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「らしさ」がない人
学校でカウンセリングを受けています。 自己の連続性がないと言われました。いつ、どこにいても何があっても自分が自分であるっていう概念がつながっていられることができなくて、勉強したり本を読んだり誰かとしゃべったりちょっとストレスがあったりすると自分がとんでしまうんです。 こんな私は魅力ないですよね。今よく言われている「自分らしさ」とか全然ないってことだし。強烈な個性じゃなくても、それなりに私らしさを提供できなければ、対等な人間関係は築けないですよね。〇〇をしている私、という部分部分では誰かと繋がっていられても、まるごとの私はぐちゃぐちゃなんで、誰にもみせられないんです。 自殺とかするつもりはないけど、私はどんなにがんばっても魅力的にはなれないのかな、結婚できないのかな、誰かと1対1の深い人間関係を築くことはできないのかなって思うと、落ち込んじゃいました。 「らしさ」がない人、どう思いますか?
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>自己の連続性 monster-5さんには本当にないでしょうか? 例えばですが、 昔、不良をやってた→あるTVを見て進学を決意→がり勉になった。 という場合、不良だった自分と、今の自分とはぜんぜん違いますが、 どんな気持ちで不良だったのか、などを覚えていて、 そこから、どのように気持ちが変化して、今に至ったのか、 それがわかっていれば、自分が自分であるという概念を持っていることに なると思います。 何であんなことしてたのか、思い出せない・・・というのでは困りますが。 買物に行こうと思ってた→本を読み始めた→忘れてしまった。 とかいうのは理由がありますよね。 そんな風にmonster-5さん自身のことを考えてみて下さい。 考えは繋がっているのではないでしょうか? カウンセリングの先生も、否定的に言ったのではなく、そういう自分の 心の動きに目を向けようね・・・という意味で使ったのではないかしら。 >まるごとの私はぐちゃぐちゃ 私も、そうですよ。 家でねっころがってる姿は誰にも見せられませ~ん。 例えば、お料理上手な人がいます。 いつも遊びに行くとおいしいケーキをご馳走してくれるような・・・。 ○○ちゃんは、料理上手でいいなぁーと思っていても、 実は、20個くらい失敗したケーキを隠しているかも知れません。 けれど、おいしいケーキを食べさせてあげたい、と思った。 その事が大事なのではないでしょうか? monster-5さんが、仮にお友達の前では、明るく、やさしいのに、 家に帰るといじわるで、けんかっぱやい、(仮にですよ!)とします。 でも、友達には、気持ちよく接したい、という気持ちは嘘ではありませんよね。 いやな部分を見せない、のは、気持ちよいお付き合いの基本だと思います。 時々は、いやな部分を、心許せる友人に見せても良いかも知れませんが。 >「らしさ」がない人 またまた変な例えですが、monster-5さんが指名手配されて、写真が公開されたとします。 隠れてない限り、すぐ捕まりますよね。なぜでしょう? 1つとして同じ顔がないからです。 学校で、同じ制服着て、同じ校歌を歌っている時でも、 AちゃんとBちゃんは、何かが違う・・・。 隠してもにじみ出てしまうものが、らしさだと思います。 現に、質問の文章のクセみたいなものにも、表れていますよね。 (私の文章も、そうです。) けれども、日々の生活が、そのらしさを形作っていくのも、また事実です。 なりたい自分をイメージして、毎日生きていけば、 元々の「らしさ」に、イメージの「らしさ」が加わり、 monster-5さんの「らしさ」になっていくと思います。
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- 1982BWV988
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>それなりに私らしさを提供できなければ、対等な人間関係は築けないですよね。 「らしさ」というのは結果であって目的ではありませんよね?ましてそれを 切り売りするようにして人間関係の担保にするものでもありません。 結果であるということはそれを生む過程があるということです。いわゆる 人生経験というものがそれの最たるものでしょう。 monster-5さんはおそらく十代後半の方だと思いますが、その年代の人が自己完 結に達するほどの経験や思索を尽くしている方が、むしろ稀ではないでしょうか。 A「日本人はどうも個性に欠けるね」 B「いや、最近は個性的な人多いよ。みんな個性を大事にするようになったからね。」 A「どうして個性が大事になったんだろう?」 B「そりゃ、個性がないと仲間はずれにされるからだよ!」 ↑この会話、なんか変ですよね?でも最近の「らしさ」ブームには実際こういう 面もあると思うんです。根っこにある「みんなが~だから」式の発想は何も 変わってないのかもしれないですね。 自分には「らしさ」がないと焦るのは結局この発想にとらわれているということでもあります。 こんな人になりたい!という憧れの人はいますか?そういう存在は自分に とってとても大きな財産だと思います。人の真似は良くないし・・・とか考 え過ぎないことですね。 人間は蓄積した過去から今の自分を規定していきます。自分というものが あらかじめあるわけではありません。その過去の由来すら誰も説明すること はできません。遺伝子にしても可能性を語るだけです。 意思の始点に遡ることはできません。そこに自分を探そうとしても、あるのは 確率の広がりでしかない。そしてその確率は未来に向って収束し、その過程で 「個人」という輪郭が姿を現わしてくるのでは ないでしょうか。……うまく表現できませんが、私の「自分」観はこんな感じです。 って、何の参考にもならないですね(笑)。 >「らしさ」がない人、どう思いますか? 今のところそういう人にお会いしたことがないので……またこれからもな いと思いますよ! 以上、支離滅裂でごめんなさい。。
お礼
>「らしさ」というのは結果であって目的ではありませんよね?ましてそれを 切り売りするようにして人間関係の担保にするものでもありません。 ほんとはそうなんですよね。でも、自分らしさって、自分が何かするための安心材料でもあると思うんです。自分はこういうふうだから、〇〇はできなくてもいいや、みたいな感じで自分を守るためにも。前の私がこれをしたから、次はこれをしようとする、その繋がりをみて他人は私らしさを感じたり、私を必要とするんですよね。自分らしさはまずは自分が安心するためのもの、そしてそれがあれば人間関係もうまくいく。(多分)ということが分かりました。(ずれていたらごめんなさい。) この行動がどの自分に由来するか、とか考えても頭が混乱するばっかりです。とりあえず、自分がなにを感じているかもっと心の声を読み取れるようになれればいいな、と思いました。すでに蓄積された自分が何を感じているのか、大切にしたいと思うので。 ありがとうございました。
自分がすごい人間であると見せつけたり、証明したりする必要はありせん。 自分はあるがままの自分だ、ということだけで十分なのです。 世間体などにこだわらず、自分が幸せかどうかのほうを気にしましょう! ぐじゃぐじゃの自分でいいと思います。 だって、結構みーんなぐじゃぐじゃなんですから。 あるがままの自分でいることはとても魅力的なことだと思います。 それが自分らしく生きるという事ではないでしょうか。 すこーし勇気を持つだけで大丈夫です。
お礼
スゴイ人に見せたいとか、普通の人以上に思っているわけじゃないと思います。でも、どんな風に生きていけばいいのか、とか考えると混乱しちゃうんですよね。 ありがとうございました。
- gougou-may
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らしさって難しいですよね。 学生さんという事ですが、おいくつぐらいなのでしょうか? 私は、高校生くらいから、あなたに似たような感覚を持ち始め、周りに翻弄されていました^^;個性が凄く強い子だと、逆に私らしい部分をもっていられるのですが、普通の子達と一緒に居るときが1番自分が無くなってわからなくなってしまう事がありました。今でも時々そうですよ^^ 私の周りには、幸い、私のばらばらな部分を「個性」としてみてくれ、また、引き出してくれる人が多いので、そういう人たちとのやり取りの中で少しずつ、自分を確立しているような気がします。 頑ななのは良い印象を受けないけれど、誰かに負けない何かを持っていることも、らしさに繋がると思うし、これだけは!っていう譲れない何かを持っているのも、らしさだし・・・・らしさは千差万別ですね^^ 自分らしさを発見するのも、楽しいですよ^^まずは色んな体験経験してみてはどうでしょうか?
お礼
分かりにくい文書いちゃったなーって思っていたのに、、、どうもありがとうございます。 私は23歳♀です。ウッカリ書くの忘れてました。(><)高校の頃は何にも考えてなかったんです。考え始めるのが遅いですよね。 >私の周りには、幸い、私のばらばらな部分を「個性」としてみてくれ、また、引き出してくれる人が多いので、そういう人たちとのやり取りの中で少しずつ、自分を確立しているような気がします。 やっぱり他人との中で自分を確立していくってことも必要なんですね。私は自分がぐちゃぐちゃなのに気付いて、恐くなって引きこもってしまったんです。でもわずかな自分らしさっていうか、自分の変えられない部分とか性質を分かってくれる人を探して付き合うっていうのも大事なんだなって思いました。 うまくいくといいな。 ありがとうございました。
お礼
はい、先生は、否定的にもう君はダメだ、と言うつもりで言ったのではないと思います。でも、落ち込んじゃうんですよね。考えの繋がりは、あんまりないんです。どうしてそういう考えに飛ぶわけ?みたいに言われることはしょっちゅうです。それがとてもいいひらめきや発想になることはたまにあるんですけどね。でも、そんなの嬉しくないんです。精神科の先生にも、考え方が違う人がいるから世の中シンポするんだよ、と言われたんですが、私はなんか発明するつもりもないし、もっと誰かと親密な人間関係を築いたりする身近な近な幸せが欲しいんです。。。 >けれど、おいしいケーキを食べさせてあげたい、と思った。 その事が大事なのではないでしょうか? この言葉にちょっと救われました。私の場合、Aをしようとしているのに、Bができていないことに罪悪感を感じたり悲しくなったりする、ということがよくあって、情緒不安定になるんです。でも、私が、「Aに時間を割いたり頑張った」ということは自体は悪いことじゃないし、頑張ろうと思ったことは大切なことなんですよね。(分かりにくいかもしれませんが。。。)今度情緒不安定になりそうだったら、この言葉を思い出してみます。 >けれども、日々の生活が、そのらしさを形作っていくのも、また事実です。 そうですね。あんまりネガティブにならないように日々過ごしていきたいと思います。 がんばります。ありがとうございました。