくなる。今は必要な時間なんだと。だからもっと肩の力を抜いて、本当にホッとできる時間をまず創ってみるんだよ。 しっかり心身のケアをして。焦らずにね☆
お礼
分かってはいますが、もう4年目ですし、ハッキリとした「病気」ではなく気分変調症のような症状でなかなか自分以外理解しにくいものです。 特にアスペルガー(今までの診断名の中で一番信用できる診断名)というと「障害者」となってしまうので、家族の理解もなおさら難しくなってます。
お礼
分かってはいますが、もう4年目ですし、ハッキリとした「病気」ではなく気分変調症のような症状でなかなか自分以外理解しにくいものです。 特にアスペルガー(今までの診断名の中で一番信用できる診断名)というと「障害者」となってしまうので、家族の理解もなおさら難しくなってます。