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変わる人と変わらない人の違いの原因
犯罪をしても、自分が犯した罪を反省して、被害者や関係者に謝罪や賠償をして、二度と罪を犯さず更生する人もいるし、自分が犯した罪を反省せず、被害者や関係者に謝罪も賠償もせず、罪を繰り返す人もいます。 犯罪でなくても、大量の飲酒や喫煙や暴飲暴食や、極端に偏った食生活とか、自分の生活を破綻させるまで金をギャンブルや株投資につぎ込むとか、自分の収入で返済不可能になるまで借金を重ねるとか、自分や周囲の人の不利益になる行為を、ある時点で反省して、今までの問題行為を止めて、生活態度を変える人もいるし、そのような問題行為を死ぬまで止められない人もいます。 このように、人生の途中で、自分の考えや行動が変わる人と変わらない人の違いの原因は何ですか。
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こんにちは、 こんにちは、臨床心理では、“気づき”を重視しています。 「気づく」ことで、人は行動(生き方)を変えて行きます。 「気づく=わかる・理解する」ことですが、この“気づく”ことにはレベルがあり、 深いレベルで、気づかなければ、人は行動を変えて行けません。 普通は「(頭で)わかれば(行動)出来る」と考えられていますが、 私たちは「頭でわかることと、行動できる。」ことには、差(ギャップ)があり、 私たちは、(浅く)わかることでは、習慣・行動・考えは変わりません、 他人から言われて、の理解はまだまだ、浅いレベルなので そのことが、大きく行動を変えることにつながらないのが普通です。 心の奥底までの深いレベルの理解、そしてそれを自分自身で気づくことで、 私たちは行動を変えて行きます。その為に、カウンセリングなどは、 アドバイスなどの外からの“気づき”をタブーと考えています、 カウンセリングなどでは、アドバイスなど指摘は、 本質的に行動を変えられない為に、ほとんど意味が無いと考えられています。 (ちょっと乱暴な表現ですが、)人間の特質として、自分自身で気づいたこと、 自分の考えとして心底、受け入れたことだけが、本当に行動を変えることが出来るのです。 罪を反省する(出来る)人間は、気づくことの出来る(出来た)人間です。 そして、気づくことが出来るためには、“気づく力(スキル)”が必要に成ってきます、 罪の反省が出来ない人間は、この“気づく”レベルと気づくスキルが低い人です。 自分自身の心の歪みや、心の痛みを抱えてのた打ち回っている、 自分自身に精一杯で“気づく”までに至らない、大変に迷惑で、 (一面は)大変に可哀想な人達です。(勝手に苦しんでおけ!とは思いますが…) 一方、気づける人たちは、他人に心を配れるほどに、心の回復を果たした (たぶん犯罪時には、心が壊れていたと思われますので、)幸いな人達です。 私たちは、心が健全であれば、自分の歪みにもすぐに気づきますし、 他人からの指摘も素直に受け取り、建設的な方向に自分を変えられます。 気づきの少なさ(無さ)が、健全性の指標にもなります。 仏教では、気づき=悟り、と言い、悟ることにより仏様近づきますし、 心を病んだ人ほど、“気づき”が少なくなり、外からの意見を聞き入れません。 “気づき”は、心の健全性のバロメーターだと考えられます。」
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- harrywithers
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> 「気づく」ことのレベルとか、深いレベルで気づくとか、頭でわかることと行動できることの差とか、 > 心の奥底までの深いレベルの理解、そしてそれを自分自身で気づくことの意味ですが、 > 論理や言葉として気づくことと、自分自身の実際の経験や感覚(例えば犯罪や問題行為で > 自分が大きな不利益を受けた経験や感覚)として気づくことの差のことでしょうか? そういう理解で良いと思います。 言うなれば、全身全霊で自分の皮膚や身体感覚として知る(気づく)ことです。 他人に与えた痛みも、自分の痛みとして感じる程に気づくことです。 気づくレベルとスキルに、遺伝とかは、まったく関係ありません 人間は誰もが、生まれながらにして、ミラーニューロンと言う、 共感性を司る神経系を持っています、子どもが親の行動を真似て、 学習するのはこのミラーニューロンのお陰です。 勿論、本人の心の傷が少ないことが、一番重要ですが、 優しさ、思いやり、共感性などは、最初は親(=養育者)から学び、 ある程度の年齢からは、自分自身で育てて行くものです。 > 後天的な教育や訓練により習得することが、気づく能力を決める主要な原因なのでしょうか? その通りです。 > 心の奥底までの深いレベルの理解を自分自身で気づく能力が低い人く、 > 反省や更生ができない人は、遺伝的な素質が無くてできないのか、 遺伝的な資質はまったくありません、生まれながらの犯罪者は存在しません。 個人の、基本的なモノゴトの受け取り方は、生まれながらにあることは否定できませんが、 100歩譲っても、気づきのレベルは、育ち方と自分自身の(自分での)育て方に原因があります。 大人に成り、一度作り上げられた脳(性格や行き方など)は、治すことが、大変に困難です。 人権が在る以上、洗脳みたいなことを、無理やりは出来ませんし、 人格が崩壊する可能性や、自殺に追い込む可能性も決して低くありません。 > そういう人を反省や更生に導ける程度には心理学や教育学が発達してないので、 > できていないのでしょうか? そうではありません、心理学や教育学の使い方(現場への適応)が大変に下手糞で最悪です。 その為に、心を知らない精神科医は、患者を傷つけ、出さなくても良い薬で、 患者を中毒にし、廃人にして儲けていますし、刑務所は再犯者を世に送り続けています。 まるで、浄化フィルターの無い、空気清浄機です(笑) また、わが国の制度は、犯罪者の更生に、まったく無関心と言ってよいほど悲惨な状態です。 (充分とは思わないですが)それでもアメリカなどでは、心理面から更生を支援し 犯罪行為を反省し自分の行為に気づくプログラムが採用されている刑務所も多くあります。 日本では、懲罰だけが優先し、ただ刑務期間があるだけなので、 “気づけない者”反省しない者にはある意味天国です。 ※再犯者の犯罪や、お礼参りなどは、本来国の責任で防ぐべきものだと思われます…。 わかっている事と、出来ていることが違うのは国も一緒のようです((泣笑)
お礼
深いレベルで気づく能力を習得するためにも、犯罪者の更生のためにも教育が重要であるということですね。 詳しい解説をいただきありがとうございました。
- RingQ
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たとえ遺伝や脳の問題があるとしても、それ以上に周囲の人々との関係ではないでしょうか。周囲の人々が、本気で当人と向き合ったかどうかだと思います。 自分は自分勝手だ、自分はこれではだめだ、と自己否定した後が難しいのではないでしょうか。当人が周囲の人々を信じず、おとしめたり馬鹿にしたりと、おろそかにすることをやめて、自分を尊重してくれた分それ以上に人々を尊重しようとすることで変われるのではないかと思います。
お礼
>遺伝や脳の問題があるとしても、それ以上に周囲の人々との関係ではないでしょうか。周囲の人々が、本気で当人と向き合ったかどうかだと思います。 >自分は自分勝手だ、自分はこれではだめだ、と自己否定した後が難しいのではないでしょうか。当人が周囲の人々を信じず、おとしめたり馬鹿にしたりと、おろそかにすることをやめて、自分を尊重してくれた分それ以上に人々を尊重しようとすることで変われる 遺伝的な素質による考え方や行動を、周囲の人々が教育によって矯正させようとした場合、考え方や行動が変わるか変わらないかを決定する原因は何でしょう? 完全無欠な人間はいないのだから、だれにでも短所や弱点はあります。短所や弱点が社会的に許容できない程度だったり、自分に対して取り返しがつかない不利益をもたらす程度なら、それを修正しないと、いつかは自滅するか、他人や社会に大きな害を与えて、それなりの罰を受けることになりますが、そうならないように自分を変えようと思わない、そうなっても反省も謝罪も賠償せず罪を繰り返してしまう考え方、学習能力や修正能力の欠落は何が原因でしょう?
- hamakkotarou
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何か間違いをした時に問題がどこにあるのかと考えると思います。 よくあるのは自分以外のことに原因があると思うことです。 もちろんそうかもしれません。 でも自分にも改善できることはあるはずです。 しかし一旦自分以外に原因があると思ってしまうと自分を変えようとは 夢にも思わなくなり常に自分以外のものに変わってもらおうとするように なるのだと思います。 何故そうなってしまうかといえば自分を変える方法が分からないことと 時間がかかり実際に成果があるかどうかが分からないからかもしれません。 だからこそ、それを他の人にやってもらいたいと思うのでしょう。 でも、他の人も同じように変わることはないのです。 自分を変えようと思う人は他人が変わらないことに気付いている人です。 だからわざわざ自分を変えることを選択していくのだと思います。 そしてその方が問題解決を早く済ませるのです。
お礼
>何か間違いをした時に問題がどこにあるのかと考えると思います。 >よくあるのは自分以外のことに原因があると思うことです。 >一旦自分以外に原因があると思ってしまうと自分を変えようとは夢にも思わなくなり常に自分以外のものに変わってもらおうとするようになるのだと思います。 自分が罪を犯したり、自分の行動によって自分が不利益を受けたり他人に不利益を与えたり、自分にとって不満な状態になったり、自分が関係することで紛争が起きた時に、その原因をいろいろな観点から分析して、原因(一つではなく複数の原因が重なっている場合もある)や解決方法(方法には実現可能性やメリット・デメリットがある)を総合的に検証せずに、全て他人や社会に原因があると根拠無しに決め付ける(単純な決め付け方をする場合が多い)考え方の原因は何でしょうか? >自分を変える方法が分からないことと時間がかかり実際に成果があるかどうかが分からないからかもしれません。 自分を変えることで、自分の利益になるか、少なくとも不利益は無くなる(今よりは相対的に利益になる)ことが常識で認知できるなら、例えば、麻薬や覚せい剤を止める、大量の飲酒や喫煙を止める、収入の全てをギャンブルや株投資につぎ込んだり、借金してまでギャンブルや株投資をすることを止めれば、それがもたらす不利益を解消できることは、普通の感覚と知識を持った成人(大部分の成人)なら常識的に認知できるはずだが、止めようと考えずに続けてしまう原因は何でしょう?
自我意識が強いからです。人の性格は変える事は難しいです。だけど悪い性格が強く出ないようにする事は出来ます。それは自我を情緒で中和して弱くする事です。現代は脳を刺激してテンションが高くなる事ばかりです。だから自我意識が強くなります。逆に脳を休めると自我が弱くなります。脳が思考してる時は、人と自然の情緒との交流を、脳が遮断するので心がストレスになります。脳が休むと、人と自然の情緒が交流するので、心が癒されます。だから脳を休める事です。日本には脳を休める方法が多いです。仏教の禅や、日本の伝統文化も脳を休めて、自然の情緒、心の癒しを追求しています。茶道、能、演歌、日舞、日本画など、また機械を止めて手作業で仕事をすると、意識が頭を離れて手足に向くので脳が休みます。自分で工夫して脳を休めて、情緒を多くする事です。人の心を育てるのは、自然の情緒です。脳の思考による道徳などの人の知恵ではありません。
お礼
>自我意識が強いからです。人の性格は変える事は難しいです。だけど悪い性格が強く出ないようにする事は出来ます。それは自我を情緒で中和して弱くする事です。 >現代は脳を刺激してテンションが高くなる事ばかりです。だから自我意識が強くなります。逆に脳を休めると自我が弱くなります。 >仏教の禅や、日本の伝統文化も脳を休めて、自然の情緒、心の癒しを追求しています。 >人の心を育てるのは、自然の情緒です。 宗教は精神的な悩みの解消や、精神の安息を得るためや、考え方や生き方の基準とするために、いろいろな経典や戒律を説教し、それによって悩みを解消して、精神の安息を得て、考え方や生き方の基準としている人もいますが、宗教による対立や紛争や戦争になる場合もあります。人がそれぞれ自分の悩みを解決し精神の安息を得て、考え方や生き方の基準としての宗教を尊重していれば、他人との紛争は起きないはずですが、宗教により紛争が起きるのはなぜでしょうか? 自然をありのままに受け入れて生きていれば、社会に影響された自我はなくなり、自我による執着で自分や社会に不利益をもたらすことはなくなるのでしょうか? 人生の途中で考え方や行動が変わる人も変わらない人もいますが、性格は変わることは困難なのでしょうか? 性格と感じ方や考え方は同じものですか?それとも違うものですか?
- sukeken
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こんにちは。 なんでしょうね? 自分の中の強い心と、周りの理解してくれる気持ち…でしょうか? おそらく1人では難しいんじゃないかって思います。 昨日まで毎日パチンコに行っていた人を変えさせるのは至難の業ですが、変わる人もいますからね。 では。
お礼
>自分の中の強い心と、周りの理解してくれる気持ち 普通の感覚と知識を持った成人(大部分の成人)なら、自分の利益・不利益を考えて行動することははもちろん、他人の利益や立場を配慮する知識や感覚も持って行動しています。 犯罪である麻薬や覚せい剤の使用も、犯罪ではない大量の飲酒や喫煙も、自分の健康を害するだけで、自分の不利益にしかなりません。ギャンブルや株投資や借金で破産することも、自分の不利益にしかなりません。犯罪であれば執行猶予付きの判決でも懲戒免職その他の社会的制裁を受け、再犯を繰り返せば罰も重くなり何回も服役することになり、自分の社会生活の建て直しが困難になります。このように、自分が不利益になることを繰り返す人は、自分の利益・不利益を考えることができずに行動していますが、何が原因なのでしょう? 自分だけの利益・不利益や立場は考えても、家族の利益・不利益や立場は考えない、自分や家族の利益は考えても、家族以外の利益・不利益や立場は考えない、自分が所属する集団の利益は考えても、自分が所属する集団以外の利益・不利益や立場は考えないなどのように、他人の利益・不利益や立場しか考えないと、他人との間にいろいろな紛争が起きて、結局は自分の不利益になることがよくあるのですが、このような考え方をする原因は何でしょう?
お礼
>「気づく」ことで、人は行動(生き方)を変えて行きます。 >「気づく=わかる・理解する」ことですが、この“気づく”ことにはレベルがあり、 >深いレベルで、気づかなければ、人は行動を変えて行けません。 >普通は「(頭で)わかれば(行動)出来る」と考えられていますが、 >私たちは「頭でわかることと、行動できる。」ことには、差(ギャップ)があり、 >心の奥底までの深いレベルの理解、そしてそれを自分自身で気づくことで、 >私たちは行動を変えて行きます。 >(ちょっと乱暴な表現ですが、)人間の特質として、自分自身で気づいたこと、 >自分の考えとして心底、受け入れたことだけが、本当に行動を変えることが出来るのです。 「気づく」ことのレベルとか、深いレベルで気づくとか、頭でわかることと行動できることの差とか、心の奥底までの深いレベルの理解、そしてそれを自分自身で気づくことの意味ですが、論理や言葉として気づくことと、自分自身の実際の経験や感覚(例えば犯罪や問題行為で自分が大きな不利益を受けた経験や感覚)として気づくことの差のことでしょうか? 他人に被害や不利益を与えた場合は、自分自身の経験や感覚として気づくことはできませんが、もし自分が被害者になったらと、被害者の立場(例えば他人の犯罪や問題行為で自分が大きな不利益を受けたと想像する)になったと想像して気づくということですか? 個人的な行為ではなく、社会全体の不利益や問題の場合は、どのように気づくのでしょうか? >罪を反省する(出来る)人間は、気づくことの出来る(出来た)人間です。 >そして、気づくことが出来るためには、“気づく力(スキル)”が必要に成ってきます、 >罪の反省が出来ない人間は、この“気づく”レベルと気づくスキルが低い人です。 心の奥底までの深いレベルの理解を自分自身で気づく能力は、遺伝的な素質が主要な原因として決まるのでしょうか? それとも、遺伝的な素質よりも、後天的な教育や訓練により習得することが、気づく能力を決める主要な原因なのでしょうか? 心の奥底までの深いレベルの理解を自分自身で気づく能力が低い人く、反省や更生ができない人は、遺伝的な素質が無くてできないのか、そういう人を反省や更生に導ける程度には心理学や教育学が発達してないので、できていないのでしょうか?