No.5、No6.です
4月に始まり6月につづき既に秋9月ですね、お久しぶりです。
再度のお尋ね:
「単位面積」や「単位体積」を規定せずに
単位面積あたり・・・・という表現は無効ということでしょうか?
いわゆる専門書を私も読みますが、その辺を規定せずに書いてあるものを良く見かけます。
一般書や新聞ならなおさらです。
について。
確かに日常的に見かけます。
会話の場合は、「単位面積当たり何人?」と聞かれたら、
「平方キロでいいかい?」と確認してから答えるか、
「1平方キロ当たり336人だよ」という具合に答えるなど、単位の大きさを(脳内で)認識します。
どうでもよい会話ではもちろん「336人」とのみ答えることもありますが。
新聞や小説など印刷物相手の場合は、話題によって常識的に1平方キロだなと解釈します。
示されている数値によっては、「あ!これは1平米だろう」と考え直すこともあります。
米の話題で単位重量当りの価格の推移などならば、kg?ton?などと数字を確認したりもします。
会話でも、印刷物でも、TV・ラジオの一方的メディアでも、話題によって常識的に判断
できる場合は数値を省いているのでしょうね。それで社会的には許容されています。
特に日常会話や小説では、都度都度きちんと言ったり書いたりすると互いに煩わしいですから。
そもそもが、単位xxなる用語法は、生活用語ではなく文明の発展に伴い生活用語に入り込んで
きたわけですから、語の持つ本来的な厳密性や科学的価値など知る機会も必要もないわけでした。
日常の必要に迫られた範囲内で便宜的に解釈され浸透してきたものです。
江戸時代はもとより昔から、職人の工賃・荷物の運送代・米の穫れ高・etc.と各種単位が
ありましたが、生活や実務の必要から発生したもので、特定の業務を扱う役人や一部の学者を
除いた人たちには、単位の概念として普及するに至っていなかったと推測します。
むしろ数量詞的な意味合いだったのだと思います。
小説の類はともかく、きちんとした文面では、前段か文中ないし注で単位のディメンジョンを明記
した上で、単位面積、単位体積などの語を使っています。
すなわち貴方の理解、
「単位面積を平方キロとすると・・・・」という文言が必要なのですね。
先に単位体積や単位面積を規定しておけば、単位体積あたりという言葉に意味をなす
と思います。納得です。
で正解です、学問的な精密さはここではさて置いて。
また、学術分野では予め“単位xxとは何か”が定義されていて前提となっているものもあります。
各種業界で実用上無条件に通用するものもありますし、
生活の慣用で定着したものもあります。
例:数学 「単位円は原点を中心とした半径1の円のことである。」 他・・・事前の定義。
建築 「建築費は10万強だ」「ん、坪35万弱か」・・・m2当たり10万円強。単位面積は1m2。
生活 「グラム800円の牛肉」・・・100g。単位重量は100グラム。
*有効か無効かとの問いに対して:
実生活上有効です、但し国民の常識か、話者同士の知的水準が同じ場合です。
*前回「“面積あたり”という表現は内容のない表現です。」と書きましたがやや乱暴でした。
“何かの広さに関わることだな”と理解されますが、主題の提示以上の内容を持たないので、
この表現になりました。
お礼
度々のご回答有難うございます。 ようやく理解できました。 単位体積などを規定せずに「単位体積あたり」と使用する例に多く触れた為、「単位体積あたり」を「体積あたり」と同様の表現だと勘違いをしていたようです。 しかしやはり単位を規定せずに使用している例が多々あります。 「面積あたり」という言葉はたしかに「何かの広さに関わることだ」という意味もあるでしょうが、やはり「ある面積において」という意味もあると思います。 例としては 「面積あたりの生息数が増加する」「面積あたりの透過光が増加する」 などです。この様な表現ならどの単位かわからないが、密度が増加したんだなということがわかります。 しかし専門書でも、単位面積を規定せずに 「単位面積あたりの生息数が増加する」などと書いているのです。これが、表現が重複しているのでは?と思った原因です。 理解したつもりではありますので、近々質問を締め切らせていただきます。 もし何らかの補足がおありでしたら、質問を締め切ってしまいますと補足を伺うこともできませんので、念のため少し時間を置いてからの締め切りと致します。 半年ものお付き合い有難うございました!!