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空手の指導の仕方
読んでくださりありがとうございます。 空手の道場で指導をしていますが指導の仕方で質問をお願いします。 道場では少年部から壮年部までが稽古に来ています 道場の雰囲気をよくするために 指導の内容で気をつけることは何でしょうか? 少年部では教えたらすぐに覚える子もいますし 覚えの悪い人もいますし稽古に集中できていない子も います。 一般部へは理論的に説明しているのですが 少年部に比べて出席率が悪いので気になっています 仕事と言われるとしょうがないのですが・・・。 指導の中や終わった後での個人への言葉もかけ方でも 変わってくると思うのですが・・・。 また父兄さんへの付き合い方でこうしたらいいですよというのが ありましたらアドバイスして下さい。
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- toude1213
- ベストアンサー率0% (0/2)
私も空手道場を運営している者です。 一般部しかありませんので、一般部に限ってお話させて頂きますが、私は基本的に褒める指導を心がけています。特に初心者の方にはそうします。 また、大人には誤魔化しが通用しませんので、しっかりとことん説明します。その為、稽古前の準備は欠かしません。 毎回毎回、何をどう進めて行くか熟考します。たとえ予定通りに行かなかったとしても、絶対必要な事だと思います。これをする事により、マンネリは防げます。 そして何より、指導をする立場の人が、自分の指導に絶対の自信を持つべきです。 お互いに頑張りましょう。
- mifune0123
- ベストアンサー率37% (6/16)
寸止め空手の指導員です。 まず知りたいのが、あなたがどのような空手をやっているかなのですが・・・ フルコンタクトでしょうか? それとも寸止め? はたまた、寝技関節までありの総合型? どのような空手なのかよにっても、道場に求められてくるものは変わってくるのではないでしょうか。 フルコンタクトならまず自分自身の強さを見せなくてはなりませんし、寸止めなら当てない空手を通じて何を得ることが出来るのかを教えてあげなくてはいけないと思います。 自分はまだ若輩者なので偉そうなことがいえないのですが、私は17年ほど前から道場に通っていますので、私の先生方を観察して学んだことを言います。 まず子供ですが、とにかく集中力が続きません。 なので、続けさせることを第一に考えるべきでしょう。 稽古の途中に「あ~、今日は寒いなぁ。よーし、みんなで鬼ごっこしよう!」など、空手とまったく関係のないことをしたほうがいいように思います。 皆で楽しめて、体を温めなおしたり出来るものがいいでしょう。 子供以外は、基礎をしっかり学ばせたあと、黒帯など上級に混ぜて難しいことをやらせていった方がいいように思います。 また、私の道場では練習後や休憩中などに大人たちは子供たちと積極的に遊んでいます。 練習や仕事で疲れていても、子供と遊ぶのはいい気分転換になるそうです。 ですので、私の道場ではまれに練習時間を30分ほど使い、全員で体を動かして遊ぶこともあります。 練習後ですが、先生方と練習生でファミレスなどに行き、食事をしながらリラックスした雰囲気でお互いの不満を笑いながら話したり(「先生あの部分何言ってるのか意味わかんないっすよー。」「あらそう?だからあそこは棒を持っている意識で~」みたいな道場とは違った軽いノリで)する日もあります。 道場内とはまた違った雰囲気なので、こちらの方が聞きたいことを聞けるのでいいという方もいます。 考えまとまらないうちにカタカタ打ってしまったのでへんな文章になっていてすみません。 ようは空手の道場だけれども、空手の練習内容だけに気をつけてはいけないと言いたかったんです。 先生と生徒がともに空手を楽しめるか。 そして先生と生徒という関係はあるもの、同じ道場の仲間という意識をもてるか。 それが大切なんだと思います。 乱文ごめんなさいm(_ _)m ちゃらんぽらんな道場だな~と思われそうなので言っておきます。 私の道場は伝統空手四大流派の一つで、こちらの道場から全国大会入賞者も出ています。 メリハリの効いた練習が、道場の雰囲気で練習生の実力アップにつながるのではないでしょうか。
- Ganbatteruyo
- ベストアンサー率63% (4601/7273)
アメリカで使える伝統空手と護身術を教えている者です。 経営の仕方として大きく二つに分けることが出来ます。 1)自分が教えたいことを教える 2)生徒が習いたいことを教える。 1)には経営者がしっかりとした空手への理解があることと指導できることが前提になっています。 たとえばなぜ基本の「技」があるのか、型とは本当に何なのか。 自由組み手では絶対といって良いほど使わない技をなぜ教えなくてはならないのか、型と踊りとどう違うのか。 基本技の何か基本なのか。 実際に使えることとどう空手はつながっているのか。 どっしりした立ち方はなんで大切なのか。 どっしりした立ち方は相手にとっては良い「カモ」なのでは? なぜ、前後しか移動しないのか。 なぜ「打ち」を寝た状態から打てるように習わないのか、型が躍りでなかったら型の試合は「空手の訓練」とどうつながりがあるのか、これら100も200も「自然」な質問に対してどう対処していますか? また、これらの疑問をする機会を積極的にあげていますか? また、実践的な実力はどうでしょうか。 道場破りに対抗できますか? うちでは他流試合をしません、と逃げてしまうしか方法がないですか? 空手と言う武道の「奇麗事」に頼るようなしぐさ、返答、対応をして、自分の知識、能力、そして実力のなさを隠してはいませんか? これらのような素朴な「空手に対する疑惑」に対し「空手の訓練と直接つながっている」と言うことを理論的にまた実践的に証明できるものを持っているのであればこの教え方は十分弟子を作り次の世代の指導員を作ることが出来ます。 少年部の練習に対して親御さんは何をしていますか? ちゃんと練習の仕方などを見てくれていますか? 親御さんの理解がなくてはこの教え方は出来ないと考えて良いでしょう。 そのためには練習への参観を義務付けることも必要となるでしょう。 また、義務教育と同じように、教えることを「平等」に彼らの前に披露してそれを覚えろ、といっていては無理があります。 個人の実力(記録力、精神力、体力、運動神経)と今までの知識に子供たちそれぞれにむらがあるのは当然のことです。 そして、子供たちは、「好きなこと」「よく知っていること」「出来ること」を練習したがりますね。 それをどうやって「お前はここが弱い・知らない、できない」と指摘し、それらを練習したがるように指導できるか分からない限り指導は出来ませんね。 覚えが悪い子はなぜなのか、稽古に集中できないのはなぜなのか、これは自分の先生が教えてくれているはずです。 先輩としてただ力で教えているだけで良いといったような「先生の教え方」で育った人たちは指導員にはなれない、経営者としては「土台がない」と言うことになるのです。 つまり、この教え方は自分と言う空手家のレベルをどれだけ引き上げているのかが大きな要因となります。 しかし、有無を言わせない質力と知識が弟子や親御さんがついてくることになるのです。 道場の雰囲気は「自分をもっと空手かにさせるところ」だと言うことでむんむんしているといっても良いかもしれませんね。 (いいえ、掛け声がうるさく、どっかのヤンキーの道場みたいだ、と言うことでは決してありません) この教え方は、まず徹底的な空手の理解(いいえ本屋インターネットに書いてあるようなことではなく)を持ちそして更に自分を教えをどう貫くかを知っている指導員でなくては無理なこと、と言うことになります。 2)ですが、 これはもう商売としてマーケティングに基づいて出来た教え方ですね。 生徒が教わりたいことを教えるわけです。 これはもちろん、何を習いたい、じゃ、今日はそれを教えるね、じゃないですね。 自分が教わってきた順序を思い出し、基本と言われるものを見せて教えるわけです。 上のように疑惑を作らないように教えここは良い道場だと思わせるやりかたなわけですから、コミュニケーションを良くとり、個人指導的な要素を使うことも必要ですね。 1)のやり方では個人指導的ではありますが、物事を分かりやすく教えると言うのではなく、根本的な弱点を治すことははじめだと言う観念なのですが、2)では個人的に教えていることを分かるように教えると言うことの違いですね。 よって、言葉遣い、対応などは「接客」的要素を大事にしなくてはならないと言うことにもなります。 また、教えることを「レベル付け」することで、生徒に「上達感覚」を植えつけることが出来ます。 つまり、これは上級の生徒がやることで私も教えてくれるようになった、と言うような「満足感」と「上達していると言う実感」を感じさせることが出来るわけです。 父兄への付き合い方にも父兄を満足させる言葉遣いが必要となりますね。 経営手腕が発揮できる教えかたと言うことかもしれませんね。 私は学業がマーケティング専攻でしたので2)をかなり気にして教えてはじめました。 しかし、私にはどうしても「詐欺」をやっているとしか感じられなかったのです。 また、自分の空手家としての実力も「挑戦」されたり、空手と言うものを証明できる場所を作りたいと思い、1)をそのまま先生の教えのとおりにしたわけです。 確かに古い教え方かもしれません。 独裁者的な教えともいえるでしょう。 しかし、一つの強い信念を貫くことで、時間とともに認められるのが徐々に見え始めたわけです。 説明してもわかってもらえないのは自分が説明できないからだと認めることも何百回とあります。 私の場合先生に恵まれたとしか言い様がありません。 なぜ、空手、と呼ぶことは空手を広めることに役立つのか、なぜ白帯からはじめ黒帯になる前に流派によっては初段補があるのか、なぜ一段ではなく初段なのか、なぜ、黒帯はただ表面の布だけが黒なのか、11段は本当にないのか、一撃必殺の必要性はどこに、「先手なし」の技術的教えは、礼とは、精神力とは、これらすべて本やインターネットに書いてあることはまったく十分ではないことが分かるようになるわけです。 そうすると空手が教えるすべてのことが100%以上実践に使えると言うことが分かります。 実践とは実際に他の人間と武力で戦うと言うことも含みますし人生の送り方、自分を生かす(物理的に生かすという意味と自分を役に立たせる)事なども含まなくては現代空手とは呼べないと信じています。 私のやり方を押し付けているのではありません。 (もっとも押し付けたところで私が指導できると言うことでもありませんね) ただ、これからのご指導に何らかのヒントになればと思い書かせてもらいました。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
経営者ではなく先輩として指導する立場にいます。 >雰囲気をよくするために指導の内容で気をつけることは 明るい雰囲気をつくること 丁寧は言葉使い 強制されてやらされといると感じさせないこと などに注意を払っています。 あとは稽古中よく「必要以上に無理しないで下さい」「自分の為の稽古ですから」「(組手の際)相手の体格や年齢、性別を考慮するように」などと声をかけるようにしています。特にコレ見学者がいると声に出すことが多いです。せっかく見学に来てくれたんだから 殺伐とした道場ではなく明るい雰囲気の道場であることを伝え入ってもらう為です。いまだに空手と聞くと悪いイメージを持つ人もいるようですから。 あまり具体的な回答になっていませんが、maiwa126さんなりのスタイルで良いのではないでしょうか。以前先生から、いろんな指導員のいろんな稽古に出てみると良いよと言われたことがあります。先生は若い頃、自分が指導員になったらこんな指導はしないとか こういうふうに稽古するのはいいなぁ などと思いながら稽古をしていたそうです。いろんな稽古があって良いんだと思います。それをどうとるかは個人個人違うと思いますので。 指導する側になると勉強になりますよね。 頑張りましょう!!
- fukkatsu-biz
- ベストアンサー率27% (50/185)
私も月謝をとって空手を指導しています。少年部の指導経験はないので一般部に関するものだけ。 「理論的に説明」というところが少々気になりました。大人が相手ならある程度理屈をつけて説明するのは仕方ないと思うのですが理論のあとに実証はされているのでしょうか(約束練習だけでなく自由組手等で)? 大人の世界ですから露骨に反論はしないでしょうが実際にありえない技の説明をされても普通の人ならシラけて聞くだけです。 それと「単調さに耐えるのも修業のうちだ!」とばかりに毎回稽古内容をマンネリ化させていませんか?団体指導のコーチングは飽きさせないことができれば9割がた成功したようなものですよ。
- wsws
- ベストアンサー率9% (256/2568)
一般社会にも通じることですが平等に対応指導して欲しいです。 腹立てさせる者も居ましょうが 少年にも壮年にもおなじ言葉づかい。 敬語を使うようにしたらどうでしょうか。 少年同士、壮年が少年に教える場合も敬語はどうですか。 命令口調など怖い言葉を止めるのです。 質問者様の空手道場周辺だけでもスタンダードにしたらどうですか。
お礼
平等に指導してるつもりですが 自分の指導の内容を見返してみたいと思います 言葉使いも敬語を使うようにしていきます 回答ありがとうございました。
お礼
理論で説明した後には本人に動いてもらうようにしています そこから同じような動きをしてもらったり応用へつなげたりとか ミットを叩いてもらって体感してもらうようにしています。 稽古のマンネリについては反省しています 基本・移動・型は毎回が似た指導内容になってしまうので 変化をつけないといけないですね この点でも何かよい方法がありましたら教えて下さい。