音の響きから言うと恐らく梵語ではないと思えます。
仏教用語で考えれば、「四心・波羅密・大金剛(あるいは大光明)」ということになるのかも知れません。
そのまま「シッキン」という音にあたる仏教語は私にはちょっと思い当たりません。梵語で「大梵天」を表すシッキン(sikhin)という言葉もありますが、ちょっとそぐわない感じですね。
仮に「シシン」という音が本来で、これが変化したものだとすれば可能性は幾つかあります。例えば「四心」といえば、四無量心といわれる慈・悲・喜・捨という修行者の四つの実践行を端的に表したものです。これが一番それらしく思えます。
ほかにも「四身」といえば特に天台で言う四種法身のことで、仏の姿の現れ方やあり方を人間との関係から四つに分類したものを指します。また、信心のあり様の程度を分類した「四信」という言葉もありますが、後の言葉との関係から言えば関連が薄いでしょう。
「波羅密」はご存知と思いますが、波羅密多と同じ言葉で「到彼岸」などと訳されます。つまり彼岸に至るための菩薩の実践行を指したり、智慧の完成を意味する言葉です。布施や禅定など六つの行を指して六波羅密などと言う例が多いのですが、上の「四心」も実践行ですので、この言葉とのつながりはおかしくありません。
最後の「ダイコンミョウ」は、恐らく大金剛か大光明でしょう。金剛はダイヤモンドの事ですが、その固さから煩悩を砕く智慧の働きを譬える言葉として、特に密教では頻出します。
光明は文字通り光の事で、やはり仏の智慧が暗闇を照らして物事がありのままに見えるようになることを譬えたものです。金剛と同じく仏智慧の譬えであって、どちらでもこの場合にはおかしくないと思えます。より密教色が強いのは「金剛」ですが。
仮にまとめてみると「四心波羅密大金剛」ということで、「菩薩行を通じ金剛の如き仏智で煩悩を離れよう」という修行者の願いの込められたもの、とひとまず理解してもいいのかも知れません。
あくまで言葉をつなぎ合わせた解釈ですし、これがどこまで忍者と具体的に結びつくか、疑問は残りますので、私見ということでご了承ください。
ただし少なくとも般若心経の意味、という解釈には私は賛成できません。般若心経自体が大変短い呪文のような扱いで、これをさらに短くして唱えるということは修験道でもなかったはずです。仮に一部だけを読むとしても、托鉢の際にそうするように「ギャーテー」以下の神咒の部分を読むのでなければほとんど意味がありません。
お礼
丁寧なご回答ありがとうございます。 言葉をそれぞれ単語(?)に当てはめてみると、意味が出てくるというのは私個人としてもとても興味深いです。 私見と書いておられますが、とても説得力があると思います。 >「四心波羅密大金剛」ということで、「菩薩行を通じ金剛の如き仏智で煩悩を離れよう」 修験道っぽい言葉になってますね。しかも、修行の言葉みたいです。 忍者と修験道との関連があるとすると、説得力のある解釈だと思います。 ご回答ありがとうございました。
補足
友達にもこちらのURLをメールで知らせておきました。 ドイツの方にも楽しい話題提供になればと思います(専門用語が多いからドイツ語で説明するのは大変かもしれませんが・・・)。 みなさま、ご回答ありがとうございました。