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違いを教えてください

メンタル系の病名が複雑で違いがよく分かりません。 知人などで実際違う病名なのに、症状や処方薬が似通っている場合が結構あります。 具体的な病名は、「抑うつ」「社会不安障害」「パニック障害」「強迫性障害」など。 そもそも「うつ病」とはどう違うのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • aki43
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回答No.2

悲しいかな こう言う関係は日本の場合とても後進国の為 似て非なる病名であるはずなのに 処方が似てたりします  アメリカが全て良いとは決して思いませんけど 少なくとも日本よりはいいとこが有るように思います 日本は改善がとても遅く また改善を良しとしない所も有るようです

noname#83910
質問者

お礼

私も仰るとおり、日本ではメンタル系に対しては、後進国と思います。 世間もメンタルを病んでいると、未だに良い意味でも悪い意味でも変に気を使ったり、偏見で見たりしますしね。

その他の回答 (2)

回答No.3

私は素人です、違っていたら申し訳ありませんが、感じた事を書かせて頂きます。精神疾患はその人の生きると言う事の不安或いは恐れがその元を作っていると思います。その不安が社会生活を送る邪魔をしていると言う事かと思います。 具体的な病名、「抑うつ」「社会不安障害」「パニック障害」「強迫性障害」「うつ病」など様々な病名が在りますが、是等は全てが、症状に見合った名前が付けられています。症状がそのまま病名と言う事かと思います。 精神疾患と言うものはストレスが悪い、或いは環境が悪いと言う言い方をする事も出来ますが、本当の原因は本人の考え方、世の中の見方、言い方を替えたなら、本人の認識がストレスを生み出していると言う言い方も出来ます。その認識と言うものは、自分自身が自分自身に加えている圧迫、つまり心に浮かぶ「雑念」のどこの部分を本人が「心の違和感」として「意識」してしまうかに掛っているのか?と言う事も出来ます。 つまり、どんな雑念に「心が引っかかってしまうのか?」と言う事になります。その引っかかった事が「症状」と言えます。「意識」が離れなくなる事、つまり「意識」し続ける事になるからです。 人間は元々子供の時には自由が在ります。心の何処にも引っかかる処は有りません。この事が聖書による処の「天国に一番近い存在は幼子」と言う事になります。処が大人になってくるに従って、いろいろと悩み事や心を煩わせるようになります。この事の意味する処は「知恵のリンゴを食べて天国を追放された」と言う事です。 知恵のリンゴを食べた、と言う事の意味する処は、脳が大人になって左脳の機能と、右脳の機能がそれぞれ独立して違った機能が在って、又それぞれが別々の人格に別れた。と言う意味になります。つまり「心の分裂」と言う意味になります。この心の分裂する事が天国から追放されたと言う事の意味になります。 精神疾患の元は「恐れ」です。心の不安です。不安を感じているのは 「自我意識」の意識です。それは自我意識の不安と言う事になります。是には不安にさせている者が存在していると言う事になります。その不安にさせている者が、何を訴えているのかで症状が違ってくると言う事になります。 ここからが私が本当に書いてみたい事になります。精神疾患の本当の原因とは心の矛盾の事です。それは心が二つ在る事によります。それは知恵のリンゴを食べた者として、どうすれば良いのかと言う事になります。 是は実に簡単な事と言えます。自分自身を知る。自分自身が自分自身と共に在る。と言うだけで事足ります。二つに分かれた自分の心が又一つになる。と言う事です。それは、学ぶ事です。自分を学ぶ事になります。 それは人間の脳の機能を学ぶ事です。意識は左脳の機能と言えます。分別する機能で出来ています。物事を明確に割り切ってゆく事です。人生には割り切れない問題が生じてきます。この割り切れない問題の処理のまずさが「精神疾患」と言う事になります。不安の解決は割り切れない問題です。 永遠の命、是も誰もが望む処です。是なども割り切れない問題です。この割り切れない問題を、左脳の分別脳で処理してゆこうとする処に人間の悩みが生じています。是は薬では解決できにくい問題と言えます。 是等の処理のまずさが今日の、人間の心を煩わせています。人種を問わず、時代を問わず、人間の悩みは実にここに在ります。それは脳の機能の問題が二元論として人間の心を煩わせていると言う事になります。 この事の解決が「自分自身を知る」と言う事になります。それは使っていない方の機能に目覚めると言う事になります。この開発法がお釈迦様の教えと言う事です。「禅」の中に在ります、禅の目指している処は禅問答の中に在ります。禅問答が解けた時の心持を「もうすでに会った事が在る者との出会い」いまさらお前は誰かと聞く必要はない。と言う事になります。 心の矛盾とは自我意識と仏性の矛盾と言えます。禅問答が解けた事を「生死の問題が解決した」と言います。この事は心の矛盾が解決したと言う意味になります。分裂して苦しんでいた自我意識に、苦しみが解消したと言う事です。心の矛盾が解消したと言う事は、悩ませるものとの出会いでもう悩む必要が無くなったと言う事を意味しています。ここで悩みの解消が完結した事になります。「精神疾患」の完治と言う事になります。 人間の悩みとは割り込んできた問題の処理を処理できない脳に割り振ってしまう事に相当します。いくら時間をかけても解決できないかも知れません。解決能力のある脳を呼び出して問題の解決を任せると言う事が禅と言うものです。右脳に在る意識が「神、仏」です。それは無意識に封印された形で存在しています。自我意識と絶えず交代しながら「働いています」大変に判り難い存在と言えますが? 一切衆生悉有仏性。つまり右脳のない人は本来いないと言えます。

noname#83910
質問者

お礼

仰ることは、私自身メンタルを病む以前はそういう考えで、今も少なからずあります。

  • as-ka
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回答No.1

こんにちは。 病名が違っても、処方が似ているのはどうしてか。 ということに関しては、 単に「似ている」だけではないでしょうか。 そのわずかな違いが、病名を分ける決め手になっていると思われます。 単純に「この病気だけを治す薬」というのではなくて 病名が違っても同じ薬が出されることがあります。 うつ病との違いについて。 うつ状態を示すものを抑うつと言います。 他の病名は、うつ病とは似通っていますが似て非なる病です。

noname#83910
質問者

お礼

回答を読んで、薬がかぶる理由がなんとなく分かりました。 「うつ」は病名で、「抑うつ」は状態を示すんですね。 納得しました。