- 締切済み
ギャラ ―― 世の中というものが解らない。
「一定のステータスを築いた芸能人等には高いギャラが支払われるべきだし、 そういう人は自ら高いギャラを求めてもいい」 という感覚が、私にはさっぱり、と言っていいほどによく解りません。 高いギャラを提示されて、 「それじゃあまりにも高すぎる。その半分でいいですよ」 なんて言う人はいないのでしょうか? 「くれるって言うんなら、もらいましょう」 という人ばかりなのでしょうか? 自分がもしステータスをもつことになっても(絶対にそんなことにはならないけど…)、 不相応に高額のギャラなんか欲しくないし、自ら求めようとも思わないと思います。 本人は欲しくなくても、周りが許してくれないのでしょうか? 同業者から「そんな安いギャラであなたが引き受けてしまうと、私の方も安いギャラでやんなきゃならなくなっちゃうじゃないの」とでも言われるのでしょうか? 所属事務所などの取り巻きや家族親族の絡みもあるのでしょうか? 評論家とかが講演で高額のギャラを得るのも何だかよく分かりません。 交通費と食事と1万円ぐらいもらえれば十分なような気がしますが、 数十万、数百万、大先生のだと1回一千万単位のギャラが支払われることもあるようですね。 自分だったら、自分の意見を多くの人に聴いてもらえるだけで満足しそうです。
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
みんなの回答
- 阿加井 凛悟(@neutral)
- ベストアンサー率29% (231/773)
こんばんわ。 たまたま、おもしろそうなスレッドを見つけてラッキーです。 >「それじゃあまりにも高すぎる。その半分でいいですよ」 なんて言う人はいないのでしょうか? :いると思いますよ。 わたしはこのギャラと釣り合う仕事なんかできやしない。 と考える場合。 なぜこのように考えるのかというと、 わたしはこのギャラと釣り合うほどの仕事を「したくない」。 と思っているからです。 自分を納得させるために、 「本当は欲しいもの」に対して「いらないもんね!」と思い込む。 これを「すっぱいブドウの心理」などと言います。 「もらった」ギャラに合わせて働こう。 「もらった」ギャラを使ってしあわせになろう。 「もらった」ギャラがそれでも余ったら誰かにあげちゃえ。 「もらった」ギャラで(自分も含めて)しあわせになる人がいる。 このように考える人もいます。 もらって、そのぶんの権利を得て、そのぶんの責任を取るか、 もらわずに、そのぶんの権利を放棄して、そのぶんの責任を放棄するか。 もらって、(自分の労力を含めて)使うか。 もらわずに、(自分の労力を含めて)ケチるか。 どちらの生き方がラッキーだと思うか。 そういうことだと思います。 >私にはさっぱり、と言っていいほどによく解りません。 :わからないことは、 証明できるまで、あるいは、 実感できるまで、放っておいたほうがよいと思います。
- 8942
- ベストアンサー率13% (188/1414)
すばらしい能力の持ち主は燃費や維持費が掛かるのです。 一般人を軽自動車とするなら、高い能力の持ち主はフェラーリや ロールスロイスです。 イチローはあの身体能力を維持するのに、毎日吉野家の牛丼と アパート暮らしで十分だと思いますか? 緻密な小説や漫画を書く作家がどこにも取材に行かずに作品をつくることができるとでも? そういう人達は人物は稼いだお金で自分を磨くはずです。 もはや、我々の給料如きでは自分自身を維持できないのです。
- magga
- ベストアンサー率15% (56/359)
「需要と供給」 「個人の自由」 ではないでしょうか。 他人がとやかく言うことではない気がしますよ。 では、幸福であれノシ
> 評論家とかが講演で高額のギャラを得るのも何だかよく分かりません。 講演代が高い方というのは 一般的に講演をビジネスとしてやっていらっしゃる方々です。 (サービスやボランティアでやっていらっしゃれば安価です。) > 高いギャラを提示されて、 > 「それじゃあまりにも高すぎる。その半分でいいですよ」 > なんて言う人はいないのでしょうか? ビジネスにされている方の場合は そもそもそういうことにはなりません。 というか、話は逆になります。 基本的に料金表は決まっているので (それなりのルートを通じてマネージメントオフィスに問い合わせれば教えてくれます。) 講演会主催者側が「高すぎるので他の講演者を探させて頂きます。」となります。 要するに、単純に需要と供給の関係です。 ですから >「一定のステータスを築いた芸能人等には高いギャラが支払われるべきだし、 > そういう人は自ら高いギャラを求めてもいい」 残念ですが、そういう感覚はないと思います。 現在のように不況になると、みのもんたも明石家さんまも 番組を降りるか、出演料を下げるか、という選択を迫られますが それと同じです。 > 高いギャラを提示されて、 > 「それじゃあまりにも高すぎる。その半分でいいですよ」 > なんて言う人はいないのでしょうか? それは、一般ビジネスマンにも通じませんか? 「給料高すぎるので、もっと安くして頂いても結構です」 という人がいるかどうか?ですよね。 「給料下がってもイイから、勤務時間を少なくしてください」 といった交渉はあると思います。
- o-sai
- ベストアンサー率19% (199/1001)
故手塚治虫氏が破格の安値で仕事を請けていた、という逸話があります。 溢れるアイデアを発表する場が減るのを恐れた為、という話。 本当にやりたい仕事に就き間違いない評価が得られたなら、どんな報酬も単なるお礼程度の価値しかなくなるのでしょう。 「そういう幸福な仕事に就いてるのに高額な報酬を要求するのはどうなの?」という気持ちだと思います。 たぶん高額な報酬は自分の評価を確信したい為です。 完璧な仕事と評価、というのはゴルゴ13も拘ります。 たまに報酬に係わり無く仕事を請ける話もあるので、この作品に係わる人たちや読者にも、あなたと同様の考えがあるのではないでしょうか。
- reki4649
- ベストアンサー率21% (116/539)
芸能人の評価対象は「大衆の人気」ですよね? その芸能人を使い経済的にペイできると判断した額がその人のギャラなのですからおかしいことはないと思いますが。 その芸能人を使ってイベントを行い5千万の経済効果が有った。 でギャラとして(例えば)一割の500万を支払った。 それはその芸能人の(経済的な)人気の力です。 何もおかしい所は無いように思えます。 かえってシビアな世界なんだという気がします。
- larme001
- ベストアンサー率44% (271/608)
心情的には確かに「すばらしい」考えのようですが、そういうことを一般的な社会に持ち込もうとすると上手くいかないので、いまの自由競争がうまれたのかと思います。 高いギャラってのは、ただそれだけ上げているのではなくて、それに見合った活躍を期待されているのです。イチローや松井が高いお金をもらっているのも、単にお金のためではなくて、それをもらうことによって、その分の活躍をするだけの責任が与えられるからでもあるのです。それが不当に高いお金だとするのであれば、それはそのお金に見合うだけの活動から自分自身逃げているという意味にもなります。どうしてもギャラがもったいないというのであれば、どちらにせよTV局なりなんなりの経費になってしまうのでしたら、それをもらってもっと人道的な活動に全額寄付とかしたほうが十分社会のためになるでしょう。 よく言われることですが、結局ボランティアとか献身的な活動とかってのは自分の余力があるところでやるべきことなんです。無理して自分のできないことをするとそれによって見えないところでストレスをためてしまったり返ってやらないほうが双方にとってよいとも言えるのです。それなら、お金がある人はお金を寄付すればいいですし、時間がある人は時間を割いて何かやればいいし、どちらも難しい人はできる範囲で少しだけやればいいのです。ただ、その分そのやることに対しては責任をもって継続してやることとかが大切かと思います。 それを考えると、べつに「高いギャラ」自体は咎めることではなく、むしろ放棄することによって責任逃れとならないためにもその辺はしっかりするべきことでもあります。 、、、もちろんポリシーとして○○に関する講演料は受け取らないとかか、そういうのは実際のところよくありますよ。ただ、一義的に断ることがいいのかは難しいところです。
- hesaid
- ベストアンサー率39% (51/130)
心情的には同感ですが、これらは自由競争の結果です。 サラリーマンの多くは、同じ会社に勤続することで、その会社でしか通用しないスキルを身に付けることになります。そのうち折角身に着けたスキルを捨てるような転職は考えなくなり、給料の金額について他社と比較する意欲もなくなってしまいます。したがって、多くのサラリーマンの給料はその会社の人事規定に沿ったものとなり、突出した額にはなりません。 一方、芸能人やプロ野球選手の待遇は、常に競争入札的な要素が入っています。多くは、代理人を立てて交渉を行いますが、これは相手方が常に競争に晒されているからこそ可能なのです。結果として、決められる待遇は、本人が強欲でなくても高額なものに落ち着くことになるのです。これこそ最も公正な価格であり、例えばもしイチロー選手が年棒5百万円で契約し、他球団のオファーにも一切耳を貸そうとしないなら、何かしらの不公正を疑われることすらあり得るのです。 このように野球選手などの報酬が高額なものとなる背景には、チケットやレコードを購入する消費者、すなわち私達が存在することを忘れてはいけません。ある日、「なんで野球ごときのチケットが何万円もするんだよ」と皆が思えば、状況も変わるかもしれません。 個人的には、こうしたスター達には、何かしら世の中の為に還元することを期待したいものです。