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生きる意味が分かりません。すぐ死にたくなります
なんで死んではいけないのか、生きなくてはいけないのか理解ができません。 幼稚園の頃から高校に入るまで虐待を受けてきました。 暴力と言葉の暴力です。 妹弟3人の中で私だけが虐待をうけました。 父だけでなく母親からもです。 橋の上から道路へと落とされかけたこともあります。 暴力は毎日のようだったと思います。というのも記憶が無いのです。しかし、虐待をうけていたことは事実です。 小さい頃は分かりませんでしたが、大きくなるにつれて「死にたい」と思うようになりました。 虐待されてるときはもちろん、例えば学校で恥ずかしい思いをした時、笑われた時等、(おおげさなことでなくとも)虐待とは関係ないときまで「死にたい。死にたい。死にたい」と強く思い続け心の中に箱を作ってその気持ちを入れ鎖で頑丈に巻き、鍵をつけ心の底えと沈めていくのです。 それからは何かあるたび死への願望が強くなってきて、実際思うだけではなく死ぬためにいろんなことをためしてきました。が全部失敗に終わっています。 それからも何かあるたびに死にたいと強く思い、思うだけでは足らない場合自分を傷つけます。すると心が少し楽になります。 関係ないかも知れませんが、中学の仲良かったグループの中にいると、周りがモテ組みなため、よく周りからなんでこのグループの中にいるの?不思議でしょうがないとよく言われ自分に自信がなく、それからはいくら仲のよい友達でいようと少しでも距離を感じたら自分から距離をおいて去ります。しかし仲良くなると離れたくなく必死でいい子ぶります。ので、友達が4人しかいません。 精神科に鬱病で通っており、カウンセリングの先生からは人との距離のとり方が難しくてできていないね。精神科の先生からはうつ病の他に何かいわれてない?と聞かれましたが鬱病としか言われてません。 長くなりましたが、すぐ死にたくなる。何で死んではいけないのか、生きていなければいけないのか分からないのは変なのですか? 又、カウンセリングの先生が言っていた鬱病の他に考えられるとしたらなんなのでしょう? 幻聴が聞こえわけわからなくなることはあります。 お願いします。
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- kazu_kazu
- ベストアンサー率47% (33/69)
本当に死にたいのであれば、こんなところで相談なんてしません。 あなたは自分で生きる理由を探そうとしています。 ただ、今までの虐待から、自分に自信が無く周りの目を気にするようになり、現実逃避を行うために「死ぬ」という行為を理由に選んでいます。 それでも、生きる理由もなく死にたいと思うのであれば、一度死んだと思ってボランティアなど誰か人のために生きてみてはどうですか? あなたの命で誰かを救うことを考えて生きても良いと思います。 自分の命を粗末にしても、役には立ちませんが、死ぬ気で誰かのために動けば決して無駄な生き方にはならないと思いますよ。
- periene
- ベストアンサー率19% (51/267)
非常にお辛かったことでしょうね。 ものすごく大変だったと思います。 そんな体験をして死にたくなったあなたは、正しいと思います。 どうか、他人に救ってもらってください。救いを求めて下さい。きっと信じられる人に出会えると思います。 自分の力だけでは無理です。どんな場所でもいいので、自分を救ってくれる場所、探して下さい。
- marin0
- ベストアンサー率20% (1/5)
別に死ぬのはいけなくありません。ただ大変です。自殺は死ぬのとは訳が違います。死ぬのは怖くなくても、自殺は誰かを殺すくらいの覚悟が要ります。でもそんなことを考えている間に苦しくなく死ねる方法も確かにいくつかあります。ここでは特にそれをあげませんが、考えればすぐにわかるでしょう。でもそれを実行するかしないかは人間誰もに与えられた最後の権利だと思います。死ねばいい意味でも悪い意味でも終わりですからね。ですからもしそんな方法で死のうと思うなら少しでもやりたい事を全部終わらせて下さい。それが終ってから死んだって決して遅くはないでしょう。生きる意味もやりたい事もないと言うのならそれはただの逃げです。あなたにとって少しでも眩しい物があるならそれはやりたいことです。それをやりたくないのはそれを行う労力を無意識に考えて諦めているだけです。例えば。 ピラミッドを見てみたい。セスナを運転してみたい。ダイビングをしてみたい。ピアノであの曲を弾いてみたい。小説家になってみたい。あいつに心からあやまらせてやりたい。油絵を描いてみたい。設計士になってみたい。テニスをしてみたい。留学してみたい。 なんでもいいでしょう。人生根気と時間があれば9割の事はできます。若干1割ぐらいは出来ない事もあるでしょうが、それはあきらめてくだい。例えば運動神経0なのにオリンピックに出てみたいとかはちょっとね・・・。人生の幕を引く権利はあなたにあるんですから。希望には全部手をだして全部終わった、もしくは希望が全部消えた時に幕をひいてもいいはずです。それにそれだけ努力出来るあなたになってから幕を引くかどうかの判断をまかせた方がいいでしょう。逆に努力や楽しい事が少なく、耐える事だけを強いられてきたあなたが選択権を持つことは未来のあなたにとってとても不利です。死ぬという選択肢は本当に最後でいいでしょう。
人は生まれてから死ぬまで、幸福と不幸を半分ずつ体験する。 と、聞いたことがあります。 あなたが今まで不幸ばかりで、もしも今現在も不幸であると思っているならば、これから幸福になる可能性はとても高いです。 これから今までの分まで幸福がやってくるのですから、 今、溜め続けている幸福が来るまで、待ってみませんか? そのために、何か学校で出来ること以外のことをやりましょう。 格闘技とか、楽器とか、外国語とか。 お金は、バイトすればいいんです。 しかも、自分のことを誰も知らない場所でやれば、人間関係で悩むことなんてないはずです。 自殺については、聞きかじった知識で恐縮ですが、 霊的な話をすると、自殺というのはとても罪が重いそうです。 この世の生物は、あの世からこの世に修行にきていると考えられていて、 修行(一生)を終えてあの世に帰り、またこの世に(生まれ変わって)修行に来る。 そして少しずつレベルを上げる。ということらしいです。 その修行を途中で投げ出すことは、大罪らしいです。 なので、万が一自殺したら、来世でもっとつらいことがおこるといいます。 今あなたは死んでいないのですから、あなたはまだ死んではいけない人なんですよ。
- tinycat19
- ベストアンサー率25% (322/1287)
人間は、太陽が運行する限り、生き続けなければならない、こういう言葉があります。 ある精神科のえらい先生に言われたのですが、人間は生き続けるのが真理です。自殺というのは、間違っていますよ。 どんな親でも、食べ物を恵み、服を与え、学校に行かせたのなら、半分は義務を果たしています。ただ、半分は、暴力や虐待を与えていたのなら、間違っていたと思います。成人されているなら、親のしてくれたことには、ある程度は感謝し、してくれなかったことは、子育てをするときの反面教師にするしかないと思います。 あなたが幼少期のころ、受け止めてもらえなかった願いや思いというのは、順序は違いますが、精神科の先生やカウンセラーの前で、吐露し、また、親の代替になるようなご主人を早く見つけて、安定した関係を築く方が良いかもしれません。 お友達は、四人も居れば、立派な方だと思いますよ。社会性が遅れているわけではありません。 苦しい胸のうちは、精神科という医療者の前で吐き出して、楽になりましょう。 死んではいけません。自分の家では得られなかった、平安を自分たちで築く新家庭で、実現してください。 大人になってしまったのなら、未来に希望をつなぎましょう。大人になった私はそう思います。