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突然の夫の死

昨年の夏、突然の火災で夫を亡くしました どこに行くにも常に一緒でした。 今でも夫の事を心から愛しています。 普通愛する夫を亡くした妻は、 何も手に付かない程、その悲しみに落ち込みます。本当に辛くて どうしたら良いのか分からない等・・・ でも私は、そのような感情が未だに起こらない事に悩んでいます。 パパの最後の姿を警察で見たのに、(葬儀は御通夜はありませんでした)、遺骨を開け、パパの変わった姿を見たのに、 10歳と2歳の息子と、パパの居ない生活を送っているのに、 生活は、いたって前向きで、楽しい事も沢山あります。 世界で一番愛している夫を亡くしたのに、くよくよ泣かない自分が 異常なのか、私と同じ気持ちや体験をしている人が世の中にいるのか、 どうしても知りたくて、またアドバイスを頂きたくて、質問をしました いつか、実感出来るのでしょうか? すみません、文章がめちゃくちゃで・・・宜しくお願い致します

みんなの回答

回答No.6

大学生(♂)の言うことなので、聞き流してもらっても構いません。 ある脳科学者(東大教授)によると、人間はある特定の人・物・事を認識する際、脳内にそれに対応した内部モデルを作ります。そして、一旦、その事象とモデルの間に対応関係が出来てしまうと、それを変えることは容易ではありません。 さらに、その内部モデルは自分にとって好ましい(心地よい)ものになる傾向があります。思い出は美化される、とよく言いますよね。 で、あなたの場合、いつも愛する旦那さんと一緒に居たということで、脳の中における旦那さんに対応した内部モデルは「楽しい」「心地よい」などプラスのもので、その対応関係が非常に強固なものとなっているのではないでしょうか。 なので、旦那さんの変わり果てた姿を見ても、それが脳内で旦那さんと認識されることはなかった。だから、本当の意味での実感がまだ湧いてこないのでしょう。 おそらく、時間が経って、楽しかった頃の旦那さんとの思い出が薄れてくると悲しみを感じるようになるかもしれません。 しかし、人間が脳に内部モデルを作らないと相手を認識出来ないということは、逆に言えば、旦那さんの内部モデルを構成出来る内は、少なくともはあなたにとっては、旦那さんは認識できる≒生きている、のと変わらないと考えることも出来ます。 「私の中では彼はまだ死んでいない。だから悲しくないんだ」そう思えば、自分の気持ちに罪悪感を感じることもないのではないでしょうか。

  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.5

>>いつか、実感出来るのでしょうか? 人間の心って、よくできています。とても愛していた人を失ったときには、心が受け止めることができません。なので、その事実を認識せず、泣くこともできないことがあるようです。 半年、1年ほど経って、「ああ、あの人はほんとに居なくなったのね」という事実を心が受け止めるようになれたとき、泣けるようです。 ただ、「この世は仮の世」です。愛する人の魂は、あの世で生き続けていますし、時には戻ってきてくれることもありますし、ご自身が死ぬ時には、「道先案内人」として、やってきてくれるかもしれません。 残りの人生を精一杯生きましょう。もしかすると、何年か先にいい人が現われて再婚ということもあるかもしれませんが、無くなったパパにしても、貴方が幸せになるなら、それを望むでしょう。

ryusenn
質問者

お礼

ご回答、本当にありがとうございました。 >>人間の心って、よくできています。とても愛していた人を失ったときには、心が受け止めることができません。なので、その事実を認識せず、泣くこともできないことがあるようです。 まさに、今の私を文章で表すと、こんな感じだな~ と思いました。 私も、いつかパパの事で、事実を心が受け止め、実感し、思い切り 泣いてみたいです。 本当に参考になる御意見、ありがとうございました。

noname#116741
noname#116741
回答No.4

 ある家庭での出来事です。娘をある資格が取れるはずの大学にやりました。娘は卒業時にその資格に合格せずに実家に戻ります。父親は古風な教育パパでしたが、娘を猛烈に叱ります。翌朝、父親は脳溢血で倒れ、そのまま亡くなりました。「灯されないままの明り」と言うわけです。  喧嘩をしている最中に家族に死なれたら、かなりへこむでしょう。または、家族の死の原因に責任を感じていたら、かなりへこむでしょう。誰かに対して後悔が無いということが感情の欠陥であるとは言えないと思います。あしながおじさんのジュディちゃんは、もしも地震に家族を飲み込まれても翌日には自分は新しい家族を探し始めると言っています。悲しみというのは実は利己的なものです。困難に立ち向かう強さがあるからといって、それが愛情に欠けるという証拠にはならないでしょう。

  • goold-man
  • ベストアンサー率37% (8364/22179)
回答No.3

愛していた夫と言っても、元々他人です。10歳と2歳の息子さん(分身)と同じではありません。(父のない)息子さんのためにも、明るく前向きに、楽しく生活してください。 中高年の女性も夫をなくして(内心)せいせいしているのが実情です。(何事にも例外はあります) あなたは異常ではありません。

  • ame830
  • ベストアンサー率28% (195/684)
回答No.2

昔、僕の友達が自殺したんですよ。 23歳の若さで。 で、その友達のお葬式の日、集まった友人たちとカラオケ行って、お酒飲みながら笑って歌って楽しく過ごしたんですよね。 自殺した友達と関係ない話で盛り上がったり、時にはその友達をチャカしたりして。 こう書くととんでもなく酷いやつらに見えるかもしれませんが、なぜかその日は自然にそんなノリになったんですよね。 無理して友達の死を忘れようとはしゃいでいるわけでもなかったし、かといってその友人のことがどうでもよかったわけじゃないし。 不思議なくらい、なんでもない普通の一日で。 だから死んだ友達を、生前と同じようにチャカして笑うことができたり。 実感が湧かなかったって言葉が一番近い気もするけれど、でもそれとも少し違う気もするし。 本当に自然に、いつもと変わらない日常だったんですね。 今でも、それが何でなのか、これだ!っていう答えはでないですけれど。 死ってドラマや小説と違って、案外こんな自然に受け入れることができるものなのかなあ、って思ったのを覚えています。 あと死者に対して無理に何かを考え出すのが嫌だったのも覚えています。 「俺があのとき、もっと○○してやればよかったのに…!」「こんなことならもっと優しくしてあげれば…」「きっとあいつも天国で見ていてくれているさ!」「なんで死んだんだぁぁ!」 そういうのって、自己陶酔で自己完結で自己満足で自己弁護で、なんか誠実じゃない気がしたんですよね。 いつもと同じように自然でいることの方が、ずっと誠実な気がしていました。 ちなみに、今でも、友人の死を実感できたことはないし、悲しみが溢れてきたこともないです。 僕らがそうだったから「これが普通だ」とも言わないですけど、でも世の中にはそういうこともあるのではないでしょうか?

ryusenn
質問者

お礼

ご経験を交えてのご回答、本当に有難うございました。 「俺があのとき、もっと○○してやればよかったのに…!」「こんなことならもっと優しくしてあげれば…」「きっとあいつも天国で見ていてくれているさ!」「なんで死んだんだぁぁ!」 そういうのって、自己陶酔で自己完結で自己満足で自己弁護で、なんか誠実じゃない気がしたんですよね。 いつもと同じように自然でいることの方が、ずっと誠実な気がしていました。 ↑この文章を読んで、やはり、今はこのまま、 自然に毎日を息子たちと過ごしていこうと 改めて思う事が出来ました。 私も「これが普通だ」とは思わないですが、世の中には様々な、 それぞれの経験や人生があるのだと 改めて思いました だけど、こうやって、共感できたり、様々な方の経験や意見を 知る事が出来て、そしてアドバイスを頂き、本当に良かったです 本当にありがとうございました。

  • pipi-goo
  • ベストアンサー率33% (217/651)
回答No.1

お悔やみ申し上げます。 人間っていろいろですよ。私は理解できます。 私も去年、父を病気で亡くしました。でも結構あっけらかんとしています。きっと、妻を亡くしたとしても同じような気がします。 何故かと言われれば、私も困ってしまうのですが・・・ 回答にはなりませんが、少なくとも理解者はいるという事で!

ryusenn
質問者

お礼

質問を読んで頂き、また回答して頂き、本当に ありがとうございました。 誰にも言わなかった気持ちを、打ち明けて、 理解できる と言って頂いた事、 言葉では表現しづらいのですが 勇気を頂きました 本当にありがとうございました。

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