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英語ができるのはなぜ無条件に支持されるのですか?

いつも思うのですが、たとえば東大生が学歴を自慢したら、「学歴ばかり高くても実力が伴わなければ使いものにならない」と言われるにきまってますし、社会や理科、あるいは趣味に関する深い知識を披露したり、それに関する難関資格を自慢したら、「あいつはオタクだ」などとネガティブなことを言われることが多いですが、なぜ英語ができることを自慢したら、無条件に「すごいね~」というふうになるのでしょうか? 「英語だけできても他のことができなければ使いものにならない」とか、「あいつは英語マニアだ」みたいにネガティブに受け取られない理由は何だと思いますか?

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noname#98478
noname#98478
回答No.12

英語であろうが、社会・理科であろうが、 テストの点数がよければ、無条件に凄いね~って思います。 でも、テストで良い点取ることだけに執着して、その後何にも活かしてないなら 「英語だけできても他のことができなければ使いものにならない」とか、「あいつは英語マニアだ」って思います。 「会話」が出来る人は、どの国の言葉でも凄いです。 他の国の人と会話が出来る事は、素晴らしいなぁと思うからです。 流暢な日本語をしゃべる外国人さんに出会った時も、凄いなぁと思いました。

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  • sidewalk
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回答No.11

東大卒、だけでしたら学歴目当ての浅い女性が集まる合コンで おこぼれに預かったり在学中のコネを紹介してもらう程度しか 周りにとってメリットはありませんが 英語は世界中で旅行、ビジネスに使えますし日本からでも 海外の格安だったり他で手に入らない物を通販したりと実用範囲は 非常に広いですからね。 と、いうか一々英語力を「自慢」する人って自分の周りでは見た事無いのですが... 勝手に何を妬んだか突っかかって来る人は居ないでも無いですがよほど卑屈な人だけじゃないかなぁ... あと英語は一般的に出来なくても恥ずかしい事でもなんでも無いですから コンプレックスの有る方が少ない、ってのも学歴とは違う部分かも知れませんね。 低学歴の方でそれを気にしている人は、英語を使わない人より圧倒的に多いと考えられますから。

  • AGLAIA
  • ベストアンサー率16% (112/698)
回答No.10

英語は 中学高校と6年間勉強した人がほとんどでしょう。 それで 「全くできない」人もほとんどでしょうから、 自分がやってきて身に付かなかったことができる人はすごい!と 比較しやすいのだと思います。 それと日本人の英語=カッコイイという意識が混合して 尊敬される のでしょう。 かたや東大の件は勉強というカテゴリーでみなどんどん脱落していって 東大受験勉強をしっかりした人はごく一部でしょうから、大多数の 人にとって東大受験=想像できない分野=オタクの世界、になるのでは? すべては日本のインチキ英語教育の押し付けの弊害だと思いますが。

  • rocknrose
  • ベストアンサー率29% (59/203)
回答No.9

あの、アメリカ人って、イギリスアクセントコンプレックスがあるんですよ。「もう、ワケ分らんわ。」 大体、通じりゃいいだろって思います。アメリカに住んだ時、病院行って、とにかく通じりゃ生きられるって思いました。もう、ボディラングエッジあり、とにかく分ってくれよーでしたから。 発音や文法より意思を通じさせるのが先決でしょう。死活問題。 JAPANGLISHでいいんじゃないですか。私はそれで、生き残れましたよ。ちなみに私の英語は、日本関西訛りがあるそうです。 一番いい英語は、世界中の人が分る英語だと思います。

回答No.8

英語を使う人間が地球にはとてもたくさんいます。 とてもたくさんの人間と話し合い分かり合い交わることができたら、 そりゃもうとてもたくさんの新鮮な情報をすばやくゲットできます。 とりあえず日本のえらい人たちも まだまだ「アメリカさま」ですし、 「アメリカさま」とスムーズに交流できる人は重宝されると思います。 まあしかしわたしは身近に「物理オタク」とか「化学オタク」 なんかがいたらうれしいですね。 近頃は生きるためには電化製品が不可欠ですし、 なるべく長生きしたいので体に良い物質を摂りたいですし。

noname#129435
noname#129435
回答No.7

英語は単なるツールなので、「深い知識」という感じではないからだと思います。 車の運転が出来ないペーパードライバーが運転の出来る人をみて、「すごいなぁ、いいなぁ」と思うくらいのレベルだからじゃないですか?   >日本人だけ日本語訛りでなく、アメリカ人と同じようなイントネーションで話さなければいけないのでしょうか?   日本人も日本語訛で喋っていますよ。 日本語訛のない人のほうが少ないくらいですよ。 私の知り合いは大阪弁訛の英語を話すので(でもちゃんと通じているし、仕事も英語でしています)、日本語を喋らなくても大阪の人だとわかるくらいです。 日本人がアメリカ訛のイントネーションと思っていても、他の国の人が聞いたらりっぱな日本語訛の英語です。

  • motacilla
  • ベストアンサー率18% (103/558)
回答No.6

 確かに「語学が出来る」の中でも「スワヒリ語が出来る」では、「あら、マニアック」とか「正道いくのが嫌いなんだ?競争が嫌いなんだ?」ネガティブイメージが無きにしも有らず。  「中国語が出来る」と「英語が出来る」でも、ぶっちゃけイメージが違うと思うんですよね。綺麗事はさておき。    理由は2つほど、思い当たりました。  やっぱ日本、戦争に負けてるからちゃいますやろか。  それは戦争を知らない世代にさえ洗脳が残るほど、根深いものなんじゃないでしょうか?  文化や芸能、容姿やファッション全てが「まるでアメリカ人みたい!」が絶対的な褒め言葉なように思うのです。勿論口に出しては言わないですが、まるで白人のような化粧がウケ、洋楽のような音楽がウケる。変だにゃー。  でもって、「このアメリカ人みたい」が圧倒的優勢に立ったのって、何故なんだろう。  人間のDNAに含まれる審美眼は、全て白人が頂点に立つように出来ているのであろうか?と思ってみた所、  "日本人男性が初めて西洋の女を見た時に「色はなまっちろいし、顔はゴツゴツしているし、まるで化け物」と評した"というのを何かで読んだ事があるんですよね。  つまり、「白人絶賛」は近代になって植え付けられたものなんだなぁと。  もうひとつは、「東大卒」というより「英語が出来る」が、嫌味にならないからかなぁと。  東大は頑張っても入れない人は居るだろうし、その後の社会的階級も大きく変わっちゃうけど、英話くらいなら英語圏の人間は子供の頃から喋ってるわけで、それだけ出来た所で就職だって出来ないですよね。  だから手放しで「すごいねー」って言えるんじゃないかなぁ?  東大卒が"すごいねー"は言わずとも分かる事で、だからマイナスから入っちゃうのであって。  そうそう、それと実用的というのもありますしね。  東大で素粒子やってても、アピールする場所、ありませんしね。

fumidera2
質問者

補足

あと、他の言語だったら少し話せるくらいでも(英語でいえば英検3級程度)、「私は中国語できます」「私はドイツ語できます」となるのに、英語になるとなぜか「TOEIC900点以上ないとできるとはいわない」など、ネイティブなみにできないとできないとできるとは見なされないのも不思議です。

回答No.5

専門性の高い情報を調べる事が必要になった場合、情報が記載されている文献が英語である割合が高くなるからです。英語の文献のみが情報入手の頼みの綱となった場合、正確に情報を読み取る力が最低限必要になります。

noname#84871
noname#84871
回答No.4

私の配偶者は英会話(レベルは私には分かりません。^^;)ができて、よく一緒に飲みに行く友人は韓国語(レベルは私には分かりません。^^;)ができます。 実際に一緒にいるときに外国の方と喋っているのを身近で見るとそれはできない私にとっては尊敬でしかありません。 会社に何人も東大卒の方がいますが「頭いいんだろうな。」くらいです。 目で見て耳で聞こえるリアルさに肩書きは及ばないでしょう。 「英語ができる」は「ふーん」。 「英会話ができる」は「おぉっ!!凄い!!」。 私の価値観だとこうなります。 「英語圏文化を否定するためには最低限本人が英語に通じていることが必要だ」 ある小説家がエッセイの中でこのように綴っていた事を思い出しました。

fumidera2
質問者

補足

英語圏文化を否定する気持ちはありませんが、英語圏文化を礼賛する人の中に、しばしば日本語・日本文化に否定的な人がいるのが気にかかります。

  • Nannette
  • ベストアンサー率26% (1499/5697)
回答No.3

学歴や特殊な分野での専門的な知識や資格などといったものは、一般の人には縁もなければ、それ自体の価値とか素晴らしさといったものをストレートに理解することもできませんよね。 たとえば一級建築士だと聞いても、それがどういう仕事でどれだけの重要な仕事をこなしているのかは、多くの一般の人にとっては見たこともなければ、その仕事の内容すらも理解できません。 でも、語学は違います。ことに英語なんかは映画やテレビドラマなんかでも身近に聞くことができますし、もちろん英語が話せたら外人さんたちとも話が出来て、自分の世界が広がるだろうなということぐらいは誰にでも想像できます。 つまりはそういうこと。英語が話せるということは、話せないけれど、その便利さとか有効性は理解できる一般の人にとって、だからこそ、話せたらいいだろうな、そして、話せる人はすごいな、それだけ人一倍の努力をしたんだろうな、それだけエラいんだな・・・と無条件にスゴイと思ってしまうのでしょう。

回答No.2

「英語の知識がある」だけの「英語ヲタク」と区別しているからではないでしょうか? 例えばサッカーですと、 サッカーのことを良く知っている「ヲタク」はネガティブな評価ですが、 サッカーが実際に上手な場合ポジティブな評価です。 「英語ができる」と言った場合後者になると思います。

fumidera2
質問者

補足

英語の場合、「英語の知識がある」≒「英語ができる」になると思います。

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